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「つくね小隊、応答せよ、」(49)

金髪のチャーリーは、身支度が済むと黒髪のアロに尋ねた。

「アロ、昨日、日本人の女を見たってほんとか?」

アロは、まだ身支度が済んでおらず、手を動かしながら、はい、と頷く。

「で、どんな具合だったんだよ、東京ローズは?」

チャーリーがにやにやと嗤いながらそう言った。
現在、日本は敵国へ向けて、英語でラジオを放送している。
日本で捕虜になっている連合国軍の兵士に棘のある質問をして力のない答えで返事させ、戦場の兵士の戦意を挫くことが目的だ。
その捕虜兵に質問をする女性キャスターのことを米兵たちは東京ローズと呼んでいる。
女性のいない戦場では、憎悪を助長するようような放送をする敵国の女性であろうとも、彼らにとっては刺激になった。

アロは、女や建物が消えたことをチャーリーに話そうかどうか迷った。話せばどうせ馬鹿にされると思ったからだ。
ネイティブアメリカンというだけでアメリカでも戦場でも差別を受けてきた。建物や女が消えたなんてことを言えば、どんなことを言われるかわかったもんじゃない。

「日本のキモノを着た女を見たには見たけど、すぐに見えなくなりました。見間違いってこともあるし、分隊長の考えではなんらかのガスを吸って幻覚を見たって可能性もあるらしいです。それをいまから確認しに行くんです」

アロがそう言うと、チャーリーは面白くなさそうに唇を突きだして、その話に興味を失ってしまった。
そして近くにいるセルジオに話を振った。

「なあ、おい、セルジオ、お前はギリシア系だろ?」

黒髪で髭面のセルジオがめんどくさそうに“ああ”と返事をすると、チャーリーは鼻息荒く矢継ぎ早に質問を重ねる。

「ギリシャの女ってのはどんなんだよ、いいのか?っていうか、お前彼女いんのか?いねえなら、妹とか姉ちゃんとかいねえのか?どうなんだ?目の色は何色だ?胸はでかいのか?」

「ギリシャ系だが、あっちに住んでたわけじゃない、あとギリシャの女はいい、彼女はいない、弟がひとりいて、瞳はグレーで胸は俺と同じくらいだ」

周りの兵士たちが、テントを片付けながらへらへらと笑う。

「別に弟の胸の話なんざ聞いてねえんだよ。ほら、なんかあ、ギリシャ女の話とかねえのか?」

「ああ、まあ、あるっちゃ、あるな」

セルジオが少し遠い目をして、口許で少しだけ笑う。
これは掘ればなにか出てくるぞ、と周りの兵士たちもにやにやして成り行きを見守り始めた。

「聞かせろよ、お前もう準備できてるんだろ?」

まだ若いアロも、チャーリーの向こう側のセルジオの話に興味があるらしく、忙しなく手を動かしながらも、興味津々と言った眼差しでセルジオを見ている。
セルジオは周りの仲間たちの雰囲気を感じとり、タバコに火をつけながら空を見上げて、話し出した。

「親父がアメリカに出稼ぎに来て、同じギリシア系のおふくろと出会って俺が生まれたんだが、おふくろのギリシアの実家には、病気持ちのばあさんがいるもんで、子供の頃から数年に一回は、おふくろと二人で帰ってた」

アロがさらに目を輝かせている。
アメリカの原住民である彼にとって、海外の話はまるで別世界の話だ。自分の経験したことも、見たこともない別の時代の話のようにも思える。
荷造りの終わったアロは、膝を抱えてセルジオの話に聞き入っていたが、耐えられなくなって質問をした。

「すいません、あの、ギリシャって国はどこにあるんですか?」

少年のように興味を持つアロを横目でちらりと見て、セルジオは足元の棒を拾い、地面にブーツを描いた。そしてブーツ靴底の下の方に蛙を描き、ブーツを棒で指す。

「ブーツがムッソリーニ、蛙がギリシャ」

世界地図が理解できている者は、なるほど、と笑うが、ヨーロッパの地理に疎いアロはよく理解できなかった。そしてセルジオは蛙から少し離れたところに小さな点をさらに描く。

「じいさんとばあさんは、このミコノス島ってとこで宿屋をやってる。俺とおふくろは夏の間、そこに泊まって、宿の手伝いをしたり、ばあさんの相手をする。最後に帰ったのが、たしか、アジアの蒸し暑い虫だらけの島を、銃を持って這いずり回る、三年前か」

すでに日は沈んだ夕暮れのミコノス島は、空も海も薄紫色だ。
ビーチの周辺にある観光客用のレストランのテーブルには蝋燭に火が灯され、その傍に添えられたちいさなブーケを暖かく照らす。
海風がレストランやカフェを吹き抜けるたびにその明かりが小さく揺れ、同じく揺れた音色のレコードの音色が柔らかく耳へと運ばれる。

セルジオは寝転がっていたビーチから立ち上がり、背中や尻や手のひらの砂を払った。
宿に止まっている宿泊客たちは食事をして、酒を飲んで、夜の町を散策して宿に帰ってくる。その時間帯には、鍵を出してくれだの、耳栓はあるかだの、ボトルワインを買ってきてくれだのいろいろと騒がしく忙しくなるから、その前に地元民が通う食堂で腹ごしらえをしておきたい。
薄い麻の半袖シャツにチョコレート色のズボンのセルジオは、黄昏のミコノス島の細い裏路地を歩く。
薄紫色の空に、白い壁、白い石畳、青い窓枠。カフェや土産物屋や飲み屋や民家が入り乱れる、細い路地。奥まったところへ行くと、観光目当てではなく、地元民向けの店も数件あった。
いつもは行かない場所へ行ってみよう、とセルジオはぶらぶらと奥まった路地へと進む。どこからか、いい匂いがしているが、店の匂いなのか、民家の夕食の匂いなのか、まだわからない。
そのうち小さな食堂らしきところへ行き着いた。
セルジオは、ふらりと店の入り口をくぐる。

