PADを知ってもなお手作業を続けるのはなぜか?
無事に(?)PADを使ってコピペ作業を自動化する勉強会第1弾が終了しました。少なくとも参加者は(途中で離脱した人を除いて)、これまで行ってきた手作業がボタン一つ押すだけで終わるものであり、しかもその自動化フローは各自で作ることができるということが分かりました。内容がすべて理解できたかできなかったかは別として、見よう見まねでも自分でアクションを並べてみたし、最後に実行ボタンを押して各自のPCでExcelが自動で動いたことは確認済みです。
にもかかわらず、なぜ自分の仕事に使わないのか?ということについて今日は書いてみようと思います。
研修受けっぱなし問題
よく、会社などで従業員に業務に役立ちそうな研修を受講させた。でも研修から戻ってきてもそれを実際の業務に活かすことはできませんでした、という話をききます。こうなってしまうのは以下のような3つの理由からだと思います。
研修で学んだ学んだ内容が理解できておらず、一人では使えない
研修で学んだ内容が実際の具体的な業務にどう役立つのかが分からない
忙しいので、慣れるまでに時間のかかる新しい方法を取り入れることができない
1つ目の理由は確かにあるかもしれません。今回の勉強会でも、変数や繰り返しといった自動化に欠かせない考え方やその使い方をしっかり理解しているな、という手ごたえは正直言って私は感じませんでした。
2つ目の理由は今回に限っては当てはまりません。なぜなら参加メンバーが日頃から手作業で名簿作りをしていることが分かったうえでそれを自動化する方法を学ぶ勉強会でしたし、参加者たちも「自動でコピペできる方法があるなら知りたい」と言って参加したからです。
3つ目の理由はまあ、何事においてもやらない人がその理由として「時間がない」ことをあげるのは王道中の王道なので、当てはまるといえるでしょう。ただ、彼らは全員一度は自分でフローを作り、実際に動くところを各々自分の目で見ています。自分の業務に取り入れるために全部一から学びなおす必要はなく、勉強会で作成したフローをコピーして使うことが十分可能で、そのための時間など1時間もあれば足りる(と思う)はずなのに、それでもなおやらないのはなぜか。ここには単なる「やる気」の問題以外に複雑な心理的要因があるような気がします。
単に「やる気がない」では済まない複雑な理由
以前このnoteの中で、この組織について「年功序列で非常に権威主義的かつ旧態依然とした組織」であることに触れました。このような環境で長い期間を過ごし、その在籍年数の長さゆえにある程度の職位を得ている従業員が「未知のことに挑戦し自分の無知や不理解が明らかになること」は絶対に避けたいと思うことは想像に難くありません。彼らにとってこれは、職位や立場に裏付けられている自分の「面子(メンツ)」や「威厳」に関わる問題だからです。
こういう従業員は自らの権威を保つことに強い関心を持っている、というか固執しています。加えて、その自分はスキルや能力が高い(高くなった)からその職位を得たのだと勘違いしています。自分のスキルや能力がここまでになったのは、熟練の域に達するまで長年同じやり方(=手作業)を続け、そこに莫大な時間と労力を費やしたからだと信じている彼らにとって、同じことがボタン一つで30秒で終わるPADを採用するということは、これまでずっとやってきた作業自体「価値がなかった」と認めることであり、その価値のない作業を続けていた過去の自分と、それによって職位を得ている現在の自分の存在意義が崩壊することを意味します。つまり彼らにとっては「便利な道具を使うのか使わないのか?」という単純な選択の問題では済まない、アイデンティディーの問題にまでなってしまうということです。
自分が長年やってきたことを無価値だと認めることは感情的に非常に辛く痛みを伴うので、その痛みを避けるためには現状を維持するしかなく、あえて変化を拒む行動を取っているのかもしれません。「『この作業はPADを使えば30秒で終わる』と頭では理解していても、感情的にそれを受け入れられない」という人間としてある意味仕方のない反応です。
若手も変われない
上記の理由で在籍年数の長い人がPADを使えないことはある程度理解できるでしょう。では、在籍年数がさほど長くない比較的若い人も勉強会後にPADを使うことがなかった理由をどのように考えればよいでしょうか。職位も高くないし権威もない。感情的にしがみつくべきものなど何もない彼らのような人たちまでが、使えば絶対にラクになると分かっている方法を採用しないのはなぜなのでしょうか?
