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ともに喜びともに泣く

若いころ(30代くらいまで)は何でもできると思っていました。
そこそこ自分は優秀だと思っていたのです。
自分は、それなりに頑張ってきたのだから、だからこそ結果が出ないのは自分のせいだと思っていたし、同様に他人にも厳しい目でみていました。
苦しんでいる人たちのことこんな風に見ていました。
「彼は、彼女は努力が足りないのだ。」
この考え方は、少々危険です。
さらにこの考え方は
「努力が結果を生み出す」という絶対的な価値観に支配されているから、裏返しで嫉妬心のようなものが現れます。

「あいつはなんで俺より努力をしてなかったはずなのに、幸せそうなんだ。」
「なんで、努力もしないやつが俺より人気があるんだ。」

そんな僕にも30代後半に入ったころ、結構しんどい試練がやってきました。
信じていた人が、まったく想像もできなかったことをしてくれたのです。
詳細は割愛しますが、

「(ひょっとすると、)自分の努力だけでは解決できないことがある。(のでは?)」

自分の小ささを知りました。
そして、結局あの試練は自分の傲慢さに大きな要因があることを知りました。当時は自分を責めました。大切な人たちを傷つけてしまったのです。
大きな罪を背負ってしまったと思っていた時に触れたのが聖書のこの言葉です。至らない自分に支えとなるような言葉を聖書から探しておりました。

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
ローマの信徒への手紙12章

難しいことはできない。「ダメダメな自分だったけど、人のことを喜んだり、悲しい人に寄り添う。このくらいならできそうだ。」
ちょっと希望が見えてきた気がしました。
しかし、実際に日々過ごしてみると結構難しい。

なぜなら、僕は、他人の成功に対して、とにかくねたむ傾向があるからです。
喜んでいる人たち、特に次々と成果を出す仲間たち、世界中の人々。
つい、皮肉めいたことを言ってしまいます。
「どうせ〇〇だから成功できたんだろう。」
イソップの話に出てくる、葡萄に酸っぱいというキツネのような。。。

「すごいね。おめでとう。」の一言は、口から出るけど
うわべだけの言葉で、本当の”心の底”から出てこない。

泣いている方々を見ると、寄り添っているふりをして、「それは大変だね。しんどかったね。」

ゆがんだ「優越感」と表現している人がいましたが、まさにそれ。
そして、自分でなくてよかったとか、まだ自分はマシだとか。

他人と比較してしまう。嫉妬してしまう、逆に優越感を持ってしまう。

どうしてなんでしょうね。
答えになりそうなことを見つけました。

自分を徹底的に大切にすること。
ここは、ちょっと言葉を変えてお伝えしておきましょう。
自分を愛でる。
こと。
その人なりの方法で自分自分を愛でることができたその先に嫉妬も歪んだ優越感もきっと消えてなくなるのではないかなあ(そうであってほしい)

最も己を大切にすることは、自己の個性(たち)を、できるだけのばして、世のため人のために働かすことである。
万人幸福の栞「尊己及人」より

まずは、自己の個性をのばすこと。。。か。自分が喜ぶことをのばせばいいのかな?
とりあえず、たまに山に入って、焚火したり、釣りしたりすることから始めましょうかね。
自分が「大好きなこと夢中」になっているときは、嫉妬や優越感はあらわれていること少ないかも。

そうしたら人の喜びをわが喜びとできるかな。人が悲しい時に一緒に悲しめるだろうかな。

人の喜びが、まことのわが喜びである。世と共に喜び、人の悲しみをわが悲しみとする。
万人幸福の栞「尊己及人」より

喜びも悲しみも互いに少しずつでいいので分かち合えるチームを作りたいとおもっています。

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