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微苦笑問題の哲学漫才06:科学革命編

 微:今回は科学革命です。
 苦:何冊目だ? 大作先生の本も。
 微:それは人間! 科学革命とは、16~17世紀に起きた天動説から地動説への宇宙観の大転換です。
 苦:天童よしみから千鳥のノブに司会が替わったんだな。
 微:いや、無理してボケなくていいです。ガリレオ・ガリレイ、ニコラウス・コペルニクス、ヨハネス・ケプラー、アイザック・ニュートンらによって達成された重力的宇宙観の確立です。
 苦:リンゴを齧ると歯茎から血が出るのを見て、重力を発見したんだな。
 微:それって昭和の歯磨き粉のCMです。前の話とつなげれば、キリスト教と科学の分離、アリストテレスからの科学の解放のことです。
 苦:心臓が思考をつかさどると誤解していたアリストテレスが2000年以上信じられていたことの方が驚異だけどな。
 微:まずは1543年の『天体の回転について』で地動説を公表したポーランド出身の天文学者コペルニクス(1473~1543年)です。
 苦:びびって死ぬ直前まで公表しなかった気の小さいやつだな。
 微:嫌みなことを言うな! 彼の姓の「コペルニクス」はラテン語表記の Copernicusを日本語で読み下したもので、ポーランド語ではコペルニク(Kopernik)となり、「銅屋」を意味します。
 苦:日本だと高野さんや熊野さんか。
 微:どろどろに溶けた銅が「湯」ですからね。ちなみに兵庫県芦屋市には精銅に由来する精道町と蘆屋堂満伝説が残っています。
 苦:錬金術師みたいなおっさんだろ。しかも話が膨らみ過ぎてライバルが安倍晴明だったっけ。
 微:キミにしてはよく勉強してますね。もう一つご当地ネタを疲労すると、芦屋の南の臨港線にはニュートンが見ていたリンゴの木のタネから繁殖させたリンゴの木があります。
 苦:青いうちに住民が盗んで熟さないという南部の民度の象徴だよな。
 微:芦屋ネタはこの辺で止めときましょう。青森のキリストの墓的になりつつあります。
 苦:そっちでいくと隣の西宮市の市章も西宮神社の紋もダヴェデの星だよな。いや、マニアの街だな。
 微:戻しますね。父方のコペルニク家はポーランドのシレジア地方にある古い銅山の街コペルニキ出身です。
 苦:日本なら別子か足尾ってところだな。
 微:彼が生まれたのはトルンですが、そこは1772年の第1回ポーランド分割でプロイセン領となったくらい、民族的にはドイツ人の多かった地域でした。
 苦:日本で言うと琉球王国・沖縄県的ポジションというか大阪市の大正区みたいな位置だな。
 微:いや、実際にコペルニクス本人がポーランド語で書いたものは現在発見されておらず、彼が実際に日常会話以上のポーランド語をどの程度使えたかは定かではありません。
 苦:ウチナーグチで日常生活していたようなもんだな、まさに。ウルトラマン・シリーズの金城哲夫や上原正三以上のインパクトがあったけど、ポーランド語に不自由していたと。
 微:そのため、ドイツでナチスが勢力を誇っていた時代は、彼がポーランド人かドイツ人かが大きな論争の的となりました。
 苦:「○○を最初に発明したのはわが中国だ」「高句麗は中国文明だ」的なせこい主張だな。
 微:余計なことはいいんだよ! さて、ガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)ですが、これぞ言うまでもないイタリアの物理学者、天文学者、哲学者です。
 苦:昔いた「段田・ダン」みたいな名前だな。しかも芸名じゃないし。
 微:さらっと流して、ガリレイはオランダで1608年に望遠鏡の発明特許について知ると、1609年5月に一日でその10倍の望遠鏡を作成し、さらに20倍のものに作り変えました。
 苦:本当の目的は覗きで、田代まさしの依頼だったそうです。
 微:捕まるだろ、それじゃ!! この倍率を上げた望遠鏡を用いてガリレイは、月面にクレーターや山、そして黒い部分があることを発見しました。
 苦:よく見たら妻の顔だったそうです。
 微:望遠鏡を使う必要ねえだろ!! この時、月面の黒いところを海と勘違いしたんで、今でも「○○の海」と呼び習わしています。
 苦:「舞の海」もガリレイが発見して名付けたんだよな。ちょこまか動くから大変だったらしい。
 微:それは20世紀末の相撲取りだよ! 1610年1月には木星の衛星を3つ発見し、これらの業績から「天文学の父」と称されました。
 苦:下村、萩生田、桜田と名づけました。
 微:それは安倍の取り巻きだろ!! さらにもう1つの衛星を発見し、今でもガリレオ衛星と呼ばれています。
 苦:その直後にその付近を掘ったら358本の銅剣まで出土したそうです。
 微:それは神庭荒神谷遺跡だろ、島根県の! 日本の考古学の話をしてません。話を戻すと、この木星の衛星の発見は、当時信じられていた天動説については不利なものでした。
 苦:九州で三角縁神獣鏡が大量に見つかったようなもんか?
