#優越コンプレックス
「社長の子ども、校長先生の子どもなど、社会的地位が高い親の子どもが失敗する例は非常に多い。『親に追いつけるはずがない』と最初からあきらめるのだ」
親の影響子どもは、否が応でも親の影響を受けます。
アドラー心理学は原因論を否定し、目的論を打ち出していますが、親からの遺伝や親が作った生育環境の影響という原因を完全に否定しているわけではありません。
私の場合も、親からの遺伝では色覚異常がありますし、生育環境としては貧しかったので、大学進学と言う選択肢を選ぶのが難しかったということがあります。
自己決定性それらは「影響因(影響を及ぼす原因)」
「虚栄心がない人はいない。しかし、皆、恥ずかしがってそれを隠す。『野心』と呼ぶことで虚栄心を正当化しようとする」
誰にでもある虚栄心「虚栄心から自由な人は誰もいない」アドラーは言っています。
そして、虚栄心はいい印象を与えないため、「大抵は、しっかりと隠されている」と言いました。
様々な方法で隠すあえて慎み深さや謙虚さを示したり、身なりに無頓着なふりをして、虚栄心を隠そうとします。
一般的に虚栄心が強いと思われる人のスタイルと逆をつくろうのです。
私の場合は、きっと他者を優先することで、虚栄心を隠そう
「親によって見せびらかされた子どもは、何の努力もせずに注目と賞賛を浴びることを当然と思う。コンプレックスたっぷりの親子が出来上がる」
過剰な子ども自慢は危険親が子どもの写真やビデオを撮り、家族や友人で鑑賞する。
ごく普通の日常の一コマです。
しかし、それが過剰になると危険が忍び寄てきます。
子どもを過度に見せびらかすのは親の虚栄心であり、優越コンプレックスです。
そして、さらに恐ろしいのは、それにより子どもまでもが毒されてしまうことです。
賞賛を求め続ける親に見せびらかされ、安易に賞賛されることを覚えた子どもは、中毒にな
「女を泣かせるジゴロ、ドンファン。美女を口説くことに情熱を燃やす男、そんな男を振る女。人は性と結婚さえも優越性追求の道具に利用する」
「愛の課題」も優越性追求の道具に本来は、心の安らぎをもたらしてくれるはずの「愛の課題」でさえ、コンプレックスにおちいった人は優越性追求の道具に使います。
彼ら彼女らにとって、異性はハンティングの獲物であり、トロフィーです。
ですから、より「多くの異性と関係を持つことで自分が優れていると信じ」「征服することが勝利と思えるに違いないようなパートナーを選択し」口説き落とそうとするのです。
残念な女
「『霊が見える』『未来を予言できる』『波動を感じる』。特別な能力を持つ人間だとアピールすることで現実逃避をして、敗北感、劣等感から逃げるのだ」
あなたは超能力を信じますか?「私は霊感が強いんです」
「私には未来が見えます」
「私の力で病気を治せます」
こんなことを言う人のことを、あなたは信じますか?
