東京焼 横浜焼 明治の職人
焼き物の感想ではないです。なんかこう、それを作った人たちとの会話のようなものを書きます。
昨日、東京焼・横浜焼の美術展に行ってきました。人形町の人形焼とか横浜の中華街の焼売じゃないんです。焼き物、陶磁器なんです。
ぼくも初めて知りましたが、どうやら明治の頃、東京焼や横浜焼と呼ばれる焼き物が存在していたようなんです。その美術展でした。
明治の万国博覧会で日本の焼き物が素敵!!と、欧米諸国に猛烈な支持を得た日本の人々は、欧米へ輸出するための焼き物をたくさん生産しました。全国から職人さんたちを集めて、手先の器用さを活かした芸術作品を多数作り、そして輸出していきました。
作品のすべてが輸出用だったので、国内にその作品が残ることは稀でした。そして関東大震災をきっかけに徐々にそれらの輸出産業は衰退し、しまいには誰も作る人がいなくなりました。つまりは、いつのまにか幻の焼き物になってしまっていたのです。
それらをすべて拝見してきましたが、たしかに日本人が好みそうなデザインではないタイプの陶磁器が展示されていました。
いや、そういうことじゃないんですよ。そういうことが書きたいわけじゃないんです。明治の職人さんたちがどういう気持ちで仕事をしていたのかって感じをお伝えしたいんです。
明治の脱亜入欧で、「ヨーロッパの真似をしないと侵略されちゃうよ!」という世界情勢のなかで、職人たちが欧米の焼き物の真似をしながらも、日本の技術をふんだんに使い、たくさん売れていく時代。
でも、職人たちはなんか面白くなかったんだろうなっていうことを小さいこだわりの部分に感じました。おもしろくないっていうより、物足りない、って感じていたんじゃないかって思うんです。真似や手先の細かさとかだけが俺たちの技術じゃねぇんだよって、器の向こう側から、半笑いの職人たちが語りかけてきそうです。
こういうことを書くと、僕が焼きものに詳しくて、焼き物の感想を書いているかのようになってしまうんですが、やっぱりそうじゃないんです。焼き物というモノを通して、あったこともない職人さんたちがどんな顔でこれを描いたのか、土を捏ねたのかってことを感じたんです。どっちかっというとその職人さんたちを垣間見せたい。
普通
というと、僕は明治の焼き物の普通がわからないので、ふつうもなにもないんですが、焼き物ってわびさびを代表とするように、主張しない存在感のようなものがあったり、逆に色合いや絵付けで得られるきらびやかな雰囲気とかあるかと思います。そもそも、日本の手先の気用さを利用した輸出商品だったので、鮮やかで細かな色彩のものがほとんどの売れ筋商品だったと思うんです。詳しくないので、わからないですけどね。
東京焼とかっていろいろあるんだと思うんですが、昨日の展示されているものたちから感じたのは、もちろん鮮やかな作品もたくさんありました、でも、「え?!これを輸出してほんとにあっちの人たち綺麗だって思うかな?!」というようなものもあったんです。
「あんたたちがこれを美しいと思うかどうかは、おれたちもわかんねぇよ。でもね、あんたたちが美しいって思うものだけが美しいって思ってもらっちゃ、困るんだよ。それがわかんねぇなら、俺たちのほんとの腕はあんたらにゃわかんねぇだろうね。」
作品から聞こえてくるのは、こういう言葉でした。ヨーロッパの人々にたいしての輸出品で、彼らの価値観に合わせたものを作っていくなかで、職人たちの才能が炸裂したんだと感じました。ヨーロッパの真似をしながらも、物足りなくなり、ヨーロッパに戦いを挑むようなそんなエネルギーがありました。
豪華さやきらびやかなものが好きだったであろうヨーロッパの人々にたいして、美しいものをモチーフにすることは当然だったと思います。けれど、枯れた菊だったり、秋の変色した蓮の花だったり、一般的には美しいとは感じづらいようなものも、見事に表現されていました。あえて枯れてるものをモチーフにするその感性ってすごくないですか?
僕が東京焼と横浜焼から感じたことは、季節や温度や匂いや臭い。そして吹いている風の音や水のなめらかさや鳥の鳴き声でした。
どうです、きれいでしょ?ほんものみたいでしょ?という技巧の先に、ひとつの小部屋があって、その小部屋でいろいろなものを上映しているかのような、そういうことが焼き物の周りで起こっていました。
僕は、鶴の鳴き声を聞いたことがありませんが、まだ明治の頃は日本のそこかしこに鶴が飛来していたのかもしれません。鶴の群れが湿地から飛び立つときにみなであげる鳴き声や、秋の空の(そう感じました)どこまでも透明な空気感。そういったもろもろが壺に閉じ込められていました。
はっきりいってただの焼き物です。割ればただの土の破片です。でもそのなかに、情報媒体なのかというくらいに、五感を刺激する情報が埋め込まれている。これは、ただの手先の器用さじゃなくて、職人たちの遊び心と才能とそれらを実現化できる技術が結集してできたものなんだと感じました。
「へぇ、おめぇさんにもわかるのかい。ほぅ、でもそうやって見る分には簡単なんだよ、語るのは簡単なんだよ。一度やってみな、感想言うなんてなぁ、わかったような口をきく、なんにもわかってねぇ、政府のやつでも、百姓でも、誰でもできることなんだよ。
・・・まぁ、でも、鶴の鳴き声が聞こえたっていうのは、なんだかうれしいねぇ、令和のそっちまで聞こえたかい、鳴き声が。」