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好奇心と行動が人生を変える

鋸山縦走チャレンジ(約20km)、74歳女性が完走。史上最高齢記録を更新しました。

僕の母の話です。僕は、コムラッズマラソン(南アフリカ/89km)・サハラマラソン(モロッコ/250km)・北極マラソン(北緯89°/42km)・10PEAKS(ウェールズ/89km)など、それなりにエクストリームなマラソンを完走しているので、「母もさすが強靭」と思われがちです。が、74歳にして鋸山縦走チャレンジをコンプリートできたのは、体力的にはこの1年弱の成果なのです。伏線はその数年前に始まっていますが。

好奇心と行動で人生は変わるというのを体現してくれています。

フランス通いを始める

9年前に父が他界し、実家で一人暮らしとなった母は、年に一度、1カ月のフランス留学をするようになりました。何年もフランス語を齧っているのに「歳を取ると覚えるより忘れる量が多い」から日本で講座に通っても身につかないと。集中して学びたいということで、1人で自由な身を生かして毎年秋に短期留学するようになりました。

母は2013年にアンジェに留学。その留学中に僕はメドックマラソン参加のためにボルドーへ行きました。「せっかくフランスにいるから、メドックマラソン見に行くわ」と、母は授業を休んでボルドーへやってきました。

パクチー・ランニング・クラブの仲間との前夜祭に合流し、例年ながらマラソン前日とは思えないほど飲んで楽しみました。翌日の見学とゴール後の合流方法について話していたとき、酔った勢いでこう提案しました。

「スタートしてからゴールするまで、5〜6時間待っていても暇だから、一緒に走っちゃえば?」

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突然のマラソン参加

そして翌日、一緒にスタートしました。徒歩参加の母とはほどなくして別れましたが、ゆっくりと雰囲気を楽しみながら20km地点ぐらいまで歩き、その後徒歩にてゴール地点へ戻ったそうです。

メドックマラソンの楽しさ、参加者と沿道の地元民の明るさは桁違いです。僕が最初に出た2011年に、毎年出場しようと決めたその雰囲気に母も惚れ込んだらしく、「来年も出るわー」と言っていました。

ちなみに、その直後、母のアンジェのホームステイ先に一緒に行ったのですが、なんとそこのご主人がメドックマラソン完走者でした。

2014年9月。パクチーハウスのスタッフ研修として社員とアルバイトをメドックマラソンに連れて行った際、フランス留学中の母が2度目のチャレンジをしました。特に準備はしていなかったので、20km地点で時間制限切れでバスに回収されてしまいました。この年は完歩したい気持ちがあったようで、途中でリタイアさせられたのが悔しかった模様。2015年も参加することになりました。

2年後に完走

2015年は少しは練習したようです。走ったのは数回だったみたいですが、よく歩くようにしたと。レース当日は、あいにくの雨でした。息子として頑張ってほしい気持ちと、無理して欲しくないという2つの気持ちがありました。

雨で体が冷えないように走ったり、歩いたりを繰り返していました。パクチー・ランニング・クラブの仲間が20人ほど出場していて、みんな母を見かけると声をかけてくれました。楽しい雰囲気、いろいろな人からの激励、そして、ほとんどお酒を飲まない人ですが何度か給ワインして身体をあたためたそうです。

僕はゴール手前まで行って待っていました。スタートから6時間40分ほど経った頃、母は戻ってきました。うわー、本当にやり遂げてしまったよ。

それから、習慣的に走るようになったとか、歩くようになったわけではありません。一度完走したので、また走りたいとか大会に申し込もうかなという話はしていましたが、実行に移す様子はありませんでした。

突然の暴走(BOSO)

昨年、コロナ騒動が始まり、世界中でさまざまなマラソン大会が中止になりました。「バーチャルマラソン」が各所で企画され始めた時、僕はあることに気づきました。

僕は2012年から「バーチャルマラソン」というべきものを企画・実行していたのです。別々の場所にいても共体験できることを世界中のコワーキングコミュニティに提供しようと考えて始めた Glocal Cialthon です。バーチャルマラソンの元祖発起人として、ネガティブな世界の雰囲気を一掃しようと思い、Ultra Race - BOSO Cialthon 890km/89kmを企画しました。

89日間で890km走る(歩く)というチャレンジです。多くの人には想像を絶する距離かもしれません。房総半島(鋸南町)で事業を始めた僕は、房総の知名度を上げる意味を込めて、暴走する企画を作ったのです。事業を始める寸前に大型台風の直撃で被災地になってしまった地域です。世界中の人と走る体験と各地の風景を共有しつつ、南房総の惨状と素晴らしさを伝え、コロナ騒動明けに少しでも多くの人が関心を持ってくれればと思い実行しました。