結論から言うと、私は一切信じていません。
神様の存在も否定する無神論者です。
信仰の自由は憲法で尊重されているので否定しませんが、アメリカ人の多くが信仰している、キリスト教福音派は「人間は神様が創造したもので、進化論も本気で否定している
「『私はこんなにも不幸で、みじめなんです』『恥ずかしながら、大失敗を告白します』騙されるな。ただの不幸自慢、失敗自慢である」
不幸をも自慢にする人はありとあらゆるものを優越性のアピールに利用します。
不運であること、不幸であることは、ある種の人たちにとって十分に自慢の種となるのです。
「私には、次々と不幸が襲いかかってくる!」
「なぜ、私だけがこのように不幸な目に合うのか!」
不幸自慢は優越性アピール自分の不幸話を周りの人に吹聴して嘆きながら、自分を悲劇のヒーロー、ヒロインに仕立て上げるのです。
そして、平凡な毎
「『いい過ぎる人』は疑うべきだ。いつも愛想良く、礼儀正しく、優しく、気前のいい人は、単なる偽善者かもしれない」
もしかしたら見せかけかも親切な人、優しい人、愛想がいい人、礼儀正しい人、情け深い人、気前よくおごってくれる人。
そういう人は「信じない方がいい」とアドラーは言っています。
もしかしたら、その人は「見せかけ」だけの偽善者かもしれないというのです。
見分けるのは難しい弱者を助けることにより、自らが相手よりも上であることを見せつけ、虚栄心を満たしたいだけかもしれません。
しかし、それが見せかけで
「派手な服、奇抜な髪型、目立つブランド、大声で笑い泣く、めをそらす、話しに割り込む…。すべて、強い劣等感が引き起こす」
劣等感を持った人は表現するアドラーは「劣等感を持った人が、従順で、静かで、控えめで、目立たない種類の人に見えることはない。劣等感は、無数の仕方で表現される」と述べています。
表現のバリエーション具体的には以下のように豊富なバリエーションをあげています。
「派手な服装」
「流行遅れの服装」
「汚れた服装」
「無作法」
「なれなれしさ」
「英雄崇拝」
「背の低い人や弱い人、病気の人へ命令する」
「
「『有名人と知り合いなんだ』『いい車だろ』『すごい仕事だろ』ようするに、自信がないのである。恐怖の叫びを必死に隠しているのだ」
まわりにこんな人いませんか?「有名人と仲がいいことを自慢する」
「親の血筋を自慢する」
「お金や土地や高級車の自慢をしる」
「自分の成績の良さを自慢する」
「偉そうで態度が大きい」
「躊躇なく上座に座る」
「特別扱いを当然のように要求する」
まさに、自慢、傲慢、自惚れ、優越コンプレックスの典型的な症状です。
私のまわりにもいます「仕事上で有力者と仲がいいことを殊更に自慢する」
「自分の持ち家や
「優越コンプレックスとは、劣等感を隠すために自分を強く、偉く、立派に「見せかける」こと。本当は背が低いのに、つま先立ちで大きいふりをすること」
優越コンプレックスとは優越コンプレックスとは「実際には優れていないのに、優れているふりをする」ことを言います。
アドラーはそれを「背が低い人がつま先立ちで歩く」ことにたとえました。
私でいう所の「実際よりも瘦せてみえるように、頑張ってお腹を引っ込ませている」ことでしょうか。
実際に痩せるために運動をしたりバランスの良い食事摂るなど、生活習慣を改善させるために頑張った方が健全なのは言うまでもあ
「勇気がある人は、努力して険しい道を乗り越える。勇気がない人は、努力を避け、楽ちんな抜け道を探す。抜け道の先に待っているのは、みじめな未来でしかない」
不幸になりたい人はいない多くの人は、優越コンプレックスにも劣等コンプレックスにも、どちらにもなりたくないと思っているいるでしょう。
なぜなら、どちらを選んでも、人生の無益な方向へ向かうことには変わりないからです。
進んで不幸になりたい人はいないはずです。
コンプレックスを選ぶ人とそうでない人の違いは何かアドラーはずばり「勇気」であると述べています
「勇気と自信を失った人の場合は、その目標は
「いばり散らして他者に奉仕させるか、病気や弱さをひけらかして他者に奉仕させるか。どちらを選ぶかは、子供の頃の成功体験しだい」
どうやって相手を支配するか人生の無益な側面で優越性の目標を設定する人がいます。
それが「いばり散らして支配する」優越コンプレックスか、もしくは「泣き言を言って支配する」劣等コンプレックスに陥った人たちです。
優越コンプレックスに陥った人相手に対して力ずくで支配しようとする人がいますよね。
私も力ずくで支配されたいた経験があります。
このような人は優越コンプレックスに陥っています。
今のご時