「慣れ」を「熟練」と勘違いするな
これまで何回かに分けて、デジタル化が進まない組織はえてして年功序列で権威主義がはびこっているという話をしてきました。そんなことを考えていたら、先日、偶然にもVoicyパーソナリティーの澤円さんも「先輩というだけで無条件に尊敬されると思い込んでいて偉そうにする人」の話をされていました。
私は先輩だというだけで偉そうにする人とそうでない謙虚な人との違いは「慣れ」と「熟練」にあるのではないか?と思ったので、まとめてみたいと思います。
先輩風を吹かす「先輩」が出てきやすい年功序列組織
「先輩」というのはつまり、ある組織に先に所属した人のことを言います。しかし、先に入って長く在籍しているという理由だけで、自分がほかの人よりも優れていると考える人はまあいないでしょう。「私は在籍30年だから在籍10年のあの人よりも能力が高い」と、年数だけで個人の能力の高さを測ることができると”本気で”考えている人はいませんよね(逆にいたらヤバい)。ではなぜ時間が経っているというだけで自分が優れた存在であると錯覚してしまうのでしょうか。
私が以前所属していた組織も含め、日本にはまだまだ年功序列制度が残っている組織がたくさんあると思いますが、この制度のもとでは長く勤めていれば自動的に職位が上がります。能力や知識、成果が伴わないまま評価はされるので昇進し、先輩としての「権威」を得ることができます。そうして先輩となった人は「自分は評価されている」と自負しますし、実際に(年数で)評価されているという現実があるため、よもや自分の実力が足りないということなど想像すらしていません。それどころか、「自分は仕事(の能力や知識等)で評価されたので昇進してきた」と信じ切っています。
先輩風を吹かす人は「慣れ」を「熟練」と勘違いしている
長く同じ仕事を続けていれば、当然その業務はスムーズに進められるようになります。これを「慣れ」といいますが、往々にして先輩当人はその慣れによるスムーズさを「熟練」だと勘違いしています。自動的に昇進していく組織では、新しい技術や知識を取り入れたり、自分のスキルを向上させたりしなくとも、何年も同じ作業を繰り返しているだけで評価がついてきます。当然のことながら周りに身に着けたスキルや実際の能力が評価されている人などもほぼいませんので、自分の慣れと本当の意味での熟練とを比較する機会もありません。彼らにとっては、時間をかけて身につけた「慣れ」=「高度な熟練技術」です。
「慣れ」と「熟練」の違い
それでは、「慣れ」と「熟練」はどう違うのでしょうか。それぞれ言葉の定義と特徴、カレー作りの例えを並べて比較してみます。
言葉の定義
「慣れ」は、繰り返し同じ作業や行動をすることで、ある程度の快適さや自信を持つようになることです。単なる反復によって得られる表面的な習熟です。
「熟練」は、特定のスキルや知識に対して高度な技術や能力を身に着けている状態です。長期間の経験に裏打ちされた深く精錬された技術や知識です。
特徴
「慣れ」
ある作業に慣れている人は、それをスムーズにこなすことができますが、これまで出会ったことのない新しい状況や問題に直面すると対応が困難になります。また、慣れに依存すると、新しい改善点や工夫に気づきにくくなります。
「熟練」
熟練している人は、技術の裏にある理論や原理を深く理解し、状況に応じて柔軟に対応できる能力を持っています。改善や効率化の余地を見出し、自ら新しい方法を生み出すことができることもあります。
カレー作りで例えてみると
「慣れ」
毎日同じ料理を作り続けている家庭の料理人。いつも同じ手順で手際よくおいしいカレーを失敗することなく作ることができますが、新しい食材を使ったり別のスパイスを使って味を変えたり、調理法を新しくすることはできません。
「熟練」
プロのシェフ。基本的なレシピや技術に習熟しているだけでなく、食材の特性や調理法も深く理解しているので、食材の状態に応じてスパイスを変えたり調理方法を微調整してアレンジしたり、季節の野菜を使った創作カレーなども作ることができます。
つまり
スキルの深さ
慣れは単に繰り返しによって生じるスムーズさですが、熟練には深い理解と技術が伴っています。応用力:
慣れた人は予想外の事態に弱いことがありますが、熟練した人は新しい状況に柔軟に対応できます。改善意識
慣れている人は現状維持に留まりがちですが、熟練した人は改善点を見つけて技術を進化させることができます。
はい、これでよく理解できましたね。
年功序列の組織に巣くっている、変化を嫌い現状維持に固執する「先輩」達が一見すると仕事ができるように感じるのは、単に彼らが慣れているからであって熟練しているわけではない、ということです。皆さんも「慣れ」と「熟練」を混同しないように気を付けていきましょう!