微苦笑問題の哲学漫才03:戦国時代儒家編
孔子は世界史漫才をご覧ください。
微苦:ども、微苦笑問題です。
微:今回は、孔子以後の儒学者たちです。まず孟子(前372?~前289年)ですが、彼は戦国時代中期の儒学者で、孔子に次ぐ重要な人物です。
苦:毛沢東と周恩来みたいなもんか。
微:同時代人ではありません。儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれます。
苦:じゃあ2010年の民主党支持率低下の原因は「小鳩のお金」だな。
微:孟子は鄒(現在の山東省鄒城市)の生まれで、その母の子育ての話が有名です。最初は墓地の近くに住んでいたのですが、孟子が葬式の真似事を始めたので母は家を移しました。
苦:その葬式ごっこに担任の先生も参加していたそうです。
微:それは20年以上前の東京の中学校のいじめ自殺事件の話だよ! その引っ越した所は市場の近くで、やがて孟子が商人の真似事を始めたので母は再び家を移しました。
苦:そこも岩崎弥太郎に押しかけられ、借金を申し込まれたので逃げ出したそうです。
微:それは幕末の土佐藩の話だよ! また引っ越すのですが、今度は学問所の近くだったので、孟子が学問を志すようになったという「孟母三遷」の話です。
苦:このように生活苦から住所を転々とする母子家庭が古代でも問題になっていました。
微:コロナ下の日本はないですから。まあ史実かどうかは大いに疑わしい話ですが。
苦:でも葬儀にしても商売にしても葬送を商売としていた原儒家のことを思えば、それってエリート教育じゃねえのか?
微:まあ、意地悪な人は孔子の生家の周りを移動しただけだと言ってますけどね。
苦:一周して元に戻ったと。バカだねえ。
微:孟子の思想と言えば性善説です。人間は生まれながらにして善であるという思想ですが、当時、儒家のライバル墨家の告子は、人の性には善もなく不善もないと説いていました。
苦:えっ!! あの厳しい墨家の学者がまだいたのか? 全員脱落したと思っていたわ。
微:それはただの不勉強です。このため文王や武王のような明君が現れると民は善を好むようになり、幽王や厲王のような暗君が現れると民は乱暴を好むようになると考えました。
苦:担任次第でどうとでも変化する学級みたいなもんだな。半分は「墨家は教育がしっかりしてまっせ」って宣伝くさいけど。
微:これに対して孟子は、「人の性の善なるは、猶(なお)水の下(ひく)きに就くがごとし」(『告子章句』上)と述べ、人の性は善であり、どのような聖人も小人もその性は同じであると主張しました。まあ、キミのボケがつまらないのも「水の下(ひく)きに就くがごとし」ですかね。
苦:うるせえよ!
微:そして孟子は、性が善でありながら人が時として不善を行うことについての矛盾については、この善なる性が外物によって失われてしまうからだとしました。
苦:青少年の犯罪や学校の教育力低下を日米安保条約と自民党のせいにしていた昔の日教組みたいな言い草だな。
微:まあ確かに小学校なんかは性善説で制度設計されていますからね。本人のせいにもできないし、保護者のせいにはもっとできない。
苦:なので理不尽極まりない払えるのに払わない給食費未納問題に強く出れないと。
微:キミこそ滞納している府民税と、返却期間のすぎた図書館の本を解決しろよな。さて、孟子は、「大人(=大徳の人)とは、其の赤子の心を失わざる者なり」(『離婁章句』下)と述べ、その生まれながらに人が持つ善なる心を「四端(したん)の心」と呼びました。
苦:そりゃ、マテラッティに「ハゲ」と言われ続ければジダンの心も傷つくよな。
微:それは前回のドイツ大会の頭突き(バッティング)だろ!「四端」とは仁・義・礼・智の四徳を基礎づける誰もが生得的に持っている4つの心です。
苦:生老病死じゃなかたっけ?
微:それはブッダの四苦だろ!! 「四つの端緒」という意味で、それは困っている他者を見ていたたまれなく思う「惻隠」。
苦:間違いなくキミにはないな。
微:不正や悪を憎む「羞悪」、謙虚さを忘れずに他人譲ってへりくだる「辞譲」。
苦:悔しいけど、オレにはないわ。
微:最後に正しいか間違っているかを判断する「是非」のことです。キミのボケと間違いを訂正できる私には間違いなくありますが。
苦:要約すると借金で困っているキミをかわいそうに思うけど、見苦しい言い訳をする姿を見ていて恥ずかしく思い、つい「嘘をつかずに、借りたものはきちんと返せよな」と忠告する私みたいなもんか?
