“善意の残飯処理班”を卒業しようと決意した話。
この話は、不特定多数が見るnoteに
書くつもりはなかったが、
世の多くの、“善意の残飯処理班”が
無理をしないために、
そして、わたし自身が、本当にきちんと
“善意の残飯処理班”を卒業するために、
書くことにした。
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1.給食と出会った
2.ご飯を残せないわたし
3.善意の残飯処理班
4.善意の残飯処理班を卒業しよう
1.給食と出会った
小3の時、初めて日本の学校給食を
食べた。
それまで海外に住んでいて
幼稚園は給食だったが、
小学校はお弁当だった。
小さい頃住んでいたところでは、
当時はまだ道端で物乞いをする子ども、
花などを売って生計を立てようとする
子どもたちを見かける地だった。
私が学校に行けることを幸せだと
思うのも、自分がどれだけ恵まれた
環境にいるかを小学生の時から
頭の中心に置いているのも、
塾に行かせてもらう時は必ず理由を
紙に書いてお願いしたのも、
中高一貫校だったけれど高校進学時に、
きちんと高校にあがりたい理由を
親に話したのも、
こういう過去の経験が元にある。
さて、給食とお弁当の話に戻ると、
お弁当は、最近はもしかしたら
忙しい親御さんも多く
購入してきたものも多いかも
しれないが作ってもらった、
もしくは、自分が作ったお弁当なら
なおさら、基本的には、
お弁当を残す事は少ないだろうし、
例え自分の家から持ってきた
お弁当を自分で食べきれなくても
他の人が代わりに
食べきらなくてはならない!
という発想は出ない。
2. ご飯を残せないわたし
小学生から高校生くらいまでの私は、
どんなに食べてもせいぜい
BMI17くらいの太らない体質だったし、
海外で過ごした経験から、
ご飯を食べられる有り難さは
幼少時から感じていたし、
母に好き嫌いなく育ててもらった
おかげで、その昔、
食べるのがあまりにも
遅かったのだが、スクールバスに
間に合わないからと、
パンを食べている中に突っ込まれて
気持ち悪くなった牛乳、
以外はゲテモノ以外では
好き嫌いはないし、その牛乳も
特に好まないだけで飲める。
(ちなみに乳製品は
大好きなのだけれど笑)
好き嫌いなく育った私はまた、
出されたご飯を残すことも
できなかった。
いや、正確にいうと、
出されたご飯を残す、
机におかれたご飯を残すという発想が
なかった。
用意されたものは全て空に、
食べきらなくては、と思っていた。
(これが後に、非嘔吐型過食に
つながるのだが……)
それで、給食でも、
自分の食べ終わった後
友人の残すご飯もよく“処理”していた。
残っていたらそのまま棄てられる残飯を
本当にすてられるまえに、私が食べる
(仏語‘manger’)。
これを、「残飯処理班」なんて呼んで
友人が食べきれなかった給食を、
「残飯処理班」の私が処理する(食べる。)
3.善意の残飯処理班
この、「残飯処理班」というのは、
自分の分としてつがれたご飯を
全て食べ切った後に、まだ余裕が
あるから、残っているご飯も
食べますよ(処理しますよ)という
役割の、 善意によるもの。
どうしてこんな話をしたかというと、
数年前、自分には関係のないはずの、
人間関係に巻き込まれて、
2度、過労になったからだ。
(この事実も、多分、
今後書くことはない)
当時の私は、自分自身も大学院生で
アルバイトもいくつかしていたし、
大学院の授業も学部の授業もあったし
就職試験や就活や実習もあった。
私は、この時点で、
自分の分の“ご飯”だけでも、
苦しいほどお腹いっぱいだった。
むしろ自分が1番食べたい、
食べるべきご飯(修士論文)を
食べていない(書いていない)のに、
他人の"残飯"(他人の事情)を処理して
欲しいと言われ断れずにそれを、
食べ続けてしまった。
今の私には、それが、
わたし自身の、問題に帰するところも
大いにあるとわかる。
研究する者として、失格であった。
2度と同じことはしない。
だけれども、あまりにも
追い込まれていた当時のわたしには
頼まれた時点では、
ほんの少しの“残飯”と思っていたものを、
引き受けてしまった。
そして、それは引き受けてしまってから
想像の何倍も何十倍もの量の“残飯”だと
気づいた。
そもそも、
その“残飯”(問題)を抱えていたAと、
Aの残飯処理を頼んできたBは
