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”厭離穢土 欣求浄土”ー徳川家康さんの人生を変えた言葉ー

”厭離穢土 欣求浄土”

家康さんが戦いに行く際、いつも旗に掲げていた言葉です。

この言葉は、17歳の頃、自ら命を絶とうとした家康さんを救った言葉。平和な世の実現という志を立てる契機となった言葉。

そして56年後、その志を実現させるのです。

今回は、家康さんの人生を変えたこの言葉にまつわる物語を、綴っていきたいと思います。

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時は1560年。桶狭間の戦い。家康さんは17歳。

今川義元さんと織田信長さんが、現在の愛知県でぶつかります。家康さんは幼い頃から今川家の人質として過ごしていた縁で、将来を見込まれた今川方の武将として参戦しました。

しかし、今川義元さんが討死。家康さんも織田方から命を狙われることになります。

辛うじて逃げ込んだのが、愛知県岡崎市にある大樹寺というお寺。

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ここには、家康さんのご先祖様方のお墓があり、
家康さんはお墓の前で自害をしようとします。

家康さんのお祖父さんやお父さんは、家康さんが幼い頃に既に暗殺されてしまっていました。その上、頼りにしていた今川義元さんまでもを失ってしまった家康さんの絶望は想像を絶するものであったでしょう。

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家康さんが自害をしようとした時、ある人物が彼に言葉を授けます。
大樹寺の住職 登誉上人(とうよしょうにん)です。
その言葉こそが

厭離穢土 欣求浄土

穢れた土地を厭い離れ、欣んで(よろこんで)浄土を求める。

登誉上人は浄土宗の書物『往生要集』からこの言葉を引用し、家康さんを諭します。
あなたが為すべき事は、穢れた戦国の世で悲しんで命を絶つことではない。穢れた戦国の世を厭い離れ、欣んで浄土のような平和な世を求め、実現することこそがあなたの使命である

その言葉を聴いた家康さんは、心を改め、立志。岡崎城へ入城し、天下統一への第1歩を踏み出しました。

そして家康さんは、自分の人生を変えた言葉 "厭離穢土 欣求浄土” を一生涯、戦いに行く時の旗印として掲げたのです。

17歳の頃に出会ったこの言葉は家康さんにとって、戦国の世に生き、戦う理由であったと言えるかもしれません。

大阪の陣に勝利し、平和な世をもたらした翌年、
家康さんは、この世を去ります。
まさに平和な世の実現に捧げた人生でした。

P.S. トップに載せた写真は、静岡県 久能山東照宮 横の駿河湾の写真です☺
駿河は家康さんが大好きな場所だったのだろうと思います。
家康さんも、久能山東照宮に眠りながら 素敵な海を感じているのかなぁ(*^▽^*)

こちら↓↓では、家康さんの好きなところを語っています♡


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