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心の大きなわだかまりに向き合ったら自分のことを許せるようになっておきた変化

それは、私は私でいいって思えるようになったことです。私の素直な気持ちに素直に行動している。やりたいも、やりたくないも、その間の気持ちも、全部受け止めている。そういう気持ちでいるだけ。ただそれだけでいいと感じれていて、どうにかしようとしてない。で、それがとても心地よいです。以前のそうでなかった私に振り戻されることもあるけど、その揺れの中を楽しんでいるような、そんな感覚。

こんな人に向けて書いてます。
・自分の当たり前に苦しんでいる人
・こうすべき、こうあるべきの思考に疲れちゃってる人
・自分に許せない部分がある人
・コーチングで自己と向き合うと人がどう変化するのか知りたい人
・夕食を心地よく作れるようになりたい人(過去の私)

どうも、パトちゃんといいます。会社員(現在は育休中)とライフコーチをしてます。これはTHE COACH Academyというコーチングスクールの最終課程であるプロコースを修了した私のメモ書きのようなnoteです。けど、この感覚の変化を見える形として書き残しておきたくてここに置かせてもらってます。

私は私でいいって何?

ざっくりと言葉を選ぶなら「安心感」を私は感じています。自分の心の中に平穏が訪れ、誰も私を否定しない。「私は私でいい」この言葉は世の中にいろんな形で表現されていますよね。そうあれば幸せであるかのように…私の中にもそんな風に刷り込まれいました。でも結局それってどんなことなの?ってずっと思っていました。こうしなきゃとか、こうすべき、こうあるべきの思考は、そうでない自分を否定しているんですね(もちろんその思考が必要な場面はあります)。しかし、こうなりたい、こうしたいに置き換えることも可能ではないでしょうか。そう置き換えられると、どうしてそうなりたいんだっけ?と自分の気持ちの源に敏感になりやすくなる、そんな余白が生まれる。そこに安心感があるような気がしています。そのことに気づいたのは、プロコースを受講し始めて4ヶ月が立った頃。もうあと数週間でコースが修了するという終盤も終盤の10月中旬。夕食を作るというささいな日常の出来事からです。

夕食が作れない私を無意識に否定し続ける日々

本当に真面目な話でお恥ずかしい話。昨年子供が生まれてから、私は一人で夕食を作れなくなっていました。現在私は、育休中です。子供をみているとはいえ「夫は仕事して帰ってくるのだし、家にいる私が夕食は作っておくべき」。そんな当たり前が私の中にはありました。でも、私の中で当たり前すぎてこれが自分を苦しめているなんて全く気付いてませんでした(そもそも夕食前後にソワソワしてる、憂鬱だなって感じてるのが、夕食が作れないせいだと気付いてなくて、後から考えるとこれが原因だったと分かりました)。この当たり前、母親、妻、家族の一員として当たり前にするべきことを私は出来ていない、やりたくない、面倒くさい、という気持ちを見て見ぬふりして、娘の目が離せないから、夫の方が手際がいいから、私か夫が子供を見てる間に集中して夕食を作った方が結果時短だから・・・そんな理由を並べて自分を無理やり肯定して過ごしていました。でも、心の奥底ではずっと「サボってる、甘えてる」という声が私を責め続けていたんですね。この感覚でいる間、私は夫が帰ってくるまでに夕食を作れていませんでした(夫、仕事を切り上げて早く帰ってきてくれてて本当にありがとう)。そんな風に過ごしていたある日、ふと「このタイミングだったら夕食を作れるんじゃないか?」と思いつきやってみると、娘が私と離れてもぐずらないし、私の心がざわつくこともなく、20分くらいで夕食が作り終わり(Oisixさんありがとう!)、夫が帰ってきてスムーズに夕食が終わり、「え、できるじゃん・・・」とその日はとても気分が良かったのを覚えています。

