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自己紹介(2022/10/23更新)
2つのアカウントに分けていたポジティブ側面とネガティブ側面のピースを、同じ一人の人間のこととして統合
今日は、私の新たなステージの始まりの日です。
なぜ、新たなステージなのか?
それは、本日をもって、これまでの「ピースの裏側」と決別し、
新たな名前とプロフィールを公開した日だからです。
本日以降、これまでの「ピースの裏側」は、
「ピース|50代が自分らしい人生を送るために」
として再スタートします。
同時に、ピースの表の顔として並行して記事を書いていた、
「ゆる~いへらぶな釣り」
については、「ピース|50代が自分らしい人生を送るために」に一本化することに伴い、過去の記事を移植し、今後のへらぶな釣りに関する記事の投稿も、こちらの中で行っていきます。
したがって、「ゆる~いへらぶな釣り」アカウント中での更新は終了とさせて頂きたいと思います。
・何故2つのアカウントを一つに統合しようと思ったのか?
このような決断をした理由は大きく3つあります。
これまで表の顔、それから表に見せたくない、裏(というか、ネガティブな面も赤裸々に晒した)の顔のいずれも、同じピースという一人の人間が同時に持っている側面であり、一体不可分のものであるため。
「表の顔」としてへらぶな釣りのみに特化した内容の記事では、へらぶな釣りに興味を持っている、趣味にしているという極めて限られた範囲の方としか繋がりが持てないことが勿体ないため。
テクニカルな点として、投稿する記事のカテゴリーは、noteのマガジン機能を使えば、それぞれ別のカテゴリーに興味を持っている方に対しても、マガジンを見て頂ければ、それぞれの記事同士の話の繋がりが分かるようになっているため。
本当は、「ゆる~いへらぶな釣り」で投稿した記事を全て複製し、「ピース|50代が自分らしい人生を送るために」に貼り付けしてしまえば、後々各記事を編集する時も楽かな。と思ったのですが、
それって簡単には出来ないのですね。
【読み飛ばしOK】メインにしていたアカウントの投稿内容をもう一つのアカウントの記事に統合するのが面倒臭かったという話
というのも、同一人物が2つのアカウントを使用する場合、例えば、それぞれをアカウントA、アカウントBと呼ぶことにすると、
アカウントAにログインした状態で複製した記事を、アカウントBも同時にログインして貼り付けることが出来ないためです。
これまでも、アカウントAで記事を1本投稿した後、引き続きアカウントBでも記事を書き、投稿するためには、
アカウントAをログアウト
アカウントBにログイン
アカウントB内で記事を作成・投稿
という手順が必要なため、アカウントAログイン中に複製した記事を、アカウントB上に貼り付けることが出来ないのです。
このため、最初に移植を試みた2記事については、一旦Googleドキュメント上にコピーした記事を貼り付け、アカウントBにログインしてからそのドキュメントを複製&貼り付けし、見出しや文字の体裁を修正する。という作業をやっていたのですが、これがかなりの手間。
文字数や写真の数、埋め込みリンク数が多い記事だと、微調整にそこそこ時間が掛かってしまいます。
そこで、過去のゆる~いへらぶな釣りの記事は、編集は出来ないですが、単純にこちらのアカウント上で「ゆる~いへらぶな釣りの記事」を検索し、マガジンに追加することにしました。
そして、ゆる~いへらぶな釣りのこれからの新記事は、こちらのアカウントの中で作成・投稿することにします。
ここまでが、10/23時点の更新情報になります。(「自己紹介」というより、事務的なお知らせのようですが・・・)
これからも、引き続きどうぞよろしくお願い致します。
ピースの裏側(2022年8月上旬、自分の心の整理のためにネガティブな話題を投稿していたアカウント)での自己紹介です。
noteで記事を書き始めて1か月が過ぎました。
そこで今日は、改めてきちんと自己紹介をしたいと思います。(今更ですが・・・)
ピースの「表」と「裏」
この「ピースの裏側」というアカウントをスタートした当初は、適応障害による長期欠勤期間が1か月経過した頃で、日々の自分の気持ちを自分の中だけに溜め込んでいるのが苦しくなっていた時期でした。
