「諦める」とは、「求める必要がなくなった」ということ
望んでいたことを諦める。あるいは、諦めない。そういう場面というのは、出てくるものと言えます。その際に、諦めるということを否定的に思えてくるかもしれません。また、諦めないというのも、執着しているようで、これまた否定的に思えるかもしれません。
しかし、本来、諦めるというのは、求める必要がなくなった。ただ、それだけのことであり、ごく自然なことです。子どもの頃、強く望んでいたことを望まないようになる。それは、諦めたともいえます。一方で、そもそも、求める必要がなくなった。そういうこともできます。
諦めない。それは、求め続ける必要がある。ただ、それだけのことといえます。ずっと追いかけてきた夢、結局、叶えられなかった。そうだとしても、諦めずに進んできたのは、その必要があったからだといえます。たとえ結果が思わしくなくても、諦めず続けたことを否定する必要はありません。
諦める、諦めない自体を否定的に考える必要はない
諦めること、諦めないこと。どちらも、簡単には割り切れない瞬間もあるかもしれません。そこで、ついつい、諦めること自体を否定的に捉える。諦めずにいること自体を否定的に捉える。そういう場面も出てくるかもしれません。
ただ、求め続ける必要があるかないかに過ぎない。そう思えば、諦める、諦めないに過剰に心を惑わされることはなくなるといえます。
諦めるのは、必要がなくなったから
諦めて、後悔している。そんなときは、諦めずに続ける必要はあったのか。それを考えてみる。そのときに、続けていれば、自分が良い思いをできたかもしれない。それくらいの必要性しかなかったのであれば、続けることに価値はないといえるのではないでしょうか。むしろ、諦めて、当然。そんな風にいえるのではないでしょうか。
諦めないのは、まだ続ける必要があるから
諦めきれず、続けている自分に迷いがある。そんなときは、続けているのは、なにか自分にとって必要があるからだと思う。その理由が明らかで、他のことをして、それができるのであれば、そのときは、すでに諦めているはずです。
ただ、理由がわからなかったり、他の方法が思いつかない。それで、今の所、続けているのかもしれません。自分では気づかずとも、何らかの必要性はあって、続けているのだ。そう思えば、少し、気が楽になるといえます。
何を求めているのか、観察する
漠然と、諦めるのは、良くないこと。諦めずに執着するのは、良くないこと。そんな風に思うと、その場面になったときに、自分を否定することにつながりがちです。
本来、求める必要があれば行う、そうでなければ、行わない。シンプルな話であるはずです。そして、大事なのは、その時、その時で、自分は何を求めているのか。それを、観察することです。
赤ちゃんがなぜ泣いているかわからないと困るように、自分がなぜ今、これをしているのかわからないと困ります。それは、自分を求めていることを知ることができていないからです。
自分を求めていることを知れば、必要なこともわかり、心が楽になります。
また、何を求めているのか考えてもわからないという場合も多々あるかもしれません。そんなときでも、「今行っていることは、何か自分にとって必要だから、行っているんだな。」そう冷静に思うことで、心が和らぐといえます。
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