祖父の残した、ちゃぷちゃぷ。
むかし、祖父が話してくれたちゃぷちゃぷの話。
戦後、アメリカ軍に占領されていた神戸のホテルに、九州の田舎から働きに出ていた祖父。
ある夜。
3人のアメリカ人兵士に英語で話しかけられます。
田舎から出てきた祖父は英語がわかるはずもありません。相手の身振り手振りで読み取ろうとしますが、わかりません。全く分かりません。
すると3人の中の一人が言いました。
「ちゃぷちゃぷ!」
なるほど!
祖父は合点しました。
早速3人を案内し「どうぞ」と言って自信満々の祖父が扉を開けた先には、大浴場がありました。
それを見て兵士たちは怒ります。違う違う!全然違う!というテンションで。
ちゃぷちゃぷと言われてお風呂に連れてきたのに、なぜ怒られるんだろう、、、と祖父は思ったそうです。
結局兵士たちは、その後の身振りで、食事がしたかったことが分かりました。食堂につれていくと、やれやれ、という感じで兵士たちは入っていきました。
この出来事を、若い日の思い出として、酒を飲んだ祖父は笑いながら家族に何度も話しました。だいたい家族同士の話って、なぜかみんな何度もしちゃいますよね。カーテンの裏でうんちしてたのよとか、私がおむつ替えたのよ、とか。
結局、祖父も、その話を聴く家族も、だれも「ちゃぷちゃぷ」が何を意味していたのか分かりませんでした。
突然ですが、僕は二十歳の頃、アメリカ人の女性と映画を見に行ったり、海辺なんかをドライブしてました。夕日にかざしたジンジャエールみたいな髪の色の女性でした。
彼女に、祖父のその体験の話をしました。そして訊いてみたんです。
「ちゃぷちゃぷ」の正体を。
すると彼女は、
「あぁ、もちろん知ってるわよ。ちゃぷちゃぷじゃなくて、chop chop! 急いで!って意味よ」
と教えてくれました。
謎は解けましたが、ちゃぷちゃぷの謎のことを、祖父や家族にはとくに話すことなく時が過ぎました。
そして、ある年、祖父は亡くなります。
ちゃぷちゃぷについてちゃんと話してあげてたらよかったなぁ、と思いました。
人って確実に死ぬのに、なんでやりたいことを先延ばしにしちゃうんだろう、なんでやるべきことをやらずに過ごしちゃうんだろうといつも思います。そして自分が先延ばしにしてしまうことが分かっていたとしても、やっぱり先延ばしにしちゃうんです。
小学一年生の時の夏休みをもう2度と経験できないように、
アスファルトの上に落ちたソフトクリームをもう一度手の中に戻すことが難しいように、
やりたいこと、やるべきことをするタイミングは、本当は今しかないのに。
でも!やっぱり先延ばしにしちゃうんです。明日があると思ってしまうから。明日に託して期待してしまうのです。
死んだ祖父なら、なんというだろうと、考えます。
そして、あの懐かしい声で、聞こえるんです。
「ちゃぷちゃぷ!」って。