そこに母が突然参加表明をしてきました。毎日10kmを歩くなんて、無謀です(企画者が言うなw)。でも、僕が活動を始めた南房総地域の被災地に、収益の89%を寄付しますというイベントの趣旨に賛同してくれ、申し込んでくれました。

女性1位に

息子としては、少しでも歩くきっかけにしてくれればと思いました。やると決めるとスイッチが入ったようです。毎日手帳に歩いた距離を書いて一生懸命計算をしていたので、Googleスプレッドシートで日々の距離を入力すると合計距離と達成率が見えるように作ってあげました。

やってみると、日に日に疲労が蓄積するのではなく、日に日に身体に活力が漲ることを感じたそうです。そして、85日目に無事完歩。このBOSO Cialthon、一番早くゴールした人は50日での完走でした。この方は男性。女性のトップは、なんと85日で完歩した母でした。女性チャンピオンのCERTIFICATEを授与しました。

母はそして、完歩した翌日も歩いていました。身体を動かさないと、気分が優れないと思うようになったそうです。「毎日10km」を、今日もまだ続けています。

鋸山縦走チャレンジ

今年の1月1日から、鋸山縦走チャレンジというイベントを企画しています。6月11日までの好きなときに、決められたコースを走る(歩く)もので、鋸山の空気やその南北にある鋸南と金谷の雰囲気を楽しんでほしいと思って企画しました。

僕は世田谷と鋸南を行き来して仕事・生活しています。船が好きなので久里浜経由で東京湾フェリーに乗って通っています。そして昨年の今頃から、金谷港と保田の間を、鋸山縦走して通勤するようになりました。移動と趣味のランニングを兼ねています。

鋸山縦走チャレンジは、僕の通勤ルートを往復するコースなのです。約80名が参加申し込みしており、何度でもチャレンジできるので、のべ150回ぐらいチャレンジされています。

参加者からの希望があり、僕が対応できれば一緒に縦走チャレンジすることもよくあります。普段から走るランナーもいれば、僕がいつもアップロードしている絶景をただ見たいという人までさまざまです。

コース上に難所がいくつかあります。特に、往路の東の肩の手前、約240段ある階段と、復路の関東ふれあいの道入り口付近の400段ほどの階段は、ランニングしている人でも結構きついです。ほとんどの人は途中で立ち止まります。

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さすがに母にはきつすぎるだろうと思っていました。しかも直前まで長い時間降った雨の影響で、ぬかるみが最悪のレベルだったので。鋸南エアルポルトの仲間がゆっくり先導してくれ、思ったより順調に行きました。特に、東の肩手前の階段で立ち止まることなく進み続けたことには驚きました。

金谷港で弁当を食べたところで、エアルポルトの仲間がそれぞれの仕事に戻るために電車で帰ポルしました。しばらく休んで僕らは再び歩き始めました。400段の階段で母がバテたら、岩舞台と切り通しを見学して、日本寺経由で帰ってもいいなと思っていました。

しかし、母は、長い階段で一瞬立ち止まっただけで登り切ってしまいました。あたりは曇っていて、三浦海岸すらうっすらとしか見えないのに、観月台から富士山の上半分高が顔を覗かせていたことに気を良くしたようです。「リタイア」とか「ショートカット」とかいう言葉を出す必要すら感じませんでした。

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滑って転ぶのだけは避けるためぬかるみは慎重に歩きましたが、全く疲れは出ていない様子で、結局復路は往路よりも1時間早く戻ることになりました。絶対に1度は滑って転ぶと思っていましたが、それもなく、無事でした。体幹がしっかりしてるんでしょう。

スタートしてから8時間ちょうどで、ゴールの鋸南エアルポルトにたどり着くことができました。これまでたくさんの人を連れていきましたが、30-40代で運動していない人に比べても、一緒に歩いた時に安心感がありました。約11カ月、平均で10km以上あるいたことが、今につながっているのでしょう。

僕自身もランニングを始めた11年前に比べると、体力は相当ついたし、疲れを感じることはなくなったし、その効果を感じています。でも、それは自分がそれなりにまだ若いからだと思っていました。

70を超え、なんらかのきっかけでチャレンジを続けていると、心も身体も若くいられることを、目の前を歩く母から学びました。

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人生は、やるかやらないかで大きく変わります。体力も知恵も、どんどん伸びていく。自分がやろうと思うかどうかと、それを実際に行動に移すかどうか。嘆いても、他人や政治・社会のせいにしてもなにも変わりません。自分ができることを、やりたいことをやり続けているかどうか。

好奇心と行動で人生は変わるのです。


パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。