実は、この「ピースの裏側」という名前の由来にはある意図があります。
私の記事を読んでくださっている方の中には、「「裏側」ということは、もしかして「表の顔」もあるってこと?」
と、察しの良い方もいらっしゃるかもしれませんね。
はい、その通り、ピースにはnote上での表の顔もあるのです。
ゆる~いへらぶな釣り|ピース
https://note.com/fair_auk916
こちらについては、「ピースの裏側」の約1か月前にスタートしました。
私は同年代の知り合いの方に言わせると結構多趣味なようで、
魚釣り(特にへらぶな釣り)
キャンプ(オートキャンプ、ソロキャンプ)
ソロ焚き火
一人鉄道旅(乗り鉄、撮り鉄)
旅行(国内・海外を問わず)
食べ歩き
カフェ巡り
といったものがあります。
これら全てに共通することですが、いずれもマニアックなところまで知識を持っていたり、年がら年中膨大なお金をつぎ込んでいる訳ではありません。ごくつつましやかに、身の丈に応じた楽しみ方をしています。
月々妻から貰うわずかな(と言ったら怒られるかな)お小遣いで捻出できる範囲ですので、例えばへらぶな釣りで言えば、多くてもせいぜい月に2回、週末土日のいずれか、という頻度です。
鉄道旅については、計画を決行するまでになんと40年掛かりました!(今回は特殊な事情があったため一人鉄道旅を決行しました。この辺りについてはまた別の機会にお話したいと思います。)
特にへらぶな釣りには特別な思い入れがあるため、表の顔ではへらぶな釣りについてのブログを少しづつ書いています。
↓ ピースの自己紹介
https://note.com/fair_auk916/n/nab5bb4572b8e
一方、「ピースの裏側」は、表の顔ではあまり見せられない、日々の心境や心の葛藤、主にネガティブ系の内容を言語化し、自分の頭の中を整理するために立ち上げたアカウントです。
このため、語り口は基本的には「常体(・・・だ。・・・である。など)」になっています。
なぜネガティブな内容ばかりnoteで一般の方に晒す必要があるのか。自分だけ読めればいいのなら、人に見せない日記でも書けばいいじゃないの?
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
あえて自分の恥ずかしい部分を晒すようなことをしている理由は、「もしかしたら、自分と同じような環境下で苦しんでいる人や、同じ思考の特性を持つ方が世の中にはいるかもしれない。そんな人達から見て、自分ってどういう風に見えるのだろう。」ということを知りたい。
そして、もしかしたら、自分の考え方や特性に共感したり、自分の考えたり、行動したりしたことから何か気づきを得る人がいるかもしれない。と思ったからです。
人に何か教え授ける、と言った、上から目線の説教まがいの事をするつもりもないですし、専門的に心理学や精神医学を学んだカウンセラーでもありませんので、偉そうなことを言うつもりは毛頭ありません。
ただ、自分のようないい年をしたアラフィフおやじでも、「へぇ、中年のおじさんも、そんなことを悩んだりするんだね~。」とか、「そういう思考回路になっているのか。」となど、客観的に観察して頂き、そこから読者の皆さんが何かの気づきを得たり、「私ならそんなことはしない!」と反面教師になったり・・・等、何かのお役に立てたらいいな。とシンプルに考えています。
自己紹介(2023/01/29加筆)私の生い立ち~大学入学までの話について加筆しました。
私は現在52歳、妻と娘2人(大学生と高校生)と暮らす4人家族です。
私の生い立ち~大学入学までの話については、以下の記事をご覧ください。
以下では、大学卒業後のお話をしています。
大学卒業後の私の人生の歩みについて
同大学卒業後、そのまま同じ大学の大学院に進み、修士課程を修了。一応理系ですが、自分としては理系的な論理的思考にはむしろ苦手意識を持っています。
大学院終了後、上京し27年間、会社員をしてきました。
これまでの間、2回転職し、今は3社目です。
いずれの会社も社会インフラに関わる事業を行っている業界で、会社員になって10年目以降は海外出張の多い仕事をしてきました。
