「人を仲間ではなく敵だと思う人は孤独になる。自己陶酔を味わう人も孤独になる。他者を排除して、自分一人だけの世界を味わうのだ」
孤独
人の輪に入らず、ポツンと独りぼっちでいることを孤独と呼びます。
「個人は、ただ社会的な文脈の中においてだけ、個人となる」とアドラーは述べています。
人は対人関係の中に入らずして生きていくことはできません。
孤独は共同体感覚の対極に位置します。
孤独のままで、幸福になることはできないのです。
自ら孤独を選ぶ人
しかし、人は往々にして自ら孤独を選ぶことがあります。
その目的は、多くの場合「対人関係で傷つくことを避ける」ためです。
まさに劣等コンプレックスです。
そして、その強い劣等感を隠すために、仮想のストーリーを創り出し、優越コンプレックスとして現れます。
「私は、他の人とは違う高貴なる人間である。一段高いところにいるのだから、他の人と交わることはできない」という、偽りのストーリーです。
アドラーはこれを「自己陶酔」と呼びました。
上から目線の人
普段の発言や立ち振る舞い、SNSの投稿を見ると、この人は明らかに自分を特別な存在だと勘違いしているな、と感じることがあります。
相手や、SNSを見ている人たちを見下す態度に接すると、「自分は、他の人とは違う特別な存在なのだ、どうだ凄いだろ」というメッセージだと受け取ってしまいます。
ただのひがみ根性だと思われるかもしれませんが、私はアドラーのいうところの「自己陶酔」なのだと思います。
他者は敵
他者を仲間ではなく敵だと思う人は、傷つけられることを怖れて孤独を選びます。
そして、自らを特別な存在として位置づけ、他者を見下し自己陶酔するために孤独を選ぶのです。
残念ながら、どちらも共同体感覚とはほぼ遠い感情です。
人と人を引き離す感情なのです。
自分を取り繕わない
私が考えるには、他者から見下されたりバカにされること=傷つけられることを怖れるあまり、自分を取り繕い、特別な自分を演じているのではないかと思います。
その思いはどこから湧いてくるのか考えてみると、やはり他者を信じることができないことから湧いてくるのだと思います。
自分も他者も信じることができるようになれば、自分を取り繕う必要もなくなり、周りの人たちを仲間だと思えるようになるでしょう。
そして、孤独とは無縁で幸せな人生を送れるのだと思います。
孤独は自ら創り出した状態です。人の輪の中に入る勇気を持とう。