 微:それは邪馬台国論争だろ! いい加減に日本考古学から離れろ! 
 苦:しかも地動説を思いついたのはキトラ古墳の天井を眺めていた時だそうです。
 微:石室でどうやって望遠鏡を使うんだよ! 話を強制的に戻すと、金星の観測では、金星が満ち欠けする上に、大きさを変えることも発見しました。天動説に従うなら、金星は多少の満ち欠けをしても、三日月のように細くはならず、地球からの距離は一定なので大きさは変化しないはずなのです。
 苦:滋賀県のバカ知事はいいニュースにはすぐにしゃしゃり出てくるけどな。
 微:ガリレイは木星の衛星について観測結果を『星界の報告』として出版したんですが、この頃から、地動説へ言及することが多くなります。
 苦:日本政府のコロナの感染状況とオリンピックを切り離せばよかったのにな。
 微:ウソをついたりデータを改竄しないのは科学者の基本です。しかしケプラーが『星界の報告者との対話』を発刊して、ガリレイを擁護したもんですから、地動説とガリレイは一体化してしまいます。
 苦:小さな親切、大きなお世話だな、まさしく。
 微:それが彼を妬んだドミニコ会修道士ロリーニとの論争に発展し、1616年の第1回異端審問所審査を招き、ローマ教皇庁検邪聖省から、以後、地動説を唱えないよう、注意を受けました。
 苦:でも退職金は満額だったそうです。
 微:内閣府の報道官や河合夫妻かよ!! そして1633年に第2回異端審問所審査で、ローマ教皇庁検邪聖省から有罪の判決を受け、終身刑を言い渡されますが、その時にあの名言が出ます。
 苦:たしか、「今日はこれくらいで堪忍しといたろ」だろ?
 微:池乃めだかかよ!「それでも地球は動く」という言葉だよ!! 有名な言葉ですが、状況から考えると発言した事実は無いと考えられています。
 苦:でも直後にトスカーナ大公国ローマ大使館での軟禁に減刑されたんだろ。教皇自身が望遠鏡の観測に喜んでたから。
 微:教皇も読みが外れたんでしょうね。しかし、フィレンツェの自宅への帰宅は認められず、その後一生、監視付きの邸宅に住まわされ、散歩のほかは外に出ることを禁じられました。
 苦:スーチーさんや日本の入管より人道的な対応だな。
 微:ミャンマー国軍と比較しても意味なしです。大学教授を含むすべての役職は判決と同時に剥奪され、『天文対話』は禁書目録に載り、1822年まで撤回されませんでした。
 苦:でも当時のローマ教皇庁はイタリア外での権力はなかったからイタリア外では影響はあまりなかったんだよな。ロンドンに亡命したマルクス、スイスで活動したレーニンみたいに。
 微:続いてヨハネス・ケプラー(1571~1630年)です。彼は、ドイツの天文学者ですが、天体の運行法則に関する「ケプラーの法則」を唱える直前まで、プラハの天文学者ティコ=ブラーエの観測助手でした。
 苦:バットマンでいうとロビンだな。やっぱりブルマーはいていたのかな?
 微:それはTV版の古いやつですね。ケプラー以前の天文学では、惑星は中心の星の周囲を完全な円軌道で運行すると考えられていました。
 苦:星座は円軌道で北極星の回りを周転するもんな。
 微:天動説最大の難問が惑星の逆行運動でした。この問題は周転円の考えを導入して処理されていました。それを覆したのが先ほどのコペルニクスです。
 苦:計算に行き詰まった時にはちゃぶ台をひっくり返していたそうです。
 微:それは星一徹で、実は1回しかしていないんだよ! ただコペルニクスの地動説は「コペルニクス的転回」という発想の大転換を表現する際に比喩として用いられていますが、そのコペルニクスもまた、惑星は円軌道を描くという考えに縛られていました。
 苦:私も最近まで相撲の力士は強いという考えに縛られていました。
 微:これに対してケプラーは、惑星の運動を歪んだ円、もしくは楕円であると考えたのです。それは本来ならブラーエも観測データの誤差として処理されていたデータを組み込んで計算することでした。
 苦:悩ましい問題だな。データの何をバグとみなすか、という判断時点で既に科学者の期待と主観が混入する「客観性のジレンマ」。
 微:そして惑星の軌道を楕円と仮定すると、ティコ・ブラーエの観測した結果を数学的に説明できることが分かったのです。
 苦:偉いね。GDPが回復しているふりをするためになりふり構わずデータを改竄した安倍とは大違い。
 微:客観的であるためには誤差や主観を排除しなければなりません。ベーコンの言う「イドラの排除」です。ですが「客観性のジレンマ」から逃れるのは難しいんです。
 苦:小保方さんのコメントが聞きたいな。
 微:ただ、ずっこけるかもしれませんが、ケプラーの本職は占星術師だったんですけどね。
 苦:ドリフターズの本職がバンドだったんだし、いいんじゃねえの?
