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弱くても勝てます。

どこかで聞いたことがあるタイトルかもしれません。
一度テレビでドラマ化もされたとおもいます。

数年前、文庫本を手に取りました。
(数年前と書きましたが2014年でした)


手に取ってみて、一気に読みました。
とても参考になる本でした。
弱いなら弱いなりの戦い方があるということです。

あんまり信じてもらえませんが、
どちらかというと虚弱体質とよばれる部類です。

小学校低学年の時は毎週土曜日には熱を出していました。
高校の時に、あることがきっかけで血液検査を行い
若年性リュウマチと診断されました。
人より頑張ると熱を出しやすい。
節々が痛くなりやすい。
併せて免疫力も弱い。

そんな僕でも、数々の場面で戦ってきたことがあります。
でも、いわゆる優勝経験はあまりありません。

ある時、人事のプロフェッショナルとしてビジネスをしている先輩が、
言ったセリフが今も心に残っています。

「採用するなら勝ちを知っているやつ」

あぁ。僕は先輩には選ばれないだろうなと思ったことを強く思ったことを覚えています。
おそらく、
「採用するなら勝ちを知っているやつ」
を選ぶのは、
企業として王道なのだと思います。

一方で、
20年ほど前に僕が在籍いた会社で元オリンピック選手を雇ったことがありました。
(もう、競技も名前も覚えていません)
チームがボロボロになったことも覚えています。

勝ちを知っているだけではダメなんだと思うわけです。

虚弱体質の僕は、
「弱くても勝てます」という言葉にとても惹かれました。
それで、冒頭の本に手に取ったわけです。
(ある意味ではタイトルを付けた編集者に負けた。)

もうずいぶん前に読んだので、内容を詳しくは覚えていませんが、

ルールを熟知すること。
内外の情報分析をすること。
得意なことに集中すること。

こんなことがポイントだったような気がします。

そういえば、先週、札幌白石倫理法人会で講師をしてくださった明楽みゆきさんが講話の中でおっしゃっていました。
「勝ち負けの世界にいた」
と。

明楽さんは、ピアノの演奏家としてコンクールに参加するときなどはまさに勝ち負けの世界にいたということですね。
なんとなくその世界の厳しさは想像しておりました。
でも、実際にその世界にいた方からの「勝ち負けの世界」という言葉を聞くと、勝負事の激しさがリアリティと共につたわってきました。
皆さんが最高の癒しを手に入れるための舞台の裏側では激しいバトルがあるんだなとか。。。面白いですよね。

聖書には
「弱いときこそ強い」(コリント人への第二の手紙)
という言葉があります。
いまだにその言葉の意味すること、本質はわかりませんが、
自分の弱さを感じるとき、
他人と比較して(つい比較しちゃいます)自分たちがちっぽけでみじめに感じるとき心を鼓舞することばとして
「弱いときこそ強いのだ」
そういうように思います。

弱いからこそ強い、そして、弱くても勝てる。

ビジネスをしていると
巨大な強大な相手と対峙することがたくさんあります。
だけど
弱いからこそ強い、そして、弱くても勝てる。

そう信じあえる仲間と共に歩んでいきたいです。

ところが主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」と言われました。だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
それゆえ、私は、弱さ、侮辱、困窮、迫害、行き詰まりの中にあっても、キリストのために喜んでいます。なぜなら、私は、弱いときにこそ強いからです。

コリントの信徒への手紙二/ 12章 9節-10節
聖書協会共同訳




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