微:主語を勝手に入れ替えるんじゃねえよ! 孟子は古今の君主を王者と覇者とに、政道を「王道」と「覇道」とに弁別し、前者が後者よりも優れていると説きました。
苦:やっぱり、必殺技は「波動拳」だな。
微:ゲームの話ではありません。覇者とは武力によって偽りの仁政を行う者であり、そのため大国の武力がなければ覇者となって人民や他国を服従させることはできません。
苦:要するに空き地のリサイタル前のジャイアンだな。
微:対して王者とは、徳によって本当の仁政を行う者であり、そのため小国であっても人民や他国はその徳を慕って心服するようになります。
苦:これはしずかちゃんだな。できすぎ君だと却って反発を受ける。
微:覇者を全否定はしないんですが、「五覇は三王(夏の禹王、殷の湯王、周の文王)の罪人なり。今の諸侯は五覇の罪人なり。今の大夫は今の諸侯の罪人なり」(『告子章句』下)とまで述べて5人の覇者や当時群雄割拠していた諸侯たちを痛烈に批判しました。
苦:2階の自分の部屋で激怒しているのび太だな。
微:ドラえもんでの置き換えはもういいよ! 梁の恵王から国を強くする方法を問われた時も、孟子は君主は利益ではなく仁義によって国を治めるべきであり、そうすれば小国であっても大国に負けることはないと説きました。
苦:日本は小国なのに両方ないな。コロナ対応すらできない。
微:天下を得るためには民を得ればよく、民を得るためにはその心を得ればよいと。その点では今の自公政権はダメですね。
苦:それで勘違いして人気取りで自民も立憲民主もタレントやスポーツ馬鹿を参議院議員候補にスカウトするんだな。
微:ただの比例区の票欲しさだよ! では民の心を得るための方法は何かといえば、それは民の欲しがるものを集めてやり、民の嫌がるものを押し付けないことです。
苦:それを礼を自発的なふりして強制する儒家が言うか!
微:民は安心した暮らしを求め、人を殺したり殺されたりすることを嫌うため、君子が仁政を行えば天下の民は誰も敵対しようとせず、それどころか自分の父母のように仰ぎ慕うようになると。
苦:これを勘違いした先生が、生徒の嫌がることを一切免除し、迎合して子供を堕落させるよな。
微:これは倫理や世界史でもあまり紹介されていませんが、王道とセットになっている「民本思想」です。「民を貴しと為し、社稷之(これ)に次ぎ、君を軽しと為す」(『盡心章句』下)、つまり政治にとって人民が最も大切で、次に社稷=国家の祭神が来て、君主などは軽いとまで明言しています。
苦:吉野作造はパクリだったのか。
微:しかし、これは当時としては非常に急進的な主張であり、当時の君主たちに孟子の思想が受け容れられない原因となりました。
苦:田中真紀子や鳩山邦夫、麻生太郎は絶対に認めないことは確かだな。
微:この民本思想を理解したなら、孟子の「易姓革命」の考えも自然に理解できるはずです。孟子自身は「革命」という言葉を用いていませんが、その天命説は明らかに後の革命説の原型をなしています。
苦:世論という形で示される民意を尊重しろと。沖縄で言ってきて欲しいな。
微:孟子によれば、舜は天下を天から与えられて天子となったのであり、堯から与えられたのではありません。
苦:確かに、安倍は岸からもらったのでもないし、麻生は吉田からもらったのでもないもんな。
微:天下を与えられるのは天だけであり、その天の意思、天命はどのように示されるのかといえば、それは民の意思を通して間接的に示されるのです。民がある人物を天子と認め、その治世に満足するかどうかによって天命は判断されるのです。
苦:要するに「世論調査で支持率が下がってるんだから辞めろ」的攻撃をしろと?
微:それは最近の分析力の落ちたTV局のキャスターだろ! さて孟子は儒家の最も主要な代表的人物の一人として扱われていますが、彼の地位は宋代以前にはあまり高くありませんでした。中唐時代に韓愈が『原道』を著して、孟子を戦国時代の儒家の中で唯一孔子の“道統”を受け継いだという評価を開始し、ここから孟子の「昇格運動」が始まりました。
苦:島津久光の碁の相手から始まったんだな。
微:それは大久保利通! 孟子とその著作の地位は次第に上昇し、北宋時代の1071年に『孟子』は初めて科挙の試験科目の中に入れられ、1083年に孟子は初めて政府から“鄒国公”の地位を追贈され、翌年孔子廟に孔子の脇に並置して祭られることが許されました。
苦:西郷どんの飼っていた犬みたいなもんか?