店内は白壁で窓はなく、数枚の絵が飾られていて、釣り下がった電球には、オレンジ色のベネチアングラスの傘が掛かっていた。
コンクリートの床の上には、荒い作りの古いテーブルと椅子が3つ並べられている。10人も客が入れば満席、といった店の作りだ。

「観光客?…じゃあ、なさそうね」

店の奥から、若い娘が出てきて、英語でそう言いながらテーブル席を手のひらで指し示した。セルジオは座りながら、その問いに答える。

「ああ。なんでわかる?」

「観光客なら、生のオリーブを噛んだような顔して店には入ってこないもの」

彼女は、そう言ってにこやかに笑う。優しく下がる目尻、ミルクのような白い歯、小麦畑のように輝くブラウンの髪が印象的だ。

「そうかな?まあ、俺の顔がオリーブを噛んでる顔かはどうかとして、観光客じゃないのは正解だ。で、君は、ギリシア人?」
セルジオはふと思い付いたように、座りながら言った。彼女の英語のアクセントがすごく自然だったからだ。
するとセルジオのその質問に、娘は少し嬉しそうに身を乗り出し、テーブルに手をついた。

「ねえ、どうしてそう思うの?」

「え?まあ、英語がギリシャ訛りじゃないから」

「え?まあ、英語がギリシャ訛りじゃないから」

彼女はセルジオの言葉を、小声で繰り返した。
セルジオが片方の眉を上げ、怪訝そうに彼女を見上げると、彼女は我に返ったような顔をする。

「…もしかして私って、今、…つぶやいてた?」

セルジオが黙って頷くと、彼女は真っ赤な顔を両手で覆い謝罪した。

「ごめんなさい、わたし、その、英語を勉強してるの、」

セルジオはまた黙って頷く。

「それで、その、映画を見に行ったり、イングランドやアメリカからのお客さんが来ると、喋り方をこっそり真似するんだけど、その、それが出ちゃったってわけ。別にからかってるわけじゃないから。
ごめんなさい」

この島では、ギリシア語、イタリア語、スペイン語などが目立つ。自分の祖父母とも母親を介してでなければ意思疎通はとれない。
セルジオも、英語で話せる相手がいて、悪い気はしなかった。

「熱心だな。それまたどうして英語なんか学んでるんだ?ブロードウェイで踊りたいとか?」

セルジオが軽口を言うと、娘は首を傾け、少しだけ肩をすくめて答えた。

「遠からずってとこね、さて、注文は何にする?」

「おいおい!その娘何歳だよ!」

チャーリーが歩きながらセルジオに訊く。周囲の兵たちも、歩きながら聞き耳をたてている。

「19だ」

セルジオは煙草を捨てながらそう答える。
キャンプ地を出て15分ほどだろうか、その間ずっとチャーリーはセルジオの横を歩いている。

「19!??おい、お前ら聞いたか?19だとよ!セルジオ、お前は当時何歳だよ?」

「21だ」

「おいおいおいおい!21と19だとよ!おい!みんな!聞いたかよ!」

チャーリーはよほど興奮したのか、大きなジェスチャーで周囲の仲間たちにアピールして、その勢いのまま、

「で、名前は?」

と訊ねた。

米陸軍は、兵隊の士気が低下しないようにするためにさまざまな工夫をした。そのなかのひとつが「兵隊文庫」と呼ばれるもので、ポケットに入る大きさの本だ。米陸軍はそれを大戦中に1億冊以上印刷している。
内容はさまざまな分野の読み物を雑誌のように1冊にまとめ、兵士たちはそれを携帯した。
知識と出会うという現象は、人間らしさやひいては自分らしさを保つために、必要なことなのかもしれない。
だからこそ、チャーリーも執拗に質問を重ねる。
セルジオは、食堂の娘の名前を訊かれると、めんどくさそうにしながら、もったいぶった発音で答える。

「オフィーリアだ」

「オオ!マイ!オフィーリア!」

チャーリーが芝居ぶった手つきで手のひらを空に向けて差し出すと、周りの兵士たちがにやにやと笑い、マシュー分隊長が大袈裟に拍手をする。

「さて、残念なお知らせがある。オフィーリアの瞳の色や髪の色も胸の大きさの話は、今夜のお預けだ。さ、お次は日本人のガールを探すことに集中しろ」

「やっぱりこっちの調査に来ましたね。狐さんの読みが当たりました」

金長がそう言った。高い木の上で、三匹が米兵たちを眺めている。
昨夕、狐が化かした米兵を先頭に、こちらへ向けて進んで来る。

「それで、どうすんだよ、次は」

早太郎が狐に訊くと、狐は考え込みながら答えた。

「とにかく、渡邉たちと距離をとらせたいので、このまま逆の方へと誘導してゆきます」

「それって、どうやるんですか?」

金長が訊ねると、狐はにやりと笑う。

「日本の私達の化け術の見せ所ですよ!前代未聞です、狐や狸が日本人以外を化かすなんて!」









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