見出し画像

大前春子にも松方弘子にもなれなかった私



少し前まで、
ドラマで描かれる働く女性の主人公は
みんな歳上だったのに
気づけば彼女らと同い年になってきた。



2007年に、菅野美穂さん主演で
放送されたドラマ「働きマン」の
主人公、松方弘子は、
週刊『JIDAI』編集者。
物語の最初が28歳、
最後に29歳になる。

(https://gyao.yahoo.co.jp/store/title/038226)(2020/7/27閲覧)



松方は右往左往しながらも、
いい雑誌を作るために
寝食も忘れ、恋人も後回しにして
一生懸命に働いて成果を出す。



記事を書くときに、
仕事をするときに
働くスイッチが入るところから
働きマンといわれる。
(働きマンの漫画やドラマの時代は
まだ、バリバリ働く女性が特別視、
稀有な存在だったのだろう。
男のように働く、から
働きマン、
だとドラマでもいわれているが
今だとこの表現は生まれないだろう)




同じく2007年に放送され、
今13年ぶりに帰ってきた、
篠原涼子さん主演の「ハケンの品格」
の主人公、大前春子さんは、
2007年当時で33歳、
第6話で34歳になる。

(https://navicon.jp/news/60524/)
(2020/7/27閲覧)


 大前春子は、入行した銀行から
切られ、そこからあらゆる資格をとって
しかもそれをきちんと実地で使えるまでに磨いて、
その資格たちを武器に、「派遣社員」
という生き方を選んでいる。

 彼女は、派遣社員、
しかもスーパー派遣社員として
重宝される。


 このドラマよりすこしあとからは
派遣社員という存在も
かなり多くなったと思うし、
非正規雇用者も増えた。
そして、(確か)2019年4月?
2020年4月から、
同一労働同一賃金制度ができ、
2007年から随分とかわったから、
今回、新しくハケンの品格が
帰ってきたのだろう。

 大前春子さんとは
07年の年齢でも、今の私と
8歳違うので同年代というより
先だから比べる対象にできないが、

私は、スーパー派遣どころか
派遣社員にすらなれない。



 なんの経験もなく、たいした能力も
持つべき専門性も、英語力もない私は
派遣会社や人材紹介会社でも、
「んー…この年齢で、経験なくて
しかも特筆する能力もないんじゃぁ、
仕事紹介出来るものはないねえ」

と言われたのがオチだ。

 実際、派遣契約どころか、
最近は、
アルバイト採用すらされなくなってきた。

免許を持っている教員だって
努力不足で英語を教える能力が
足りていないから採用されないのだと
やっと頭で理解しはじめた。



さらに、他のドラマを観ると、


2016年に放送されたドラマ、
「地味にスゴイ!校閲ガール」で
石原さとみさん演じる河野悦子は、
ドラマ設定では新卒から
7年同じ会社を受け続けているので
29〜30歳の設定。
ちなみに原作では、
新卒入社2年目の設定とのことで原作
だとわたしよりずっとずっと年下だが、
やはり同世代。

(http://www.ntv.co.jp/jimisugo/)
(2020/7/27閲覧)

悦子は、やりたい仕事ではなかった
校閲部に配属されるも、
それが夢である希望部署にいくための
一歩だと、奮闘する。



佐々木希さん主演で
2018年に放送されたNHKドラマ、
「デイジー・ラック」の主人公
山城楓、そしてその友人役3人も
29歳設定。

(https://www.amazon.co.jp/NHKドラマ10「デイジー・ラック」-オリジナル・サウンドトラック-Evan-Call/dp/B07CPRX24Z)(2020/7/27閲覧)


そして、先日終わった、
「私の家政夫ナギサさん」で、
多部未華子さんが演じる相原メイは
28歳設定。

(https://www.cmoa.jp/special/?page_id=kaseihunonagisasan)
(2020/7/27閲覧)

 仕事はできるけど
お部屋が片付けられない主人公、
メイのもとにきたスーパー家政夫、
なぎささんとのお話。



大前春子さんは、2007年時点でも
私よりもう少し歳上だけれど、

あとの(ナギサさん以外の)主人公は、

視聴していた当時は、
「ずっとずっと歳上の、
理想のキャリアウーマンのお姉さん」

「こんな大人になりたい」だったはずが

いつのまにか、私は
その主人公たちの年齢になっていた。


そしてついに、
多部未華子さん演じる相原メイとは
ほぼ同い年になってしまった。




私は小さい頃から、
キャリアウーマンに憧れていた。
多分1番最初のきっかけは、
1998年にフジテレビ系で放送された
「ショムニ」を観たことだと思う。


ショムニで江角マキコさん演じる
坪井千夏は、調べてみたら、
なんと23歳の設定……

(https://image.middle-edge.jp/medium/770d611f-e462-4e22-b9d3-b923b76e49a1.jpg?1575342072)(2020/7/27閲覧)