一般的に、新しいことはたいてい不確実です。挑戦して成功するか失敗するかはそれが本当に新しく未知のものであればあるほど誰も分かりません。人間は安定した状態に安心を感じるので、安心とは真逆の感情である不安を抱くようなことやリスクを避けるために現状維持を選ぶようになります。特に年功序列の旧態依然とした組織では、在籍年数の長さと「これまでと同じことを滞りなくうまく回せるかどうか」で評価が決まるため、在籍年数の短い人がうまくやるために新しい方法を採用したところでさほど加点されませんが、それが失敗したときには「従来どおりにできなかった」と確実に減点されます。そういう環境では失敗するリスクや失敗したときの他者からの批判や評価に対する不安や恐れが大きければ大きいほど、現状を変えようとする意欲が低下します。これは理解できます。
しかし、ここでよく考えてほしいのは、PADによるコピペ作業の自動化に関して言えば全く新しいことではないし失敗もリスクもないということです。なぜそう言えるかというと、すでに私が実際に試したことであり、やり方も結果も分かっていることだからです。PADを使えば確実に自動化できて数時間の作業が数十秒に短縮できる、ということは明白なので、採用することのリスクはゼロだし不安要素もないはずです。
最後に残るのは理解度か
「リスクなし」「業務に役立つことは明白」「時間もかからない」それでもなお自分ではやらないのは、つまり「やれない」からということでしょう。勉強会で実際に自分でフローを作って自動化を体験したにもかかわらず実際の業務で使わないのは、やはり理解度の問題なのかと思いました。勉強会ではとりあえずお手本を見ながら、サポート役の人のアドバイスも得てフローを作ることはできましたが、これは「やってはみたけど理解したわけではない」という状態です。特に変数や繰り返しといった最もカギになる部分は理解できていなかったので、このまま自分でアレンジや応用を加えながら実際の業務で使うまでには至っていないという可能性があります。
しかし、こういう新しいものを最初から完璧に理解している人などいませんし、その必要はありません。ChatGPTも含めて新しいツールは実際に手を動かしながら、分からないところを都度調べたり学んだりしながら、試行錯誤して理解していくものだと思います。一度聞いてすべてを理解できる人などそうそういるものではありませんので、教わったものを自分で復習しながら自力で習得していくものだと思います。厳しいようですが「完全に分かるまで教えてくれなければできない」という考えは、大人としては甘えとしか言いようがありません。
やる気のない人をやる気にさせることは不可能
私には、年配社員の「アイデンティティー崩壊を避けたい」という感情的な問題はどうすることもできません。自分がこれまでやってきたことが無価値だったと認めることは、確かに辛いし勇気のいることです。リスキリングでよく言われるアンラーニングの難しさはここにあるのかもしれません。
しかし、新たなことを習得したいと真剣に考える人であれば、これまでやってきたことが無価値だったと認めた上で、新しいスキルを身につけて価値のあることをやろうと考えるはずです。本当に変わる覚悟を持っているなら、過去のやり方に固執せず、自分の価値を再定義して、新しいことに挑戦すると思います。
一方で、そうした問題が少ない若手の場合も、理解度不足や忙しさといった理由を挙げましたが、これに関しても理解できていようができていまいが、時間があろうがなかろうが、本当にやりたいと思う人はやるのです。
残念ながら、今回の参加メンバーには意欲、つまりやる気がなかったのだというのが現時点での私の結論です。本気で変わりたいと考えている人を見つけ、その人たちにアプローチすることが必要なのだと思いました。