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『数分間のエールを』と私の"モノづくり”
エントリーシートに「あなたはどのように社会に貢献したいか」という項目があって、「自分の創ったもので人の心を動かしたい」と書いてみて、やっぱり消した。それっきりその項目を埋められずに1週間ほど経っている。
4歳のときにピアノを始め、中学生のときに編曲を始めた。音楽に詳しかった当時の担任の先生に声を掛けられて、クラスで歌う合唱曲の楽譜を書かせてもらった。ピアノも編曲もたくさん褒めてもらった。周囲の人も初めて私の演奏を聴いた人も「才能がある」とか「音大に行ける」と言って私を持ち上げてくれた。私自身も私に期待していた。
でも母だけは私を持ち上げなかった。彼女も音大志望だったが、経済的な理由で諦めざるを得なかった。高校生になって音大の話を出し「あなたには無理」ときっぱり言われたときは心底母を憎んだけれど、あれは私が音楽で傷つかないための愛ある諭しだったんだなぁと、今は思う。
普通の大学に入ってからも音楽を諦め切れずに、作曲に手を出したこともあった。「これは絶対いいモノになる」と根拠もなく高揚した。大学の授業も、寝る時間も食べる時間も邪魔だと思うくらい没頭した。投稿した動画にはコメントが何個かついて、知らない誰かに確かに届いていることが嬉しくて舞い上がった。
でも次が書けなかった。他の人の眩しい才能が目に入って、「自分こそが音楽をやる理由」なんてどこにもないことに気付いた。軽々しく「才能」と口にした周りの人たちをたくさん恨んだ。無責任だと思った。あんなふうに褒められなければ苦しむこともなかった。歌詞を書いたノートも、思いついたフレーズを入力したGarageBandの画録も、可不ちゃんに歌わせたデータも、全部ごみに見えて捨てた。
それっきり音楽で食べていこうとは思わなくなったけれど、音楽は辞めずにいる。私の「才能」は私の中にしまっておくからこそ意味があった。他人に向けて振りかざす類のものではなかった。今の私にとっては、私の肉声が届く範囲にいる限られた人たちに喜んでもらうことの方が大事だ。そうやって納得した振りをしているのかもしれないけれど。
高校時代、音大を諦めたあとに、私の書いた楽譜で合奏をする機会があった。音楽祭で、全校生徒の前で演奏をした。一度音楽と距離を置いて受験勉強に専念するための、区切りのイベントだった。出番が終わって燃え尽きていたとき、学校の催し物なんか興味なさそうだった他クラスの男の子が演奏を聴いて、わざわざ控室まで来て、廊下にも聞こえるくらいの声量でなんども「めちゃくちゃ良かった」と伝えてくれたことがあった。
これで十分すぎるほどだった。この記憶だけで、一生音楽を続けられると思った。作曲をしていた頃は、これも忘れるほど盲目的だった。
それで先日『数分間のエールを』を観た。レイトショーなのに劇場がほぼ埋まっていて驚いた。
ヨルシカが好きなので、監督様のお名前を見てからずっと楽しみにしていた。彼方くんの動画だけでなく、映画全体もMVであるかのような感覚になって、優しくて美しかった。
一緒に音楽を創っていた織重先生のギターが、他人からみたらたった5000円ぽっちの価値しか無かった場面や、外崎くんのスケッチブックがぐしゃぐしゃだった場面は、自分と重なって潰れてしまいそうだった。彼方くんの輝き具合に目を逸らしてしまう場面もあった。私も最初は彼方くんだった。
最後のMVも、歌詞の本来の(織重先生の)意図とは少し違ったように思えた。でもそれが温かかった。先生の背中を押したのも、動画内のキャラクターが最後まで留まり続けたからだと思う。
あの最後のMVは外崎くんにどう届いたんだろうとずっと考えている。境遇ゆえ外崎くんには共感する点ばかりだったから(あとかっこいいから)、その後どんな生き方をしても絵を描き続けてほしい。
彼方くんと外崎くんの中学生時代の会話も聴いた。お互いがお互いに対して複雑な感情を持っている様子は切なくもあるけれど、「分かり合えなさ」を抱えたままでも一緒にいようとする関係性が心地よかった。
「未明」のMVにもそんな要素を感じた。完全には理解できなくても歩み寄ろうとするところが、彼方くんの素敵なところだと思う。
先刻衝動的にピアノで「未明」を弾いてきてすっきりした。今ならあのエントリーシートも書けそうな気がする。