今の私よりかなり年下だった。



小中学生までなんて、
OLと、自営業と、パティシエとの
違いやその働き方などの違いなど
考えたことがなかったけれど


とにかく、
バリバリ働く、できる
“キャリアウーマン”になりたかった。

(ここであえて“キャリアウーマン”に
印をつけたのは、
そもそも“キャリアウーマン”
という概念が今の時代、
既に言葉として死後になるべきだと
思っているからだ。)


とにかく、バリバリに働いて、
活躍している女性がかっこいいと
思っていたし純粋に憧れていた。


小中学生までの私には、
働く=外で働く=結婚できない
と思っていたから、
結婚はしたくない、
と思っていたし

高校生くらいまでは、
外でガツガツ働くか、
家に入る(主婦)かの
二択だと思っていたから
前者を理想としていた。



そして10代から20代になって
現実として恋愛をするようになって
将来も、10代の時より現実味を帯びて
それでも私は、
結婚しても私は働きたい、
私がガツガツ働きたいから
主夫になってくれる人だといいな…

なんて言っていた。



それがガラッと変わったのは、
2017年に病気をしたことだったと思う

大きなきっかけが、病気をしたこと、
なのであって、

原因、ではないと思う。



ただ、2017年以来、
キャリアウーマン志望が
一切消えた。

驚くほど微塵もなくなった。

多分そこには、実際、
働いていなくても、
普通に生活するだけで
身体が痛めつけられたように
立てなくなるという、目の前の
自分の現状がかなり影響している。

かといって主婦業をしたいなどという
そんなことはない。


 主婦の仕事をきちんとこなす、
というのがどれだけのものであるかは
これでも想像できる。


新卒で公立学校教員に就いた時、

特性も相まって、
今まで学校というシステムの中で
被教育者として生きていたところから
新卒で働く、しかも私は、
教員として、公務員として
「気品の泉源、智徳の模範」たらんと
すべき職に就く、そう考えただけで

異常に不安になった。


私には無理だと思った。


病気と、
結局、仕事を辞めてくるまで
ほぼ2年間休みなしだった疲れと
理想に近づけない自分と、
相乗して


私、働けるのかな…
ここで先生になったら、
いつ休みが来るだろう、

私、結婚できるのかな…
子ども産めないかもしれないんだよな…

自分の身のまわりと今の生活と
自分の身体だけで必死で、
それ以上に動くのは
とてもじゃないけど
きつい……

みんなみたいにうまく生きられない…

そんなふうに思った。

2018年に修士の2年間を
無事に終えて大学院を修了し、
なんとか仕事に就いたその時は、
とりあえず1年、いや、
1年と思うと、きつくなるから、
最初の4ヶ月をまず頑張るぞ!

そんな気持ちだった。  


でも現実には、3日目の朝には
辞めてきてしまったのだ。

もちろん体調や心の調子が
大きく影響したのは嘘ではない。

だが、私は「学校」
というシステムから出てどう動けば、
教員としてこれから、
間違いのない人間であるために、
どのように居ればいいのか
わからなかったのだ。


今までも、経験したことのない
想像のつかないことは投げ出したり
パニックになってきた。


それをなんとかこなせていたのは、
友人や家族、先生や先輩、
カウンセラーさん
という存在のおかげだ。


そういう存在なく、
独り立ちの第一歩に失敗した。

24歳の春のこと。



そして、休養をとり、
身体に無理をしないアルバイトを
はじめ、あれから2年以上経った。


20代後半は、気づけば
2年も過ぎていて
第二新卒の年齢の上限に達し、
今年27歳になった。


これまでのアルバイトは、
とても職歴になるものではなく、
また、これまでに何か
手に職、もなく、
ついには、
どこに応募してもアルバイトですら
通らなくなった。



自分の専門分野では、
あまりの能力のなさと経験のなさで
自信が持てず、実力も足らず、
さらに、卒業から2年
全く触れていない間に、
少しずつ門外漢になってきて、
ついには、
専門分野でも不利になってきた。