自分がどうしたいかにフォーカスすると自分の気持ちを無理なく生かせる

夕食を一人で作ってみて、母親として、妻として、家族の一員として無くしそうになってた自信を取り戻し、当たり前にある姿になるのではなく、自分はこんな風に過ごしたいと思う気持ちを叶えることに自然と気持ちが向くようになっていきました。それからは「どう過ごしたいんだろう?」っていう自分の願いをそのまま感じてみることにしました。「ああ、今日はたくさん動いて疲れてるから、夕食作るの面倒になってるんだね」と感じたら否定も肯定もせずしばらくそれを感じてみる。すると、次第にやっぱり作ろうという気持ちが生まれてくる。それはそっちの方が気持ちいいって自分の気持ちを無理なく生かしている感覚。それでも面倒だなって気持ちがある時は、潔く「今日は出前で!」とか「夕飯作れない〜」と夫にLINEする。そんな日があってもいいって思えている。そこには「家にいる私が夕食を作っておくべき」という呪縛から解放されている私がいました。

生活を営む全ての行為が自然なまま

これまでは日常をただなんとなく過ごして、時間を消費している感覚がありました。けど、この一件をコーチングセッションで取り扱ってみるとやっとここに辿り着いたんだと涙を流す自分がいました。夕食を作れるようになっただけでここまで意識が変わるもんかという気持ちと夕食を作れない自分のことどんだけ責めてたんだ・・・という驚きです。今は同じことをしていてもなんだか意識が違って、私が生活を営む全ての行為が自然のままで、心がそこにある感じ。時間を消費している感覚は薄れて、その時間とともに過ごしている感覚なんですね。

心の大きなわだかまりに向き合う

この感覚にたどり着くために大きく関わっている私の内面の変化があります。このプロコース中に、10年越しに思い出を引っ張り出して自分の心の中にある大きなわだかまりに向き合ってみました。はじめはクラスセッション(講義)でもコーチングセッションでもこのわだかまりに向き合いたくないって思いが強すぎて、その当時のことを思い出したくなくて、話そうと思うだけで呼吸が浅くなって気分が悪くなっていました。できるなら逃げたいと思っていました。でも今は、直感的にこれに向き合わざるを得ないって感じていた自分、その直感を信じて向き合ってくれてありがとうって当時の私に伝えたいです。逃げないでくれてたおかげで「私が私でいい」と思えるようになるために必要な私の中の大切な感覚を受け取ることができました。

「許せない」も許す

このわだかまりに向き合う中で出会ったのが受け入れ難い自分の一部(サブパーソナリティ)でした。それは誰かを許せない私に対して「それでも許しなさい」と強く強くプレッシャーをかける存在でした(名前はマザーテレサ)。私は人を許すことができない、心のせまいダメな人間だと心の奥底で無意識に否定し続けられていました。でもコーチングセッションを通して、マザーテレサの存在に気付くことで、彼女に「今も許せない人がいる、そんな私のことをあなたが許して欲しい」と語りかけることで、彼女の「許す」定義が広がり、私自身の許す行為も一段深くなったように感じました。許せないも許す。この感覚を得ることは今の私が私でいいと思えていることに大きく寄与しています。夕食を作れなかった私の「面倒だなー」って思うことも許せるようになっている。許せるとそれを感じる余裕が生まれる。面倒なんて思ってはいけない・・・だと面倒だって思ってるのにそれを感じれていないんですよね。そこ感じきれていないので、自分を別の理由で肯定し続けることで夕食を作らないことに固執していた気もします。面倒だなって気持ちを認めないと、一生夕食を心地よく作れなかったかも。笑

感じてはいけない感情はない

これまでこんな時こんな役割の私はこんなこと思ってはダメだ、という気持ちが私をとても不自然にしていました。怒りとか嫉妬とか恐れとか不安とか、そういう感情は感じない寛大で意欲的で穏やかな自分でありたい。そう思って抑えれば抑えるほど不自然さが私をとても苦しくさせていました。「自分から生まれる感情に感じてはいけないものはない」と許せると、「感じちゃダメ」と自分からその感情が外に出ないように窮屈な鎧をまとっている感じが無くなって、「あーそうだよね、不安だよね、面倒だよね」と私がその気持ちを手の中に入れて、そのままの私でその場で立っていられる感じになりました。これまで染み付いていた思考の癖が紐解けて体も緩まる感覚です。体にいつも無駄に力が入っちゃうの長年の癖なんですけど、この気持ちもこの癖に影響しているのだろうなと思います。

