パウレタの建築学科日誌4~パクリ~

「おい、パクんじゃねえよ」
ぼくは隣で図面を描いていたトモユキに言った。そのときぼくらは半日で設計作品を完成させるという、即日課題というものに取り組んでいた。お題はとある公園内にある公衆トイレ。ぼくは有機的な植物が生い茂る公園のなかで、ピラミッド型のトイレを設計していた。
「え?べつにさ、描く人の手が違えばさあ、同じかたちでも似てなくみえるって」
まあ、このトモユキの言葉にぼくもどこか納得してしまう部分はある。どんなに有名な作品をパクったとしても、その人が引いた線でその作品に個性というものがあらわれてくるはずだ。実際に現在第一線で活躍している建築家も、見方によれば古典として有名な巨匠建築家の作品をパクっているような気もする。オマージュといえばゆるされるのだろうか。

そういえば、ある建築家がこんなことを言っていた。
「知ってて似せるのはOKだよね。知らないで似てしまっているのはもう最悪」
う~ん、そうなのか。それでもぼくはできるだけパクりたくない。

「おまえさあ、じゃあさあ、自分のがオリジナルってどう証明すんだよ。三角の建物なんてよお、どこにでもあんじゃねえかよお。けっきょく最初はなんでも真似から入るじゃねえかよお。おれが尊敬する藤子不二雄先生が言ってたぜ。けっきょく人が創造するもとは記憶の蓄積でつくられるってさあ。そうじゃねえの?」
トモユキが偉人の名をあげ論破しようとしてきた。
「おまえの言ってることはわかる。でも隣にいる、しかも友人のアイデアをそのままパクるのはちがうだろう」
トモユキはぼくに尊敬の念をこめて真似ているわけではない。ただ、さっさと課題を終わらせたくて身近にパクれるものがないか探していた。そういうことにすぎない。このあいだの学校の設計課題だってそうだ。どっかのプランをそのままもってきて、そこでプランをくみ換えていた。教室が多目的ホールになっていて、多目的ホールが教室になっている。まあ、今の時代ならそういう考え方もありなような気もしたが、パクった案がぼくでもこれかとわかる有名作品のプランだったため、トモユキは先生にばれて怒られていた。

 でもパクるのがうまい人もいる。イザワ君という優秀な子がいるのだけれど、彼はうまい。有名作品のいいとこどりを組み合わせながら提出作品を仕上げていた。上手に組み合わせて、かつ自分もそれを理解しているからだろう、だからぱっと見、パクっているような気にさせないのだ。この差はなんだろう。センス?

「んだよ。真面目ちゃん。でもさあ、もうつくりはじめちゃってるからさあ。ああそうだ、じゃあこうするわ」
トモユキはトライアングル型の建物のとなりに、ライオンのかたちをした建物を描きはじめた。
「なんだよ。それ」
「え?ああ、ピラミッドといえば、スフィンクスじゃね?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?