どれも、自業自得だけれど……。

仕事、ができない私は、
また、健康も持ち合わせていない。
体力もないし、すぐ体調くずすし、
心の調子もすぐに壊れる。


さらに、恋愛だって。

20代後半になって、
20代前半までの失恋とは、
引きずり方が全然変わった。
いや、その人だからこうなっている
のかもしれないし、恋の終わらせ方が
よくなかったのかもしれないけど…


実際、別れて9ヶ月も経つのに
今もずっと頭の片隅にいて
何をしていても片隅にいて、
朝目覚めたときにはもうその人が
頭に住んでいて、寝るときには
今もまだたくさん泣くし、
夢にだって出てくる。
そして夢から醒めた朝には、
すでにどっと疲れている。


体力もなければ
気候と気圧の影響も受けやすく
ホルモンや生理等の体調変化も
思春期から目まぐるしかった私は
体力と若さを失った今は
目覚めるのはいつもお昼で、
起き上がれるまで時間がかかって
行動し始めるのは夜になる頃で
やっとそこから体が動くから
夜また眠れなくて悪循環…
心にも影響してくる。



そして、たくさんのやるべきことを
何一つ手つけられないまま
その日を終える。
これがもう毎日続く。
小さな達成もない日々を繰り返す。

どれも、

どれひとつ、できない。




中学生の時に憧れた
「働きマン」の松方弘子の年齢と
同じくらいの年齢になったのに、

私は一向に、松方弘子のようには、
なれていない。

そんなふうに思ったのは、

今年の3〜4月。
ちょうどコロナで
自粛気味になってきた頃だ。



そして、今期のドラマ
「私の家政婦ナギサさん」が
始まって、
「同い年の皆は、
こんな風に活躍しているのだよなぁ」


「みんな、27歳までに、苦労したり
叱られたり、失敗したり、
大変な思いをしながら
4年間または同じ院卒の友人も
2年間働いて、成長して、
後輩のフォローをしたり
第一線で活躍しているんだよなぁ」

と感じた。


 修士を修了して、新卒に失敗して、
もっと正確な言葉で言えば、
失敗することを恐れて
失敗する機会を掴むことに失敗した私は

 自分でつかんだ正規の専門職を
3日で手放してしまった。



 あの時は、本当に
身体がキツかったから、
あのタイミングで
辞めてきたこと自体に
後悔はない。


 ただ、あの時
辞めてきてしまったこと、
それからの2年間で、
体力を少しつけるのすら精一杯で
学力も下がり、専門性も遠ざかり、
ブランクだけがあいてしまったこと、
仕事を辞めてきたことで
若いうちに失敗する機会を
失ったことの大きな痛手に、
26も終わりになって気付いた。



周りの、同級生の友人が、
社会人5年目になり、
リーダー職になっていたり、
責任ある役職についたり、
さらなる活躍のために転職したりして
結婚したり、お子さんをもったり、
どんどんと進んでいく中で


 たった1週間に2度、
数時間のアルバイトですら
満足にできない、


 家にお金を入れるどころか、
親にお金を借りないと
いけないほど困窮したり、

転職活動だって、
実質無職で、経験を積まないまま
既卒3年目になって、
もう「若い」年齢もおわり、
自分の専門としているところでも、
雇ってもらえなくなった。



そう、思っていた。

思っていた、と書いたのは、
実際には
私自身の努力不足が原因だからだ。

この空白の2年の間に、
自身の専門についてもっと磨くでもなく
英語力アップに集中するでもなく、
資格をきちんととるでもなく、
目の前のことをやることで精一杯で、
もちろん、健康や体力面で十分に
ならないから、
勉強しようにもそもそも
ご飯を食べるだけの、
起き上がるだけの元気もなかった
という理由はあったものの
それでも、身につけるべきことを、
身につけられなかった。


学力や資格の問題だけじゃない。


転職活動を再開して、
この7月にはじめて、
転職活動の履歴書の書き方が、
職務経歴書の書き方が
わからない自分、に気付いた。

(これでも調べて推敲して書いていた
つもりだったが)それを
エージェントの方に指摘され、
やっと、きちんともっと調べたり、
転職活動経験のある友人に聞いたのだ。

「みんな、
転職活動の時ちゃんと知ってたんだ」


「私がこの2年間、ゆっくりと
アルバイトをしながら学ぶべきは
転職活動の仕方と、英語力や専門性を
学び直すことだったんだ」

自分の無知と努力不足を恥じた。


「私は、何にもできない」



そう思えば思うほど、
再び失敗が怖くなって、
今だって転職活動をまた休止した。

私は、とてつもなく心が弱い。
打たれ弱すぎる。


現に、半年以上前におわった恋愛を
未だに毎日引きずっている。
そしてそれを引きずって、
毎日いまだに涙が出る。


正直、自分が相手だったら
別れてなお、こんな状態だと
知ったら引くだろうと思う。


さらに、30も近くなって、
まともに働いたこともなければ、
まともに転職活動もできず、
働くに足る能力すらない自分を
思い知らされて、打たれ弱すぎて、
失敗をおそれて
失敗を避けてきたがゆえに
何も能力も、経験も知識もつかぬまま
30が近づいていることにきづいた。



