見出し画像

お金持ちを目指していた時期があった|夢を描くって意外に難しいのかも

社会人1〜2年目のころ、私はとあるコミュニティに入っていた。「年収1000万の起業家を100人作る」ことをミッションにかかげた、起業家コミュニティである。

当時の私は、長年の夢だった薬剤師として働いていて、仕事が楽しくて仕方なかった。でも同時に、小学生のころから追い続けた夢を叶えて、燃えつき症候群になっていた時期でもあった。

夢があるのが当たり前の世界で生きてきて、急に目指すものがなくなって、宙ぶらりんで不安で仕方なかった時期だ。

目標に向かってひた走るだけじゃなくて、今をのんびり楽しむ時期があってもいいじゃないか。そう思えたらどんなに楽だっただろう。

どこに向かって毎日を過ごせばよいのかわからない、何のために生きていいのかわからない。目的地を見失った私がたまたまたどり着いたのが、起業家コミュニティだった。

最初に言っておくが、このコミュニティが悪いという話をしたいわけではまったくない。むしろここがきっかけで私は今フリーランスとして生きる道を見出せたので、感謝しているくらいだ。

医療現場で働いている普段の生活からは考えられないくらい、明るくてキラキラした空間。年収1000万を目指したい理由は違えど、それぞれがひたむきに仕事に取り組んでいた。

私はそこで錯覚してしまったのだ。この人たちと一緒に年収1000万を目指せば、私の宙ぶらりんな心は救われて、不安な心は満たされてゆくのだと。

そこからは2年間、ひたすらそのコミュニティのイベントやらなんやらにすべての時間を注ぎ込んだ。コミュニティ中心の生活を送るために転職もして、住む場所も変えた。友達との遊びの予定も全部断るようになった。

最初は楽しかったと思う。数字を追うのは自分の努力が目に見えてわかるし、成果を上げれば褒めてもらえたから。

でもね、私の心が満たされることはなかったんだ。

夢や目標って、本当に自分が望んでいる未来が叶うものじゃなければ、目指しても楽しくないんだって知ったのは、このときのことだ。

何か目標を決めてそれに打ち込むことで、私は自分の心に空いた穴や、モヤモヤと言葉にならない不安から目を背け続けていただけだった。

あのときの私に本当に必要だったのは、仮初の目標を掲げて現実逃避に走ることではなく、自分の心に生まれた感情と向き合うことだったのだ。

結局ね、私は年収1000万を稼ぐ起業家になりたいなんて、これっぽちも思ってなかったんだよ。

コミュニティの代表がハイブランドのバッグを身につけて、タクシーで移動をして高級マンションに住んでいるのを、メンバーはみんな羨ましいと言っていた。

私も、俺もいつかはそうなりたいって。絶対1000万稼いで、タワマンに住むんだと意気込んでいた。

正直、まーじで興味なかった。笑

でもなんか、あのときの私は自分の意思さえわからなくなってて、周りが描いた年収1000万の夢が正解になってて、それを目指すことが正義だと思い込んで。

夢を描いて逆算して目標を立てて、その目標を確実に達成していく。薬剤師を目指していたころとやっていることは同じはずなのに、なんでやればやるほど苦しくなっていくんだろうって、意味がわからなかったよ。

そりゃそうだよね、だって目標を達成すればするほど、自分が本来求めている未来からどんどんかけ離れていくんだもん。苦しいに決まってる。

頑張れば頑張るほど欲しいものが遠ざかっていくなんて、そんなつらいことある?

結局そのコミュニティには2年くらい所属して、最終的に心を壊して辞めた。いくら使ったかわからないくらい、自分の稼いだお金をつぎ込んだ。

本当に、投資したお金の分だけ自分にリターンがあるわけじゃないって心底思う。その投資先が、自分の求める未来に近づくものなのかを見極めないと、ただただお金が溶けてなくなるだけ。

この時期の私は、本当に誰の人生生きてたんだろう、誰の夢を追ってたんだろうって疑問しかない。

苦しい理由もわからず、自分が苦しい心境にあることを誰にも相談できず、ただただ1人で抱え込んだ2年間だった。

苦しんでもがいた時間があるから今があるとは思うけど、正直しなくて済むなら経験したくなかったことでもある。笑

あ、もちろん、お金持ちになることを目指すのが、悪いっていうわけではなくてね。私は違ったってだけなんだけれど。

タワマン住まいのために年収1000万を目指していたあのころよりも、鹿児島のシェアハウスでのんびりすごしている今のほうが、私は100倍幸せなのだ。

あなたは今、将来の夢を描けてますか?その夢は、本当に心の底から自分が求めている未来につながっていますか?

私ももっと、自分と対話しながら生きていこうと思う。

いいなと思ったら応援しよう!