とは言え、もともと英語が得意だった訳ではなく、そこに至るまではかなり苦労しました。
1社目の会社での話(概要)
1社目では、上司の指示で会社の海外大学院留学制度の候補生に応募させられ、本人の自信のなさとは裏腹に社内選考をあれよあれよと通過してしまい、候補生になってしまいました。
そこからは本当に地獄でした。アメリカ、イギリスの経営大学院合わせて10校ほどに出願し、辛うじてイギリスとアメリカの経営大学院1校ずつに合格し、最終的にアメリカの大学院の方にMBA留学しましたが、その代償に過労で上の前歯1本を失ってしまいました。
留学の話は、また別の機会にお話したいと思います。
留学からの帰国後、初めて海外出張に行った国がアフリカにあるサブサハラ地域のとある国でした。
それを皮切りに、年間の1/3ほどは発展途上国に出張するような仕事が1回目の転職後の2社目の会社在籍時代も合わせて10年ほど続きました。
2社目の会社での話(概要)
2社目在籍当時、出張中のホテルや、帰国中の自宅に缶詰め状態になり、国家資格の技術士取得の準備を続け、3年という最短期間での合格を得ました。合格の知らせを聞いたのは、これまたアフリカのとある国に出張していた時でした。
2社目では技術士資格を取得したことがきっかけで管理職に昇進したものの、上司(役員)によるパワハラ、部下からの突き上げ、会社の中で自分の専門分野への協力が得られなかったことなど、様々な心労が重なりメンタルダウンの一歩手前に陥り転職しました。
3社目の会社での話(概要)
そして今の会社に入社し、3か月後には管理職に任命されました。この会社には3年半在籍していますが、驚くべきことは、累計退職者数が、全社員数を上回るほど離職率が高いということです。
私が入社してから今までの間に、自分が知る限りでも少なくとも70名以上(ちなみに全社員数はその倍程度です)の社員が退職しています。
社員の方々はほぼ100%キャリア採用で、新入社員はいません。
皆さん前職は有名企業出身で大変優秀な方ばかりなのですが、そんな人達でもこの会社には長く生き残れません。
この会社の恐るべきところは、管理職に昇進すると、あるポジションを境にほぼ全員がその職務に耐えられず辞めてしまうということです。
私もかつては管理職でしたが、その重責と上司のパワハラに耐えられず、自ら管理職を辞退し、部下を持たない管理職になりました。
しかし、蓄積された上司から受けたパワハラのダメージがボディーブローのように私の心身を蝕み、最初に体の不調を来し、次に心が崩壊する寸前に至りました。
この状態になるまでに、1度カウンセリングを受け、カウンセラーに状況はお知らせしていましたが、最も直近の2回目のカウンセリングを受けようと思った当時は既に希死念慮が出ていた危険な状態でした。
カウンセラーの方から、「すぐに産業医の面談を受けてください。」とアドバイスを受け、翌日産業医のアポを取り面談をしたところ、「すぐに仕事から距離を置きましょう。一刻も早く心療内科を受診してください。」と指示を受けました。
そして人生初の心療内科受診によって、主治医から「適応障害」と診断を受けて、現在は長期欠勤状態にあります。
ここまでの内容の一部は、過去の記事でも一部お話しています。
2022年9月、無事復職を果たしています。
現在は、【52歳が自分らしく生きるために】というテーマで、アラフィフ責任世代のあたなに向けて、自身の経験と気付きについてお話させて頂いています。
私の性格について
私の性格・特質を自己分析してみると、以下のような特徴があると考えています。
上司、部下、他人からの評価を非常に気にする
常に良い評価を得る、他人の期待に応えるために頑張り続けなければならないと考えている
他人から低い評価を受けることを極端に恐れている(いた)
上司や同僚達による、細かい文章の言い回しの違和感や業務成果物の品質が不快で我慢できない
自分の能力を他人のそれと比べて劣等感を感じ、自己肯定感が極めて低い
オフィスでの他の人間の話し声や電話での会話が気になり、自分の業務に集中するのが難しい
人から依頼されるとなかなか断れず、無理をしてでも引き受けてしまう
