89km #コムラッズマラソン #安房シャルソン
鋸山を縦走(往復)し、富山に登り、伊予ヶ岳の突端に立ち、そこから千倉へ。さらに館山を経由して富浦までの89kmを完走した。
コムラッズと僕
南アフリカのコムラッズマラソンが100周年を迎えた。第一次世界大戦の後、家族や友人を多数亡くした南アフリカの退役軍人が、不毛な争いを二度と繰り返さず平和を自分たちの手で掴もうと走り始めたのが始まり。世界最古のウルトラマラソンが誕生した。
ピーターマリッツバーグからダーバンまで89km。89kmだったからこそ、僕はそのマラソンの存在を知り、意識した。2014年が89回目の大会だった(第二次大戦中に中止となったので、周年と回数はずれている)。89x89で、途轍もない距離を走ることになった。この長い距離の至るところにランナーを応援する人たちがいる。歓声に勇気づけられ、完走することができた。
レースは入国審査のときから始まっていた。無愛想で仏頂面の入国審査官が、「何しに来た」と入国の目的を尋ねた。「コムラッズマラソンに・・・」と答えると目を見開き、「89km走るのか? すごいな。頑張れよ」と満面の笑みを浮かべた。その上で、周りにいる審査官に「コムラッズランナーが東京から来たぞ!」と言い触らしてくれた。
レース後、モザンビークの友人のもとを訪ねた。そしてドバイ経由でシアトルに向かった。コムラッズマラソンの帽子を被っていた僕は、訪問したすべての都市で、見知らぬ南アフリカ人から話しかけられ、コムラッズ完走の「偉業」を讃えられた。
それから毎年、コムラッズマラソンの当日は独自に89km走っている。昨年、世界的な新型コロナウイルス騒動で本大会は中止となり、バーチャル開催となった。僕の独自のチャレンジが5年かかって認められたようなものだ。鋸南町に来て初めてそれを実行し、南房総地域をぐるりと一周したら、地元のニュースになった。
というわけで、今年も南房総をコムラッズしたのである。
今年のルート
鋸山縦走チャレンジというイベントを新年から6月11日まで開催した。これを絡めてルート設定することにした。その他、登ってみたい山もあったので、前半は連続登山をしてみることに。
鋸山縦走は幾度となくやっている慣れたコース。鋸南エアルポルトから林道経由で金谷港まで。往復で20km。そこから南房総市の富山(とみさん)へ向かうことにした。下見で訪れた際、二つのルートが通行禁止となっていた。残されたもう一つのルートを調べて向かったが、ここはぶっつけ本番だった。そこから伊予ヶ岳という「房総のマッターホルン」と呼ばれる名所へ。直接行くルートを目指していたが、鋸南からずっと国道でなく裏道を通っていたため水分補給ができず、回り道した。
3つの登山(4回の登頂)を終えるとすでに40kmだった。鋸山の往路で激しく転倒し、負傷した痛みがその辺りで出てきた。心臓が痛い気がして、初めて内臓の不調かと思ったが、軽く走って痛みは別の原因である気がしてきた。肋骨に激しい打身ができていると思う。1日明けて呼吸で痛いということはないので折れたりヒビが入ったということはないと思う。まぁ、転倒から80km走ったので、それなりに元気です(笑)。
平群から安房中央ダムまでは、ほとんど歩いた。千倉でワインを買ったらリタイヤして電車で帰ろうかと思っていた。しかし、外房に出て海を見たら再びやる気になり、やっぱり完走しようと決めた。
コムラッズマラソン本大会の制限時間は12時間。歩くと間に合わないが、軽く走ればギリギリ間に合いそうだと計算し、そこから頑張ることにした。友人のアーティスト吉良さんが壁画を描いている屏風岩まで南下。そこから北上し、昨年のコムラッズチャレンジ中に見つけた素晴らしい酒屋「青木屋」を訪ねた。
青木屋を出るとすでに70kmだった。ゴールを富浦駅に定め、そこから小走りで進んだ。疲労はピークに達しており、時折ランニングアプリの距離を確認したが、前に見たときから100mも進んでいないこともあった。館山までの10kmは長かった。
80kmを過ぎ、南房総情報誌『CLIP』の編集部に着くと、安堵した。昨年のゴール地点でもあるし、見慣れた風景だから。そこから房日新聞の本社を経由して、内房の海岸沿いを北上。富浦のコンビニに倒れ込んだ。缶ビール2缶を一気に胃に流し込み、フィニッシュ!
実はコムラッズマラソンは近年「90km」となってしまった。ゴールのスタジアムの位置が変わったのだ。したがってバーチャルレースの距離も「90km」の指定がある。僕としては大変不本意だが、ラスト1kmやむを得ず流したことをお知らせする。
伝統に立ち返り、再びコムラッズマラソンが89kmになりますように!