こんなの、今更気づくのは遅過ぎる。

そう思った時、
ふと、働きマンのなかにでてくる
格言が、頭をよぎった。


多分、働きマンが、
放送されていた当初、
中学生だった私には、
まだ響かなかったと思う。


今、27になる私には、
無職の私には、
失敗を避けるようになった私には
失敗を避けるようになったことで
正しく失敗経験を積まずにただただ
本当の“空白の期間”を過ごした私に、
この格言たちは、耳が痛かった。

 

以下は、ドラマ、働きマン
に出てくる格言の一部だ。


ー 失恋は痛くて、痛くてたまらない。
でも、立ち止まっていたらダメだ。
顔をあげて歩いていこう。 ー



ー 働くって大変だ。
 走って、泣いて、笑って……。でも、
夢を抱いてまっすぐ進んで行こう。
 それが、生きるってことだから。ー



ー 思い入れがなくても仕事はできる。
でも、思い入れを持てたら、きっと仕事は楽しい。 ー


ー Dreams ゆめ [夢]
 やりたいこと、なりたいもの。
 Things you want to do and be.ー



ーQ.あなたは夢に向かって歩いていますか?
 Q. Are you walking towards your dreams?ー 


ー憧れは、時に、仕事の邪魔になる。
 でも、憧れは、心にたくさんの種をまいてくれる。ー



ー 若い時は、がむしゃらでいい。
 叩かれて、踏まれて、雑草も強くなるんだ。ー



ー 自分の仕事が誇れるかどうか、
他人の物差しで測っても仕方ない。
それは、自分自身が決めることだ。ー



働きマンを見ていた当時、
まだ中学生だった私が、
27の歳になり、
同じように歩いていたはずの友人が
ずっとずっと遠くの、
「すごい人たち」となり、

自分だけが何もできないまま、
落ちぶれているような気がするなかで、
やっと、これらの言葉が、
本当に刺さるようになった。



ずっとずっと憧れていた、
ハケンの品格の、大前春子さんにも、

働きマンの松方弘子にも、

私はなれなかった。

どころか、仕事のできない社員、
にすらなれない。


そう、私はその、
仕事のできない社員、
にもなれていない。

無職になって2年5ヶ月が経ち、
やっと今、それに気付いたのだ。

遅いどころの話じゃない。

周囲の友人たちが、
次々にいろんなことに挑戦し、
失敗したり苦労したりしながら、
人を育てる側に、責任ある仕事に、
あらゆる資格を手にしていくなかで
私は、悲嘆に暮れながらも
そんな苦労や努力をせずに
過ごしてしまったのだ。


 私のブランクは、
ただの、時間のブランクじゃない。


もちろん、
病気療養という期間であったのは
嘘ではない。

それに、
精神的にこのようになってしまったのも
主に抱えている病気によるものと
学生時代の蓄積された疲弊と過労、
元々の性格や自己肯定感の低さと
そこから併発した双極性と
もしくは薬の副作用か、

