韓国、パクチーの夜明け
あす26日からソウルへ出張します。「고수진흥위원회(パクチー推進委員会)」の立ち上げ記念パーティです。韓国のパクチー事情がガラリと変わるきっかけとなるかもしれません。歴史的なイベントに参加したい人は今すぐ航空券を予約しましょう。
20年前、伊勢原で行われたパクチーパーティをきっかけに、僕は「日本パクチー狂会」を旗揚げしました。料理研究家・植松良枝さん(高校の同級生)の実家の畑でパクチーができすぎたと聞き、友人たちを集めて収穫し、美味しい料理を食べました。
またこんなに美味しくて楽しいパーティを開催したいと思って、会合に名前をつけることを提案。パクチーの会、パクチーを食べる会というありきたりの案が最初は出ていましたが、最終的には「日本パクチー狂会」と決定しました。
「日本パクチー狂会」の結成についてブログで書き、大きな反響(僕の当時の日常のブログに比べればという程度の意味です)があったので、パクチーに関するコミュニティサイトをつくろうと思い立ち、xoopsというCMSを使って、Google検索で見つけたプログラムをつなぎあわせてみました。当時伸び盛りの「mixi」をパクって「paxi」をつくりました。ラテン語の「pax」(平和)と「 i 」(旅人)の組み合わせ。僕のテーマというか問題意識にあった「旅と平和」を一つの単語で表現してみたのですが、そのときは同名の会社を立ち上げることなど考えもしなかったです。
日本パクチー狂会の活動はとても困難でした。パクチーの情報が当時はほとんどインターネット上にはなく、いわゆるエスニック料理店もパクチーを扱わない店ばかりでした。旅先で会った友人たちとの再会のためにいろいろなレストランに行った経験があり、「日本にはパクチーが(ほとんど)ない」ということは分かっていたがゆえにパクチー「狂」会を作ったので仕方がないですが。僕たちのパクチー愛をまともに受け止めてくれる店はほぼありませんでした。
自分たちで栽培を始め、種を配り(2007年1月1日にパクチー銀行に改組)、自分達で料理をつくり、「パクチー料理」という言葉を生み出しました。スーパーでパクチーを見ることは稀で、あってもとても効果でしたが「高いから買わないのではなく、高いから全部買え」と会員に指令を出し、僕自身も見つけ次第すべて買う活動を「草の根」で続けました。飲食店に行くたびに、日本パクチー狂会・会長の名刺を渡し、「パクチー料理を出せばあなたの店はもっと繁盛する」と伝え続けました。「会長」の「冗談」として、すべて受け流されましたが。
その「冗談」を毎日、2年近く聴き続けた男がいました。他ならぬ僕自身です。僕は自己洗脳にかかり、長男の誕生と共に起業しようと思い立った結果、世界初のパクチー料理専門店を開こうと思ってしまったのです。
その後、何が起こったかは『「ありえない」をブームにするつながりの仕事術』に書いた通りです。日本にパクチーブームが起こってしまいました。2016年末にぐるなび総研が「パクチー料理」を今年の一皿(その年の食のトレンド)に選んだことで、それは確定しました。
ソウルのEthical Tableという店で27日と28日の夜(19:00-)行われるパーティは、韓国におけるパクチーブームの夜明けだったと、後から振り返ることになるかもしれません。パクチーは、英語で「コリアンダー」なので韓国(コリア)と何らか関係があるんじゃないかとお思いの方が以前から非常にたくさんいるのですが、コリアンダーとコリアンは何の関係もありません。
それどころか、日本と韓国は、世界の中で取り残されたパクチー後進国でした。日本における最古の記録は10世紀の『和名類聚抄』であり(もっと古い記録があったとの報告もあります)、その後も書物に登場するのですが、ご存知の通り21世紀になってもマイナー野菜のままでした。韓国でも同様だったと思われます。
しかしだからこそ、一部のマニアがパクチー愛を密かに育み、同じ思いを持つ人たちが繋がった結果、ハーブの一つとして扱うだけでなくパクチーだけを偏愛する文化が生まれました。世界の料理は縦割りですが、平和学を学んだ僕は、横断的な料理のジャンルをつくりたいと思って「パクチー料理」のレストランをつくり、それを料理の一ジャンルとして確立させたいと願ってきました。
もう一つのパクチー後進国で、パクチー料理の世界が花開きます。その瞬間に立ち会いませんか? 11月27日、または28日、ソウルでお待ちしています。