そんなに食べきれないのなら、
AやBの皿にとるべきではなかった。
そんな量だった。
給食だったとしても、
残してはならないという呪縛にかられて
私が、鍋が空になるまで
食べる必要はない。
他にも“児童”はいて、私が放棄すれば
その役目は他の人に回ったと思うし
誰もが放棄すれば、残したAや
頼んできたBが処理すべきだったろう。
もっというと、わたしと一緒に
処理してあげましょうといってきた
もう1人の残飯処理班Cがいるからと、私自身が頑張る必要は
なかった。Cに、
私はもう食べられないわ、と
徹底的に断るべきだった。
結局、問題を抱えたAの持ってきた
“残飯”(私に持ち込まれた相談事)は、私の想像をはるかに
超える量と重さで、
追い込まれていた私は、気づけば
それがわたし自身が
食べきらねばならない自分の給食だと
思い込んでしまっていた。
そして、1番食べるべき、食べたいもの
(修士論文等)を最後の最後まで
後回しにしてしまった。
非嘔吐型過食の私は、
他人に積まれた“残飯”を放棄する考えが
なかった。
何度も、周りの友人たちに、
放棄しなさいと強く言われたにも
かかわらず…
その、私が食べきれなくなるほどの
“残飯”は、そもそもAやBが
自分のキャパシティを考えずに
押し付けてきたものなのだから、
彼らが自分でどうにかすべきであって
決して誰かに、処理しておいて、と
押し付けていいものではない。
私は、“善意の残飯処理班”で
あるべきではなかった。
4. “善意の残飯処理班を卒業しよう
今ならわかる。
世の中にも、この“善意の残飯処理班”
(他人の問題に巻き込まれてそれを、
善意や正義感で解決しようと手助けする)の仕事に追われる人はたくさんいる。
一方で、そういう人たちに上手に
お願いをして、または、押し付けて
自分の問題を放棄する人もいる。
どちらにも問題はある。
“給食”は、“食べるもの”
(自分のやること)は、
自分に少し余裕が保てる程度に、
腹八分目にしなくてはならない。
ましてや、自分が食べきれないから
誰かに処理してなどと、
押し付けてはいけない。
また、誰かが残したからといって、
自分に余裕が本当はないのに、
“善意の残飯処理班”になることは、
処理しなきゃいけないことはない。
残した本人が、自分でその“残飯”を
どう処理するのか、処理すべきなのか
考え、そして実際に他人に押し付けずに
処理しなければならないのであって、
世の中の“善意の残飯処理班”たちに
押し付けてはならない。
また、“善意の残飯処理班”同士で、
どちらが多く“食べた”(どちらが大変だ、どちらが負担が多い)などということを
言っていても仕方ない。
私は、やっと、少しずつ、
“善意の残飯処理班”の仕事を
やめようと思ってきた。
見方を変えれば、
“善意の残飯処理班”が
他人の問題まで
処理してあげることで、
他人が失敗する機会を
奪ってしまうこともある。
心もお腹も八分目くらいにして
常に、後少し余裕はある、
くらいがちょうどいい。
渡辺和子氏は、
人を信用するときは8割、
残りの2割は相手が間違えた
ときのためにとっておく、
と言っていた。
お腹も、問題や仕事を抱えるときも
8(抱える量):2(余白)
くらいの割合がいいのだろう。
断るのがとにかくできなかった私も、
誰とでも仲良くしなくてはならないと
思ってきた私も、
少しずつ、少しずつ
自分のお盆に積まれたご飯を減らして、
そして、“残飯処理班”を卒業すべく、
自分にとって必要なだけの“ご飯”
(人間関係)を、じっくり味わって
いく、そういう生き方をしようと
やっと思い始めた。
#思いつき以上思考未満
#善意の残飯処理班
#人間関係
#抱えすぎのあなたへ
#給食と人間関係
#給食の残飯
#腹八分目
#お腹も心も八分目が1番
ちなみに、本当に過食気味(実際、
食事としての過食)も、
4〜5年かけて治しました。
最高体重60.0kg、平均58kgだった
2013〜2016あたりと今を比較すると
ここ3年の平均は
51〜52kgくらいです。
#過食 #過食改善 #痩せた
摂食は、摂食そのものではなく、
それ以外のことの起因が減ると
改善します。
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http://gahag.net/003505-school-lunch/(2020/1/13)