とにかく色々なものが複合された、
というのは事実だろう。


しかし、私の場合、治る病気でも
ないのだから、もっとはやくに、
持病とどう共生するか、
つまり、

どう、共病するのか

そのうえで、

どのようにしてこの期間を過ごすのか、

何が必要なのか、

もっと、向き合うべきだったし、
向き合う時間は十分にあったと
今振り返って思う。



 正直、今更嘆いても遅い。
でも、

 今後の人生において、
今が1番若い、

というのは事実で、

 もう過去をどう嘆いても仕方がない。




きっと今の私に必要なのは、
同世代くらいになった、

必死に生きる、一生懸命な

 「ハケンの品格」の大前春子から、

 「働きマン」の松方弘子から、

 「校閲ガール」の河野悦子から、

 「デイジー・ラック」の山城楓から、

「私の家政夫ナギサさん」の
相原メイから、


もっと自分自身を見つめなおして、
今日より頑張った明日を、
昨日より踏ん張った今日を、
がむしゃらに一生懸命に、
前に進む毎日を、

失敗をすることを恐れず、
できない自分を認めることを、

吸収することなんだろう…

そんなふうに思う。


 それでもやっぱり、
「あの時憧れた、
大前春子や松方弘子」には
なれないだろうけれど。。。


 無職3年目。
身体と心の病気のことがあるから、
無理にでも働くことはできないし、
働ける職も限られてはいる。

それでも、

必死になって、
恥ずかしさを捨てて、
プライドを捨てて、
できない自分を認めて、
さらけ出して、
怒られながら、叱られながら、
働くしかない、

そうやって生きていくんだという
覚悟と、

私に1番足りない、
毎日少しずつ努力を積み重ねること、
がとても重要なのだ、


正社員どころか、
契約社員や派遣社員の登録すら、
いや、アルバイトですら
採用されなくなった26歳。

頑張ろうとしても、
どう頑張ればいいのかわからない。

頑張ろうとするほど、
失敗も怖くなる。

頑張ろうとすると
また、倒れるのではないかと
動けなくなる。

頑張り方がわからなくて
頑張ったところを皆が
当たり前にできることだと、
私にとってはそれだけで精一杯
なのに、もっと努力してください、
といわれる。

そして頑張ろうとしても
体が持たなくて、
必要な勉強すらできなくて、
ご飯も食べられなくて、


それでも、
必死に足掻いて生きなくてはいけない。


それが苦しくて苦しくて、
生きているのも辛いと毎日思うけど


私みたいに社会に何ももたらさず、
親のスネをかじりまくる奴は、
社会にいない方が親孝行だ、

そう、思うことも多いけれど、

どうやら、神様は、

才能ある方の命を簡単に奪い、
才能あって、生きたいと思う方を
不治の病や困難な病気にして
苦しめるのに、

何もできない私から
そういう方々へ
健康を分け与えてはくれない。

もっと、

必死に失敗するしか、
何を言われても、無能だと言われても
ちゃんと認めて、しがみついて
できない自分を認めて、
なんとか努力しつづけて、
生きていく努力を積むしかないんだ、



私に足りないのは、

その、必死になる努力と忍耐と

失敗して立ち直る力だ。


と。そうわかった無職3年目の夏前。


それでも、頭の中でそう思っても、

できない自分を見せられ、

なんでできないんですか、

こんなこともできないのですか、

これまで何をしてきたのですか、

こんな程度では、
どこも雇うところはありません

と、突き付けられるとやはり、
辛い。


 私はやはり、心が弱い。


メンタルがべらぼうに弱い。

それから、プライドが高い。

気持ちだけ完璧主義でもある。

間違える、失敗する自分を
ゆるせない。

こんなこともできないと指摘された
もう私は何もできないんだ、
となるほどゼロヒャク思考でもある。

 

それが余計に弱くしていると、
気づいた。

 これは、少し鍛錬が必要だけれど、

まずはそんな、
メンタルが弱い自分を受け入れ、
自分の理想を下げることから
なのかもしれない。



 前のアルバイトの職場を離れるとき

「落ち着いたら連絡してね。
ご飯でも行こう」と、
仰ってくださった方がいた。

 「これから何するの?」と、

「わくわくだね!大丈夫だよ、」
と声をかけてくださった方がいた。

 心の弱い私は、その人たちにあって
「うまくいかないんです、」と
言いたくなるけれど。


 次に会う時は、
「あの2年間のおかげで、」と
言いたい。今はまだそう思えているから
なんとか、頑張りたいと思う。

 

 私は、「働きマン」の松方弘子にも
「ハケンの品格」の大前春子にも、
なれていない。


 彼女たちと私の違いは、
必死さ、がむしゃら、そして、
躓いた時の立ち直り方なのかもと、
思った。

 もちろん彼女たちは、
仕事では高いスキルを持って生きている

そこに私と決定的な違いがあるが
そのための努力を彼女たちはしている。

その、努力もしないで、
失敗を積んで時間が経てば、
何も変わらないよ、


 自分自身にそう呟いた。


#キャリア志望
#キャリアウーマン
#働きマン
#松方弘子
#ハケンの品格
#大前春子
#働く
#既卒
#ショムニ
#校閲ガール
#デイジーラック

トップ画像


いいなと思ったら応援しよう!

ゆかまる
ありがとうございます😊サポートしていただいたお金は、勉強のための書籍費、「教育から社会を変える」を実現するための資金に使わせていただきます。