過去の不自然さも愛着へ

私はある日夕食が作れるようになった。その瞬間、何が起こったのか?なぜふとこのタイミングなら作れるんじゃ?と思いつけたのか。子供が成長したから?恐らくそれもとても大きな理由です。そして、私も成長したんですね(わーい!)。ありたい姿へ向かう気持ちは無意識にもずっと私の中にあって、様々なの私の感情や思考に影響し合っています。夕食が作れないことでマザーテレサに出会った訳ではないけれど、自分のわだかまりに向き合うことで別の課題が玉突きのように動き出しました。「夕食作れた!やったー!」だけで終わっていないのがその証拠で、この出来事から生きること、見ること、聴くこと(聞くこと)、話すこと、関わること・・・全てが私の中で能動的な営みとして認知され、そこに自分の源(欲)をどんどん感じていく。そう感じれるようになると、これまで様々な場面でべき思考に苦しんでる時の私も不自然さをまといながら一生懸命に生きてたんだなと愛着が湧きます。

プロコースの完了を味わう期間

そんなこんなでプロコース終盤から最後のクラスセッションが終わった後も変容が続いていたので、プロコースが完了するとはどういうことだ?と腑に落ちずに考え続けていたのだけど、この日常を味わい、私は私でいいを受け入れることで完了しました。日常の中で違和感をキャッチして、自分に落とし込んでいくと確実に内面は変わってくる。そんなじんわりとコトコトお鍋の中で煮込まれるような変容を私はしていました。最後のクラスセッションが終わって「終わったー!」って気持ちになるものではなくて、完了から何を感じ、私に何を馴染ませるのか、を感じる期間が必要だったのかもしれません。それくらいこの5ヶ月間は、私にとって大切な時間になりました。ここまでを一人で出来たのか?というと全然そんなことなくて、自分が日常で受け取れるものが増えたことに気付き始めたのは、プロコース中、コーチをしてくれてた同期(ちべちゃん)から「どんどん静かになってますね」と以前は自分の心の中でたくさんの声に溺れていた私の変化を捉えてくれたときだったり、プロコースが完了したんだと実感できたのはマイコーチ(さきえるさん)とのセッションで「遠いところまで来ましたね」と反映をもらったとき。プロコース最後のクラスセッションが終わって2週間が経ってやっと私のプロコースが完了しました。

次の旅路へ

さて、長々と書いてきましたがもう一つだけ・・・今回このnoteを書く上で一つ挑戦をしていました。それは、一人で頑張らない、人に頼る、頼り方を知る、自己開示をするです。そこでTwitterで1週間前にこのnote を書いてることを公開しました。あと応援して欲しいってことも伝えたら、ありがたいことにたくさんのコメントやいいねをもらえました。嬉しい。

で、この時私に何が起こったか。「これで公開出来なかったらヤバい」と「こんなに応援してもらえるんだ」でした。前者は頑張る私にこれを形にせねばというエネルギーを、後者は応援してもらえるって嬉しいな、頑張りたいなというエネルギーを感じました。私の中にうまれるエネルギーの質感の違いがあって、驚きました。そして、こんなふうに自己開示している未来は以前の私からは想像できませんでした。THE COACHやコーチングを通して手放しで応援し合える関係性の中に自分がいることに気付けた。コーチングマインドが広がった社会、私はこの中で生きる準備を整えているのかもしれないとふと思いました。次は人に頼れる自分への変容を目指すんだろうな。そこにはこれまで向き合ってきた私が私を助けてくれるはず。

ここまでお読みくださりありがとうございました。日常の中から自分に絶賛向き合い中の私ですが、ライフコーチをやっております。ご興味を持っていただけたらぜひ一度お話ししましょう!2022年12月はクライアントさんを3枠募集しております。2023年に向けて自分を大事にする時間、自分を知る時間、そこから前に進む自分の変化を感じてみませんか?体験セッション(1,000円/60分)のお申し込みはTwitterのDMにて!

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Yuki Sugawara | パトちゃん🏝️🇦🇺メルボルン在住ライフコーチ
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