リスペクト


僕は、この世の中にいるすべての人をリスペクトできる人間になりたい。


最近、神経科学の本を読んだ。

「認知コスト」という言葉がある。人の脳が新しいことを知ったり、学習するといった認知作用をする際に必要とするエネルギーのことだ。

人の脳に与えられるエネルギーは認知コストを抜いた、日々のルーティンをこなすだけでギリギリなんだそう。つまり、エネルギーという側面から見ると脳は新しいことを知りたくもないし、学習もしたくないというのが本音なのだそうだ。


このことによって起こることは、「排除」だ。一つのコミュニティがあったとする。会社でも、家族でもなんでもいい。そのコミュニティには、ルールがある。そこに、ルールを知らない新参者が現れるのだ。

短期間なら我慢できるが、長期間となると「ルール違反」が目につくようになる。ではどうするか。①排除をするか、②コミュニティのルールを新参者に押し付けるか、③新参者にあわせてルールを作り直すか。

①から③にいくにつれて、起こりにくくなる。往往にして、コミュニティ内で立場が強いものに決定権があり、認知コストの支払いは弱い人たちに押し付けられる。

合理性が正義である理由。それは社会をはじめとするコミュニティが合理性というルールを持つことで認知コストを低減するためだろう。


みんな自分たちがよければいいのだ。


僕は、合理性が判断の基準になるところでは活躍ができる。というより、僕が入ると、どんなところでも僕にとって合理的になってしまう。なぜなら、僕は声が大きく、そのコミュニティに沿って合理的に物事を説明できてしまうからだ。つまり、コミュニティに入って時間が経つと、コミュニティが自分色に染まってしまう。

これは決して自慢話ではないのだ。本当に嫌なことだ。僕は本気で頑張っていることには変わりがないが、その分、誰か我慢している。認知コストを支払っている。もしくは、排除されている。


教育だって、恵まれない子供達、とかいろいろなワードはすごく気持ち悪い。ルールを変えることなく、認知コストを支払うことを受け入れず他人に押し付ける。一番気持ちが悪いのが、こんなことを書いて被害者ヅラしているところだ。



どうすれば、みんなをルールなど取っ払って無条件にみんなをリスペクトできるようになるのか。今日も、わからなかった。

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