「『これが正しい共同体感覚だ』という絶対的な真理はない。コモンセンス(共通感覚)がそれに代わるだろう。コモンセンスは、私的感覚に比べて常にほとんど正しい」
共同体感覚の重要性と各論
ここまで私のnoteを読んで頂いた皆さんは、共同体感覚の発揮が人生においていかに重要であるか、ご理解頂けたのでないかと思います。
しかし、問題は各論です。
具体的な日常の場面で、どうすればいいのか判断に迷うことがあるでしょう。
具体例を見てみよう
例えば、自分の子どもが不登校になったとします。
無理にでも子どもを学校に行かせるのことが共同体感覚の発揮なのか、本人が嫌がっているのならば、不登校を認める方がいいのか。
判断に迷う人は多いと思います。
コモンセンスにもとづく
アドラーはこう言っています。
「われわれの科学でさえ絶対的真理に恵まれておらず、コモンセンス(共通感覚)にもとづいている。つまり絶えず変わりつつある」
正確には誰にもわからない、と言うのです。
コモンセンスとは
またまた聞き慣れない言葉が出できましたね。
コモンセンスの意味を辞書で調べてみると「常識」「良識」とあります。
判断は不可能なのか
正解は誰にもわからないということは、判断は不可能なのでしょうか?
いえ、違います。
アドラーはこう言っています。
「コモンセンスによる判断は、常にほとんど正しい」と。
多くの人が「こうした方がいいのではないか」と思うことが、だいたいにおいて正しいと言うのです。
時代により変化する
コモンセンスは時代により変わります。
一昔前に不登校の子どもがいたら、強制的に学校に行かせるのが当然だったかもしれません。
私の子ども時代もそうだったと思います。
現代は、無理に学校に行かせることは、逆効果であるという考え方が一般的になってきているのではないでしょうか。
変わり続けるコモンセンスが判断の指針になるのです。
疑問を持つことも大事
アドラーは「コモンセンスによる判断は、常にほとんど正しい」と言っていて、常に絶対正しいとは言っていないことにも注目したいと思います。
たとえそれがコモンセンスだったとしても、本当にそれで正しいのかと疑問を持って考える姿勢は大事だと思います。
大勢に流されているだけでは、正解を見失う可能性もあるということを認識しながら、判断していくことも重要だと思います。
判断に迷ったらコモンセンスに従おう。