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白石 哲也/松本 剛/奥野 貴士『研究者、魚醤と出会う。: 山形の離島・飛島塩辛を追って』
飛島(山形唯一の離島)の醤油にフォーカスした超マニアックな本。研究者の生態(仕事と遊びの融合)がノマドワーカーのそれと同じであることが分かり、また、飛島には行かねばと思わせる内容だった。
伝統を守らねばという内容ではない。研究者として、一般的な感覚として発想のスタートはそこにあるのだが、島の人たちの感覚であっさり否定される。僕は魚醤が好きだから、読む前は「絶えないでほしい」というような気持ちを持っていたが、流れに任せるというのもいい(絶えてほしいというわけではない)。
「伝統」だから「守る」とか「予算をつける」のではなく、守りたいと思った人が独自に記録や発信の活動をするのがいい。すべての伝統が保存されるとしたら新しいものを生む余白が無くなるから。「守りたい?」という質問に「別にー」と答えるのもアリだと学んだ。
伝統は「ノウハウ」だけで守られるものではない。その土地で取れるものが変わった時、それに応じてやり方は変化する。だから諦めるのではなく、一冊の本にまとめ上げたことが素晴らしい。
「我々研究者を含む、生業活動に直接従事しない者の多くは、変化を嫌い、日々を便利に効率的にルーティーンとして生きようとする。不断の流れであるはずの世界を、扱いやすい小さな箱の中に閉じ込めて凍らせてしまう。だから、何事も固定的に、本質的に捉えがちだ。文化現象は元来きわめて動的なもので、常に変化しうるという、よく考えれば当たり前の特徴を見逃してしまう。実際には伝統と呼ばれるものが、様々な状況のなかでその形を変えたり、形は変わらずともその意味が変容することはよくあることだ。しかしそんな伝統を固定的に捉え、無時間的なタイムカプセルに詰め込んでいつまでも劣化しないように保存しようとしていはいないだろうか。そうやって固められた伝統の標本を陳列棚に並べることにどれほどの意味があるのだろうか。」
この文章を含む第7章(松本剛著)はぜひ読んでほしい。
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