 微:さて最後にアイザック・ニュートン(1642~1727年)です。近代物理学の祖で、アインシュタインの特殊相対性理論が現れるまで物理学とはニュートン力学でした。
 苦:そりゃ『ムー』とは格が違うわな。
 微:雑誌じゃねえよ!! 実際、古典力学は自然科学・工学・技術の分野の基礎となるもので近代科学文明の設立に与えたその影響は計り知れません。
 苦:そうだよな、毎年多くの高校生が微分積分で苦しめられているもんな。
 微:それは能力と根気の問題です。ニュートンは1661年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学します。ルーカス数学講座の初代教授バローはニュートンの才能を高く評価しました。
 苦:バローズだったらえらいことになってたな。
 微:『裸のランチ』かよ!! 1664年に正式なスコラーになり、翌年には学位を授与されました。ニュートンは才能を開花させ、1665年に二項定理を発見、それは微分・積分学へと発展していきます。
 苦:リンゴの話はまだかよ? 長いんで疲れたよ。
 微:「リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見した」という話ですが、これは誤解を招きかねない逸話です。
 苦:じゃあ、何を発見したんだ?
 微:彼が万有引力の法則を思いついたそもそもの動機は、ケプラーの法則です。「物が落ちる」という現象と、太陽系の惑星の運行が、同じ力に由来するという発想から万有引力を思いついたんです。
 苦:物体の落下と惑星の公転という異なる現象を統一的に理解したと。なるほどね。
 微:ニュートンにもオチがありまして、本職は錬金術師でした。聖書研究や錬金術の実験などに没頭していたことが1946年に経済学者ケインズによって明らかになりました。
 苦:腐女子がよだれを流しそうな話だな。
 微:ケインズは「ポーツマス・コレクション」と呼ばれる数多い未発表資料をケンブリッジ大学で発見し、それを研究したのです。そこに現れたニュートンの姿はまさに錬金術師でした。
 苦:箒に跨って空を飛んでいたそうです。
 微:それはハリー・ポッターだよ!! 彼はキリスト教研究に打ち込み、1690年頃に『ダニエル書と聖ヨハネの黙示録の預言についての研究』、死後の1728年に刊行された『改訂古代王国年代学』に纏められています。
 苦:本のタイトルだけで、皆さんドン引きだな。
 微:この中でニュートンは、聖書や伝説にある出来事の年代確定に天文学手法を導入しながらキリスト教的歴史観である普遍史をプロテスタント的史観で再構築し、独自の終末論を展開しています。
 苦:ひたすらノアの洪水が何年の出来事か計算し、錬金術で主ヤハヴェが行った奇跡を再現しようとしてたんだろ?
 微:まあ、失敗してるんですけどね、当然ながら。絶対的時間や絶対的空間などを確立したニュートンでですが、彼自身はそれらがキリスト教の教義と矛盾するとは考えてはいなかったんです。
 苦:まあ、小泉や竹中が言ってた「規制緩和と国民所得の減少は矛盾しない」や、コロナ拡大でもセイカリレーも大会も強行するよりは実害ないからいいでないの?

作者の補足と言い訳
 宗教が神話から分離してからも、宇宙観は宗教と一体でした。そしてその宇宙観とそれを支える「科学」は最も説得力を持つものだったからこそ、その宗教の正しさを証明したわけです。ですが、そこに断絶だけでなく対立をも生み出したのが地動説の再発見とその証明及び完成でした。
 ですが、その自然科学も『旧約聖書』の世界観・人間観を前提にしています。人間が神(と仲間の天使たち)の似姿として創造され、自然を支配して繁殖していくことを命ぜられた存在することは当然のことでした。そしてこれまた当然ながらその延長線上に現代の資源浪費型社会や、人間の欲得のために絶滅した・していく生物がいるわけです。
 現代は専門家社会であり、「素人さん」は業界の人や専門家の判断や意見に口出しできない/してはならない社会になりました。その原点とも言えるのが科学革命ですが、これも業界の都合で、実際以上に高潔で純粋無私な営為として神話化されています。とりわけニュートンがそうですが、これを完膚無きまでに破壊した(偶像破壊した)のが経済学者であり一流のアマチュアだったケインズでした。
まあ、東京ガスの社員向けテキストは「人間に火をもたらしたプロメテウス」から始まるそうですので、どんなものも自己を崇高化したいのでしょう(化学の教科書もデモクリトスから始まりますよね)。
 話がよたっていますが、閉鎖的になると科学も学問も発展しないこと、次世代を担う人材をリクルートできないこと、専門用語という符丁だけが繁殖すること、言い訳だけがうまくなっていくこと。以上を原発事故やドイツ・フランス文学の衰退という形で大学関係者は問われているのです。

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