微:全然違います。孔子を中心とする儒教宇宙の大物になったんです。南宋の朱熹は『孟子』を『大学』、『中庸』と並んで「四書」と位置付け、さらにその実際的な地位を五経の上に置きました。そして元代の1330年に孟子は“亜聖公”、つまり孔子に次ぐ人に封じられたのです。
苦:NO.2か。副総理というか、昔の林彪みたいなもんか? NO.1に殺されるのを待つだけの。
微:孔子もとっくに死んでるよ! さて、孟子の対立思想として、戦国時代末の儒者荀子(前313?~前238年?)の性悪説がよく挙げられます。しかし孟子は人間の本性として既に説明した「四端」があると述べただけであって、それを努力して伸ばさない限り人間は禽獸(=ケダモノ)同然の存在だと言いいます。決して人間は放っておいても仁・義・礼・智の徳を身に付けるとは言っていないのです。
苦:才能は王監督を上回っていたけど、練習が適当だったもんで並の選手になって終わったタブチくんみたいなもんだな。才能を磨き上げた例がイチローで。
微:荀子は、善を「治」、悪を「乱」と規定し、人間の性(本性)は「限度のない欲望」だという前提から、各人がそれぞれ無限の欲望を満たそうとすれば、奪い合い・殺し合いが生じて社会は「乱」(=悪)に陥る、と述べてその性悪説を論証します。
苦:今の日本でならいくらでも実証できますね。まずは中村うさぎ、次に山本モナ、泉ピン子・・・。
微:あまり敵を自分で増やさないように。そして、各人の欲望を外的な規範=礼で規制することによってのみ「治」(=善)が実現されるとして、荀子は礼を学ぶことの重要性を説きました。
苦:教育の論理というか現実に近づいたな。
微:つまり荀子は人間の本性とは欲望的存在であるが、学問や礼儀という人為としての「偽」を後天的に身に付けることによって公共善に向うことができると主張します。ホッブズ的社会契約説の一種とも評価していいでしょう。
苦:戦時中の日本の軍部はホッブズ主義だったんだな、「ぜいたくは素敵だ」って。
微:「素」が余計です。まあ、両者とも努力して学問することを通じて人間がよき徳を身に付けると説く点では同じなのです。両者の違いは、孟子が人間の主体性を信じる楽観性にあるとすれば、荀子は君主がいかに安定性の高い社会制度を作れるかという社会システム重視の考えに立った点にあります。
苦:つまり組織力路線のサッカー日本代表は荀子路線ということだな。
微:それは監督も含めて個々の能力が低いだけだからだよ!(パシッ!)
作者の補足と言い訳(3年倫理で)
ここは3年「倫理」でやる設定で補足というか言い訳します。取り上げていない朱子学と陽明学、そして日本儒学史についてです。死者の魂を扱う宗教としての儒教から支配者の学を抽出したのが朱子学ですが、その朱子学は禅宗と、当然ながら道家思想を取り込んでいます。なので理気二元論があるわけですが。朱子学は、貴族のいなくなった宋代中国において、支配者にふさわしい人格を陶冶する「開かれた学問」に儒学を位置づけ(→性即理)、また遙か遠い過去の遺物となった春秋時代の儒教的儀式の復活を諦めて「当世風」に再構築したものです。なので『五経』よりも『四書』を重視しますが、日本では『孟子(もうじ)』は天皇家に差し障りがあるので、『大学』から受容が始まりました。室町時代の桂庵玄樹『大学章句』、あるいは江戸期陽明学の熊沢蕃山『大学或問』等の書名を見てもわかります。なので江戸時代に伊藤仁斎が「孔孟の原典」に戻る古義学を唱えたわけですが。
しかし、鎌倉末期には朱子学の重要概念の「大義名分論」は伝来しており、それが後醍醐天皇の執念の討幕運動に繋がり、江戸時代の自爆的な発言、つまり松平定信の「大政委任論」や尊王を訴えた水戸学という名の「名分論」を生み、ひいては尊王攘夷思想につながるのですが。
話は先に進み過ぎましたが、日本朱子学の武士間の発展には「華夷変態」と武力による天下泰平の実現という儒学的には理解不能な現実がありました。支配者としてのレゾン・デートルを戦士である武士は山鹿素行以降、仁政の実現とそれの担い手にふさわしい人格陶冶に求めました。逆に、道家的ですが、道徳が不要なほど日本人は優れていることを証明したい人々は国学に向かうのです。