奪い合う世の中にしない
ニュースには何が奪われたかという話が多い。
物や命や権利を奪った話。
学校ではニュースを見なさいと言われて帰ってくる子ども。
けれど母達はニュースは見せたくないと会話する。
良いニュースを見つける方が大変だから。
悪いニュースばかりを見ていると世の中にはそれしかないと思ってしまう。
良い行動も平等に記しておかないと
悪い行動のお手本ばかりを見せる事になる。
覚えてしまうのは
誰かを非難する言葉と罪の種類。
近所付き合いも減ったし子どもだけでお使いに行くことも殆どない時代。
家族以外の大人と接する機会が少ない。
これでは
学校の先生がたまに褒めてくれるくらいでは足りないと思う。
だから
良い言葉が交わされている場面をたくさん見せたいと思う。
優しさのやり方を見せてあげたいと思う。
毎日でも子どもを認めたい。
それからお友達のことも
それから近所の人のことも
それから知らない人のことも。
そうしないと圧倒的に
許容されない時間ばかりが長くなり
寂しいって勝手に思ってしまうと思う。
良いと悪い以外の選択肢が狭まってしまう気がする。
枯れた砂漠みたいになっていると思う。
フードバンクの会場になる
その場所は
シャッター街の一角で
地味でパッとしない。
「今日は雨漏りをしていました」ってメンバーからLINEが入っていた。シャッターも半分開かない。メンバーは修理や補修をしながら利用する。
無償で貸して下さった方は、小柄でソフトでダンディーな骨太精神満載のおじいさま。その場所が繁栄していた頃を知っているそのおじいさまは、今でも大切にその場所を管理する。
私たちは感謝でいっぱいで、いつも有り難い事ですねと話している。
使ってくれることが嬉しいと言って下さるおじいさまに私は思う。
世の中には使っていない土地が山ほどある。
勝手に使える空き地もなくなった。
そんな時代に屋根のある店舗を借りられる有り難さ。
その日暮らしの方はどうだろう。
今日 屋根のある場所で眠れるだろうか。
明日 何を食べられるだろうか。
ここは地図で探しても分かりづらい。
旗があるからやっとわかる場所。
それなのに来てくれる人が毎週いる。
中は賑やかです。
お店という、買うか売るかの法則だけの社会しか知らなかったら
我れ先にと買いたくなってしまうのは当然ではないだろうか。
消費行動しか選択肢がなかったら
あげたりもらったりへの過度な反応が生まれるのではないだろうか。
奪い合わない方法ならある。
奪い合わないように行動する姿を見せることだ。
テレビ局は生き残るか否かの選択ではなくて
放送内容の変化を考えたら良いと思う。
大きな出来事を取り上げなくても
世の中にはニュースには流れないけれど優しい方がたくさんいて
素晴らしい出来事がたくさんある。
奪い合うところばかり
映さないで。