自分が一杯いっぱいの状態で本当は誰かに助けて欲しいにも関わらず、お願いされる相手の都合を考えて申し訳なくなり、遠慮して助けを求めることが出来ない
上司から週末や深夜にでも指示があると、すぐに対応・返信しなければならないと自分を追い込んでしまう
自分が責任者を務めるプロジェクトチームのメンバーがミーティング時に積極的に意見を出したり資料を作れない(自分が期待する働きを出来ない)と思うと、指示をするよりも自分がやった方がいい。と、どんどん仕事を抱え込んでしまう
何か一つのタスクに集中しようとしている時に限って、他の心配事が頭にどんどん浮かんできて、思考がまとまらなくなってしまう
何事も悲観的に、悪い方に考えてしまう傾向がある
欠勤期間が始まってからというもの、自分のこの性質は何処から来ているのかを知るすべはないか、と、図書館や書店に足を運んでは、心理学や、精神医学に関する書籍を読み漁りました。
そんなことをしている内にふと思い当たったのが、「もしかして、自分はHSP(Highly Sensitive Person:生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」)なのではないだろうか?」ということです。
よく、HSPに関する書籍を読むと、自分がHSP気質かどうか判定するための一連の質問がありますが、自分の場合、それに応えていくと、HSP的な特性があると判定されるだけの項目が当てはまります。
しかしながら、もう少し慎重に考えてみると、HSP気質と言うのは生まれつきのもの、とされているのに対して、自分の場合もそうだったのかやや分からない点もあります。
何故なら、物心がつくまでの年齢の時に、HSPの兆候があったか自分では分からないためです。(もしかすると、親に聞いてみたら何か分かるかも知れませんが、今更こんな事を聞くのには何となく抵抗があります。)
これまでの自分の人生を振り返ってみると、幼少期の自分と母親との関係において、HSP的要素が植え付けられたのではないか、と思う出来事の記憶が非常に多くありました。
もし、このような後天的に植え付けられたもので、そういうものはHSP気質ではないのだとすると、自分の気質は一体何だろうか?と、よく分からなくなります。
私は、当時住んでいた地域の他の家庭の子供達と比べて、厳格なしつけをする母親に育てられました。幼少期の自分と母親との関係については、以前、記事に書きました。
傍から見ると、もしかしたら、「国立大学の大学院出て、名前の知れた会社に入り、MBAを持っていて、技術士資格を持っていて、英語が話せて、管理職まで経験して、それなりの社会的ステータスを経験している人が、何の不満があるのですか?」
と疑問に思われるかもしれませんが、それはそこに至るまでに自分が味わった苦労や挫折を知らずに結果だけを見ているから言えることであって、自分は決して人よりも優れてもいないし、むしろ人より劣るからそれ相応の苦労をしてようやくたどり着いたものだったのです。
しかしながら、その上り詰めたピークは、今思うと自分にとっては相当背伸びをした分不相応な場所であり、本当の自分があるべき姿とはかけ離れている。ということに気が付きました。
今は、会社でもう一度前のポジションに返り咲きたい、という野心もないですし、自分がいる場所はここではない。という認識を持っていて、如何にして本当の自分らしい生き方を実現できるのか、を考え、その手段を構築しているところです。
その過程に私はとてもワクワクし、あれもやりたい、こうしたらどうだろう、と次々にやりたいことのアイデアが浮かび、熱量が上がります。
勿論、途中で行きつ戻りつ、悩むこともありますが、今までやってきた仕事で感じてきた悩みとは全く種類を異にするものです。
人生100年時代の折り返し点に差し掛かった私ですが、この50年間、「他人軸」で人生を歩んできました。だから、ここまでよく耐えてきたなぁ。と自分を褒めてあげたいと思います。今まで自分を褒める。という思考は持ち合わせていませんでしたが。
残りの50年は、「自分軸」の人生を歩みたい。
そう考えています。
長文になりましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました。