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神に頼らず人に頼る日々の頼りなさ

私はずっと人を頼ってきました。
なにか起こると、神さまに、先ず、祈る…のではなく、誰に相談しようかと、人選に四苦八苦。
この人!と決めると、とことんその人に食らいついてました。
人間に頼るのですから、頼られた方も、まんざら悪い気もせず、付き合ってくれました。
そして、アドバイスしてくれるのですが、なんか違うなあと思いながらも実践し、時にはうまく行き、時には悪い方に働き、また、あるときは、(それができないから頼ってるのよ!)と心のなかで思いながら応じていました。
しかし、何より、私が人を頼っていたのには、理由があります。
それは、答えがすぐ返ってくるから。
神さまは?
すぐにお返事くださるときもあるかもしれませんが、往々にして、遅いです。
沈黙されてるのか?と思うくらいです。
私は、それで、神さまなんていない!!
こんなに苦しんでいるのに!
こんなにさみしいのに!
こんなに、こんなに!!
と、思ってきました。
すぐに、劇的に、いま、問題が解決してくれることだけを、私だけが楽になることだけを、願っていたのです。
神さまの解決の方法は、きっと、誰もが、私の問題に関わるすべての人が、幸せになる解決なので、時間がかかるのだと思います。
34年の間に、私は何度、神さまなんていない!!と断言したことでしょう。
神さまは、そんな私を、忍耐強く、愛してくださっていました。
なんと寛容な、なんと深い愛でしょうか!!
人に頼りすぎ、人に裏切られ、疲れ果てた私を、放蕩息子のように帰ってきた私を、ただ黙って抱きしめて「おかえり」と言ってくださったのは、神さまでした。
何と慈愛に満ちた、太っ腹な神さまでしょう。
たしかに、私は、放蕩息子のように好き勝手しました。
ただ、もう何もなくなって、父なる神さまのもとへかえることしかなかったのです。
当時、抱えていた問題は、すっかり解決したとは言えませんが、たしかに、神さまの介入があって、平安が与えられています。
今では、問題なんてないとは言えません。
平安に暮らしていても、突発的なことに、心を奪われ、うろたえ、恐れおののき、ひたすら祈ることがあります。
神さまは、時間をかけて、私を癒やされます。
思いがけない方法で、平安をくださいます。

私は、ただ、平安が欲しかったのです。
安心が欲しかったのです。
愛が欲しかったのです。
神さまは、目に見えないし、触れることもできないけれど、たしかにおられて、いつもそばにいてくださることを、今、私は感じていられ、感謝でいっぱいです。

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