時空を超えて命を助けてもらった話。
祖母が子供の頃近所のおばあちゃんに助けられた話
小学生の頃、母は僕にこんな事を伝えました。
昔。僕の家は母と妹の三人暮らしの母子家庭でした。母は服のデザイナーとして働き、僕と妹の二人を育て、暮らしていました。裕福ではありませんでしたが、貧乏な思いもすることはありません。けれども、どちらかといえば、お金がない家庭だったと思うのです。
小学生の頃。僕が友達と電車で遊びに行くときなど、母はお金を少し多めに僕に渡しました。そしていつも言いました。
「お金がなくて困っている友達がいたら、あなたがその子を助けてあげなさいね。」
そんなにお金がたくさんあるわけでもないのに、なんでそんなこと言うんだろうと、いつも子供ながらに思っていました。どうやら母の母からも同じことを言われて育ったようです。
「友達で困っとる子がおったらあんたが助けんしゃい」
祖母は家族が集まって食事をしている時などにいつも話すお決まりの話があります。皆さんの家庭にもあるかもしれない、その話何度も聞いたよ、というあれです。
その話には、祖母とその継母と、かき餅のおばあちゃんが出てきます。
祖母と継母
昭和10年代の話です。祖母が3歳の時に、お母さんが病気で亡くなりました。残された祖母は母を亡くし、そしてさらに辛い思いを経験していくことになるのです。
父はすぐに親族のすすめで再婚をします。二十代の若い女性が嫁いできました。そのうち、その女性にも娘が生まれ自分の娘の育児に追われるようになりました。すると、継母から祖母への虐待が始まったのです。
言うことを聞かないと、祖母を柱に縄で縛り付け、頭のてっぺんにお灸を据えました。今では「お灸を据える」は比喩表現として使われることが多いですが、この時の継母は本当にお灸を据えました。
祖母が熱い熱いと叫んでも泣いても、「躾」だとお灸をとりませんでした。そしてお灸の火種が髪の毛を焼き頭皮に届いてもそれを取りませんでした。祖母の頭には大きな火傷の痕が今でも残っています。
虐待は続き、満足に食事を与えられない日々が続きました。人に助けを求めることもできない4歳頃の祖母の思い出です。
かき餅のおばあちゃん
空腹からは逃れられないけれど、暴力から逃れる為に祖母は近所の公園で水を飲んだり草を食べたりして過ごすことが多くなりました。
ある日の事、いつものように公園で一人で過ごしていると、公園の隅のほうに一人のおばあちゃんが座っていてこちらに手招きしていることに気づきました。野良仕事の休憩をしているような雰囲気だったようです。祖母はおそるおそる近寄っていきます。
そばまで来ると、おばあちゃんは懐からかき餅を取り出して祖母に与えました。彼女は驚いてそれを受け取ると夢中でそれを食べました。焼いていないかき餅でしたが、おばあちゃんが胸のなかで温めてくれていたようで、硬かったけれども祖母とってはご馳走だったようです。美味しくて美味しくてそれはもう夢中になって食べたばい。そのように祖母は言いました。
それから祖母はその方から何度かかき餅を頂戴し、食べさせてもらえたそうです。
しばらくすると、継母の虐待が発覚。憤慨した親族が祖母を引き取りました。そこで祖母は大切に育てられることになります。
見知らぬ他人
祖母の中のかき餅のおばあちゃんは一言もしゃべりません。ただ祖母に温めたかき餅を食べさせてくれるだけです。特に言葉を交わすこともなく、お礼も求めずにただ祖母にかき餅をこっそりくれる名前も知らないおばあちゃんとしか、分かりません。どこの誰なのか、まったくわからないのです。
もしあの時、このおばあちゃんがかき餅という手段をもって、祖母に寄り添って助けてくれなければ、幼児の祖母は簡単に死んでしまっていたかもしれません。
祖母はあの日のことを何度も家族に語り、そしてその思いを娘に伝え、娘は僕に伝えました。「あなたが助けなさい」と。
日常の中で人にやさしくしたり、人を助けるなんて、忙殺されているとなかなかできません。少なくとも僕にはいつも人に優しくすることは難しいです。とても難しいです。
僕は今、故郷からだいぶ離れた土地にいます。夜のスーパーで買い物をしていると「かき餅」が目に留まることがあります。そして僕はかき餅のおばあちゃんを思い出すのです。
会った事も見た事も話した事もない、おそらくだいぶ昔に亡くなったであろうその見知らぬ他人のことを思い出します。そして、ほんの少しでも人に優しくしたいと、そう思えるのです。
冒頭の写真は祖母と母。母が三歳の時の誕生日の写真です。