「『いい過ぎる人』は疑うべきだ。いつも愛想良く、礼儀正しく、優しく、気前のいい人は、単なる偽善者かもしれない」
もしかしたら見せかけかも
親切な人、優しい人、愛想がいい人、礼儀正しい人、情け深い人、気前よくおごってくれる人。
そういう人は「信じない方がいい」とアドラーは言っています。
もしかしたら、その人は「見せかけ」だけの偽善者かもしれないというのです。
見分けるのは難しい
弱者を助けることにより、自らが相手よりも上であることを見せつけ、虚栄心を満たしたいだけかもしれません。
しかし、それが見せかけではなく、本当の善人である場合もあるので、見分けるのは困難です。
親切な人、優しい人、愛想がいい人、礼儀正しい人、情け深い人、気前よくおごってくれる人を演じて、相手を欺く場合もあると思います。
善人でありたい
私は富裕層の人間ではないので、気前よくおごることはできませんが、親切な人、優しい人、愛想がいい人、礼儀正しい人、情け深い人でありたいと思っています。
善人でありたいと思って取った行動で、相手から偽善者かもしれないと疑われるのは悲しいことですが、だからといって善人であろうとすことを止めようとは思いません。
アドラー心理学は自分を知るために用いる
アドラー心理学の一番有効な活用方法は、自己分析に用いることだと言われています。
自分を知ることにより、自らを戒めるために、アドラー心理学はあるのです。
自問自答する
私がとる善幸は本当に親切心からなのか?、実は心のどこかで相手よりも上であることを見せつけ、虚栄心を満たしたいという動機はないのか?
この自問自答のためにアドラー心理学を活用できるように、これからも修行していきたいと思います。
そして、その言動の中に利己的なものを発見したならば、しっかり自戒したいと思います。
それは、自らを不幸にする、優越コンプレックスそのものだからです。
よい行いをする際にも「賞賛目当てではないか?」とセルフチェックしましょう。