最近読んだものまとめ。#2
夏休み明けてしばらくして、修論も視野に入れて色々やらないといけない季節。最近読んだものをちょっとまとめてます。
半田健一『舞台音響技術概論』
修論で音楽ライブの演出と観客の関係について書くので、色々なステージングに関わる用語を知識として役立てれば、と思って借りてきた本。ライブの研究やったりメディア研究の本を読んでて思ったのは、やっぱり音響・ホール・ライブシステムに関わる用語や、それが作動する仕組みはある程度知識として持っていた方がいいということ。音楽研究していて、ライブの話を入れるならPAシステム、マイクの技術的成立、メディアと音楽聴取の話をいれるなら音の複製に関わる問題、音の圧縮やレコード、CD、テープの技術的成立などなど……(こういう話は細川周平『レコードの美学』にまとめられてます)
舞台演出やその技術について説明している本はいくつかあるけども、この本のように成立の歴史からホール運用・機材の技術・法規的な話まで網羅しているのは少ない。音楽研究するならこういうものが手元にあるといいかも。
公野勉『ライブエンターテイメントへの回帰――映像から2.5次元アニメライブミュージカル概論』
2.5次元ミュージカルやアニメライブについて、コンテンツビジネスやその製作・環境の分析であったり、経営やプロデュースに主眼を置いて考察したもの。実際に企画プロデューサーである豊陽子に密着し、その仕事内容や、マーケティング、会場運営などの資料が詳しくまとめられている。
また「原作」をアダプテーションし、異なるメディアで上演する2.5次元ミュージカルはアニメーションの延長ではなく、役者と観客との「時間・空間の共有」やそれを「原作世界を概念として独立的に構築」することがキーとなる……という著者の指摘は重要だろう。
また著者が一番初めに述べるように、いわゆる「0→1のごとく空間に発生する」ようなエポックメイキングなものの研究については、どうしても文化論的アプローチによるものが多い。個人的には最近バーチャルYouTuberの存在についての研究や、VRChat、ClusterなどVR空間内での文化に対する研究に触れる機会が多いが、そのようなものに対し、いわゆる「運営」視点での経営・プロデュース的視点の分析が増えてほしい、と本書を読んで切に感じる。
大友良英『ENSEMBLES(アンサンブルズ)』
大友良英が2008年に山口情報芸術センター(YCAM)で行った「大友良英/ENSEMBLES」展の発想から製作・完成・撤収までをブログ調の形式でまとめたもの。もちろん大友のアイデアがアーティストやディレクター、キュレーターらと話し合う中でブラッシュアップされていく過程もそうだが、打合せのメールの全文や飲みのエピソードまでもが日記のようにまとめられており、普段あまり表に出ない展覧会の「裏側」を見られる。
「ENSEMBLES」はYCAMの全館全域を作品空間とし、その中で複数のインスタレーション作品(「quartets」「orchestras」「without records」「hyper wr player - without records hi-fi version」「filaments」)を同時に発表するものである。ENSEMBLESを考えるうえで重要なのは「同期なき共存」というとらえ方だろう。
我々の音楽聴取はイヤホン・ヘッドホンetc……メディアが何であれ、基本的に1曲を独立した状態で聞く。そしてノイズキャンセリング機能に人気が出るように、聴取にあたって曲に様々なノイズが入ることは望まれず、耳にスピーカーの振動が直に届くかの如く、S/N比の高いことが良しとされる。それこそ美術館(というよりコンサートホール)における音楽体験は外空間との断絶によって成立するものだろう。
しかし美術館をプラットフォームとするENSEMBLESは音楽聴取を1曲の独立したもの、断絶したものとして捉えることはない。「quartets」「orchestras」「without records」ではプロからアマチュアまでのミュージシャンの即興演奏の録音や、人々がワークショップで製作したものが素材として利用されているが、それらは空間をシェアしながら相互に干渉することでまた新たな、同じものが一つとしてない独特の響きを創り出す。またENSEMBLESの期間中に行われた「Musics [1st set : OTOMORCHESTRA]」では、YCAM館内で同時多発的にミュージシャンの演奏が行われる。我々の普段の音楽聴取はノイズのない1曲単位という一種の音楽空間を断絶することで構築されるが、「同期なき共存」によるENSEMBLESは、音と人の関係性の見逃された部分を明らかにしながら、かつ「美術館をいまだ芸術が生成される場とする可能性」を見出していく。音の所有・所属に関係なく様々な音が共存し、交わり、モザイク状になった空間の創造が、ある意味で音楽を鎖から解き放ち創造をもたらす場となっているのだろう。
山田陽一「「声のきめ」を聴く――グルーヴのなかへ」
『談 Speak, Talk, and Think No.124 声のポリフォニー……グルーヴ・ラップ・ダイアローグ』所収
修論で山田陽一の音楽論について取り扱うつもりなので、その情報収集な感じで買った本。インタビュー形式で山田を含めて3人分の論が掲載されている。『談』は公益財団法人・たばこ総合研究センター(TASC)が普及啓発のために年3回発行している雑誌だが、TASCはこの他にも社会学研究やタバコ史研究をまとめた機関誌を発行してたりするので色々読んでみると面白いかも。
本文の前半では、音楽体験を現象学的に捉えるという山田のスタンスを説明したのち、ポリフォニック・コーラスにおける声の響きあいや同調性による身体的快楽を説明。次に「声のきめ」と呼ばれるものの響きとコーラスにおける響きがもたらす魅力の違いについて、前者は声の物理的特性を志向するが、後者は声を組織化することで快感をもたらすとする。後半ではグルーヴの問題について、その理解のためのキーワードを挙げたのち、スティーブン・フェルドなどの研究を例示し、現象としてのグルーヴを考察してゆく。
基本的に山田の著書『響きあう身体』や『音楽する身体』と主張の立ち位置は変わらない。ただ、本文で山田がグルーヴを考えるうえでのキーワードの一つに「演奏者と演奏者の「あいだ」や演奏者と聴衆の「あいだ」に存在する「間主体性」」を挙げていたので、今後音楽ライブの研究を進めるうえで「間主体性」の部分にさらに注目を置いていければ……と思う。