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出せなかった履歴書、渡せなかった手紙、言えなかった言葉。


 1月のはじめ。
 
 3度目の転職活動再開に、
踏み出せずにいた私を見かねて
友人が家に来い、と招いてくれて
準備を全て整えてくれて、
つくった履歴書もチェックしてくれた。


 それでも私は、結局その履歴書を、
友人の働く勤務先に送ることが出来なかった。


 今も目の前にその履歴書はある。


 1月末、2月になった時、

 「まだ募集出てるから今からでも出せば」
とその友人は言ってくれたし、


 別の友人は、
「大丈夫、私なんて今の勤務先、
履歴書書いたのはずっと前だけど
それをそのまま数ヶ月経って送ったから」

と勇気づけてくれた。


 それでも出せずにここにある。


たしか、この話、前にもnoteに書いた。


 結局、履歴書は出されないまま、
ここに2ヶ月放置されている。



 私はもう、転職活動が
怖くて仕方ない。


転職活動をはじめた
最初の方、2〜3年前は面接をして
その結果落とされて、
落とされるたびに、自分は必要ないのだなんて、産業資本主義社会の、
ブルジョワ観念よろしく

自分の生きている意味だとか理由とか
無駄に考えたものだった。


 そのうち、面接に行くことが怖くて
履歴書を書いてもそのままとかになった。

新卒と言われる時期が終わり、
既卒2年目になった。

2年目は、3年目になり、
この4月で4年目になる。


 そのうち履歴書を書くことすら、
怖くなって、今は、求人のメールが来ると、それだけで過呼吸を起こすから、

いや、友人に、働かないといけなくて、それはわかっててなんて話し始めただけで過呼吸になるから、


 その過呼吸を自分で呼吸を整えて
抑えながら、それでもやっぱり、
転職活動にあたるものは何一つできない。


 もう、28歳になるのに。。



 友人が手伝ってくれて作ったけど、
出せなかった履歴書は今も手元にある。


 この学校を受けるなら、
日付を直してこのまま使えるわけだが


 あの時応募できなかった私が、
この先応募することがあるだろうか。


 あるとしたら、多分、きっと、
この履歴書のどこかを書き換える
必要が出てきた時になりそうだ。


 出せなかった履歴書は、
それでもまだ丁寧にファイルに入れて
汚れひとつついていない。


せっかく、書いたのに。


その友人の言葉は、私に突き刺さる。



わかる。 出せなかった履歴書は、
このままゴミになるか、ずっと
ここに宙ぶらりんで保留か、
その二択でしかない。



 結論を、結果を、何か答えを聞くのがとてつもなく怖くなったのは、
転職活動をはじめてからだった。


 新卒の時には一度もそんなこと、
感じたことはない。



まあ、あえていうなら、
卒業論文が合格したかどうか、
卒業が確定したかどうかと、


大学院生の時に同じく、
修論が通ったか、
修了確定したか、
教員免許が取得できるか


くらいだったように思う。


 でも、あの、出さなかった履歴書の
後味の悪さを引きずっている今のこの感覚は、どことなく、書いた手紙を渡せなかった恋人との別れなんかに近い感覚がある。



 恋人に気持ちを書いて、
ぶつかろうとして、
正面から向き合おうとして、
結局、手紙を渡さなかった、
いや、渡せなかった。
送ろうとした言葉を途中でやめて
LINEで、「さようなら」と送った。


 「さようなら」と送ったところで
あれから1年以上、私の気持ちは
変わらなかった。


 言えなかった言葉は雪にも雨にも
空気にも溶けてはくれなくて、


 ただ、自分の頭の中で、
何度も何度も再生ボタンを押し続けている。


 LINEを送る前に、私は彼に
手紙を書いた。でも出せなかった。



 重いと分かっていたし。


 彼に伝えられなかった言葉は、
私の中でぐるぐるして、
けれど私はいつのまにか自分でも
気付かぬうちに変わっていて、
そして日々の生活に呑み込まれる中で
だんだんとあの時の私の感情や感覚は
もうわからないものとなってしまった。


あの時、手紙に書けなかった想いは、
あの時彼に言えなかった言葉は、


一体、この世界のどこを、
彷徨っているのだろう。


時々、そんなことを考える。




 だから私は、昇華しようとして、
何度も何度も反芻しながら、
彼に伝えられなかったことを、
noteに綴っているのかもしれない。


 それは、彼への想いだけではなくて、


 生きているのが辛かった時の自分のこと、

 死にたかった時の私のこと、


 何かを考えていたその時の私、



 感情も、空気の感触の記憶も、
思い出の味だって、
もう会っていない好きな人の顔だって


どんどん、わからなくなってしまうから。


なるべく綴っておこうとしてしまうのかもしれない。


 出せなかった履歴書は、
今もここにあるけれど、



渡せなかった手紙も、
言えなかった言葉も、
もう手元にはなくて、


泡になっちゃったかも。

 あの頃、の私はもう私にも
わからないものになっちゃった。



でも、たぶん、引っかかっているのは


出せなかった手紙でも、
言いたかった言葉でもなくて

欲しい答えをもらえない就活。

それに、

聞きたかった彼からの言葉を聞けなかったこと、


聞きたかった彼の声を聞けなくなったこと、


伝えて欲しかったことを伝えてもらわなかったこと


なんだろうなって。


 ねぇ、まだ、あの日のまま、だよ。


でもそれは、冷凍されてて
わからないの。もう私には
あの時の感触がわからないの。


 私やっぱり、あの履歴書は
まだ出せないや。


 でも、もう履歴書見るだけで
過呼吸になるから、
 どうすればいいかしらね。。


このままじゃ、いけないって
わかってるの。わかってるんだけれど。



 最近はね、関ジャニ∞の
キミトミタイセカイっていう歌の
歌詞がね、とっても、沁みてくるよ。



今まで、関ジャニの歌で、こんなに
泣いちゃう歌知らなかったよ。


私、この歌は、どっちのver.も好き。



ねえ今も運命と願いたい
 幸せを描くはずだったミライ


ってところ。とてもいいよね。


あと、大倉くんからはじまる

僕の生きる意味さえわからなくなって
時を戻して 声を聞かせて
教えて 僕らの愛をI want
もう一度


のところがとても好きよ。


でも、この歌がいいわね、
なんて思ってるうちは
まだ冷静になれてないこと、
わかってる。


#関ジャニ
#キミトミタイセカイ

#出せなかった手紙

#言えなかった言葉

#転職活動休止中


 私はまだあなたに逢いたいよ。
伝えられなかった想い、
どこにいっちゃったんだろう。


 出せなかった履歴書は、
ここにあるし、

渡せなかった手紙は捨てちゃったけど


 気持ちも言葉も、どこかを彷徨っててどこにあるのかわからない。

 それを書き記して、残そうとして
noteを書き続けているんだと思う。
忘れたくないから。

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