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また人と比べている自分、それやっちゃダメでしょ

今日は、noteで様々な人の記事を読みました。

・多面的な話題に溢れている人

・文章の型がしっかり出来ていて論理展開が明快な人

・これ是非やってみるといいよ!と日々新たな気づきを与えられる人

・言葉の力を自在に使いこなし、珠玉の言葉を織り上げて人を感動させられる人

・日々多くの人の共感を呼ぶ考え方、生き方をしている人

世の中、こんなに多くの才能や能力を持った人がいるんですね。

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自分より遥かに若い人でも、しっかり自分の意志を貫いていたり、人に影響を与える発信をしている人達がいます。

今私は50代ですが、今のご時世、私が若かったころに常識だと思っていたことが若い世代の人達からは「ナンセンスだ」とか、「そんな考えはもう通用しない」と一蹴されることが多いですね。

「時代遅れの頭の年寄りは引っ込んでろよ!」

「IT技術を駆使できない世代の人達はもう会社から去ってください」

そんな容赦ない言葉を投げつけられるのかな。

でも、今や「ぬれ落ち葉」(これも死語ですね。)に足を突っ込んでいこうとしている私らの世代の人間も、

20代、30代の頃は、その当時の中高年の人達に対して、今となっては失礼極まりない言葉を同僚達と吐いていました。

「今時、ワープロ専用機しか使えないなんてありえない。いちいちパソコンの使い方聞かれてばかりで、こっちの仕事が進まないよ。給料泥棒の中年オヤジが!」

なんて具合に。

当たり前ですが、自分にも、まだフレッシュで、野心を持ち、上を目指し、競争に勝ちたい、と思っている時期がありました。

ですが、年々自分よりも新しい人達が社会人の仲間入りをし、新鮮な頭脳、新しい考え方、新しい情報、技術が古いものに取って代わっていきます。

そして社会人になって30年以上経過し、ふと我に返ると、昔自分が不満を持ち、時代から遅れていく様を見て憐れんでいた人達と同じ世代になっていました。

この、憐れまれる、或いは、今の若い世代の方々からの感覚では、相手にすると面倒臭い、話の通じないと煙たがられる中年世代になった今の自分が逆に今の世の中を見ると、

「頑張って新しい社会、情報、技術から取り残されないようについて行かねば。」

という焦りを感じます。

でも、落ち着け、自分。

私は人からどう思われるかという他人の評価を気にするのはもうやめよう。と考え直していたのでした。

日本人全員に1番からビリまで順位をつけて、自分がそのランキングの何番目に居るかが分かったところで、そんなことには何の意味もありません。

自分が他人より優れている、とか、人よりも文章を書くのが上手いとか、フォロワー数が何万人いるとか、そんな比較をしても仕方がないのでした。

なぜなら、それを知ったところで、私としては、自分が幸せだとは思わないからです。

あくまで、今は自分が自分らしく生きること(ゆくゆくは、自然の中で好きなことをして、シンプルに生きる)を目標に、そのための手段を作り込んで行っている道の途中にいるのでした。

その道中で、日々自分がどんな気持ちでいたのか、後で振り返った時に忘れてしまわないように、道端に目印を置きながら歩いているのです。

他人は他人、自分は自分。
無理に背伸びをしたって仕方がない。

凄い人のことは、素直に、「凄いね」、「素晴らしいね」と認めつつも、
自分を卑下することはないんだった。

凄いなぁ。と思う価値ある情報を発信している人がいれば、
それを自分も取り入れられて、自分がより良い方向に進んで行けるなら
それでいいじゃない。

年なんて関係ない。
人生長く生きていたって、知らないことは当然あるんですよね。

だから、自分より短い人生しか歩んでいない人が
自分の知らないことを知っていたら、

恥ずかしがらずに教えて貰えばいい。
何も人生の先輩風なんか吹かせて虚勢を張る必要なんかない。

深呼吸して、今の自分を、視座を高くして俯瞰しよう。

よし、ポジティブな気持ちに戻ってきた。





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