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エッセイ:強く生きたいと思うなら、美意識を持ったほうがいい

死ぬほど落ち込んだとき、心を支えてくれるのは、家族でも友人でも恋人でもなく、心から好きになった何かだったりする。自分を救ってくれるのは、自分の美意識にいちばん近いもの。美しさを教えてくれるもの。そういうものは、最後まで心を裏切らないで居てくれる。

ぼくにとって、そのひとつが「言葉」だった。

美しい言葉や文章は、何度繰り返し読んでも美しい。目を閉じれば、空想のなかで、あるいは記憶のなかで、美しさを繰り返し味わうことができる。その瞬間は、どんな感情の渦や心身の痛みさえ忘れさせてくれる力がある。

言葉と遊び、言葉と対話するうちに、いつのまにかぼく自身も歌詞や詩を書くようになった。今でも「文章を書く」という行為は、心理的安全性を保ついちばんの手段だけど、しかし同時に、自分が紡ぎ出す文章からは、読み手として感じるあの安心感をなかなか得られない。理想を求める美意識に抗えず、書けば書くほど破ってしまいたくなる。暗澹たる気分にもなる。 でもだからこそ、書き続けることで生まれる達成感に、今は一番美しさを感じているかもしれない。

強く生きたいと思うなら、美意識を持ったほうがいい――いつしかそう考えるようになった。

心の美しさを持つ人、
ひとりでも咲いていられるような人、
愛する対象を愛し抜けるような人、
信じたいものを信じ抜けるような人、
春の匂いを、見逃さない人。

愛、誠実、美意識――これらは、距離感を測る感情でもあると思う。適度な距離を保ち、時にはひとりになって、愛されることの難しさや憧れを原点とした孤独の中で、自分にだけわかる美意識を改めて捉え直す。

あなたは何を綺麗だと思うだろう。

今は苦しいけれど、悲しいけれど、きっと汚れてはいない。どんな場所にいても、どんなに暗い夜でも、心の中で見失わない、そんな小さな灯りを持つこと。自分にだけわかる美しさ。自分を救う目線。人はそれを育むために、寂しさや切なさと共に生きているのだと思う。

大切な人を失くした日も、自分の弱さを痛感した日も、目の前の幸せを揺らいだ日も。そんな本来避けたい時間にきっと、美意識は少しずつ彫刻のように形作られていく。いつか自分だけの美意識が確立できたら、それがきっと、揺るがないシンボルのように心の真ん中に立ってくれるはずだと信じて、今日も書き続ける。


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Payao/詩人
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