「共同体感覚が高い人は、相手に尽くし、与えるだけでなく、自分も援助してもらう勇気がある人だ」
他者は味方
共同体感覚があるということは、喜んで他者を助け、他者が喜ぶことをする、ということです。
それは、他者が敵ではなく味方である、と信じていなければできません。
もしも、他者を敵だと思っていたら、助けることで逆恨みをされてしまったり、「いいかっこしい」と誤解されるかもしれない、だから、恐くて助けることができないのです。
逆もまた真なり
他者を仲間だと思えればこそ、自分に能力や経験が足りないときは、遠慮せずに「手伝ってもらえませんか?」とお願いできるはずです。
それが言えないということは、他者を仲間だと思えていないということです。
アドラーは「仲間は、他者を喜んで助け、かつ、自分の力が及ばないことがあれば、援助を受ける」と言っています。
まずは相手を助けてみる
まずは手始めとして、仕事で困っている人がいたら、積極的に助けてみることから始めてみてはいかかでしょうか?
共同体感覚が低いと、ここで「あなたの助けなどいらない」「なにいいかっこしてるの?」と言われて、自分が傷つくことを避けるために、一歩が踏み出せないのだと思います。
相手を信じられない
要するに、相手は自分のことを仲間だと思っていないと考え、援助を拒否されたら自分が傷つくから、それを避けようとする、自分中心の思考なのだと思います。
ただ、逆のことを考えてみましょう。
自分が仕事で困っていて、上司や同僚から援助の申し出があったら、嬉しくありませんか?
ここで、この援助の申し出には何か裏があるはずだ、と考えてしまう人がいれば、その人は決定的に共同体感覚が低い、言わざるを得ません。
自分を信じる
自分を信じることも大切です。
自分を信じられないと、自分には他者を援助する力がないと考えてしまい、結果として他者を援助することができません。
自分は他者を助けることできるのだと、自分自身を信じるのです。
それが共同体感覚を獲得する第一歩だと思います。
相手を信じる
自分を信じて、他者を援助することができるようになれば、相手のことも信じることができるようになると思います。
自分の援助を受け容れてくれた相手のことは、信じることができますよね。
そしてその相手から、自分に対して援助の申し出があれば、喜んで受けることができるのです。
シーソーを漕ぐように、互いに貸し借りを(貸し借りとさえ思わず)ごく自然に助け合うことができるはずです。
その意味では、与えることだけでなく、受け取る能力もまた、共同体感覚を測るひとつのバロメーターとなるのです。
相手を仲間だと信じ、自分に足りないことは堂々と支援をお願いしよう。