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夏の終わりを感じた夕暮れ
夏が終わる。駅のホームに、涼しくて爽やかな風が吹いた。湿気で胸が苦しくなるような熱風はそこにはなく、軽やかなその風は確実に秋の気配をまとっていた。その瞬間に、ああ、もう夏が終わってしまったのだと悟る。
うだるような暑さと、じっとりと腕にまとわりつくような湿気を帯びた空気は、いつの間にかいなくなっていた。
ふと街行く人の足元を見ると、サンダルを履いている人がほとんどいないことに気づく。私の足元だけが不釣り合いに軽やかで、どこか違う世界から来た人のようだった。
今年は、鹿児島に移住して2度目の夏だった。昨年の夏は引っ越しをして同棲を開始するという一大イベントがあったが、今年はできる限り暑さを避けて、快適な家の中で過ごすことが多かった。
夏は好きではないけれど、夏らしいことは何かしたい。そんな私のわがままに彼は応えてくれ、今年は海岸で花火をすることになった。
旅暮らしをしていたときにお世話になっていたゲストハウスでは、毎年夏になると手作りの花火が販売される。私はずっと、その花火が気になっていた。
ただ、最近は公園や海岸のルールが厳しくなっていて、手持ち花火をできる場所はどんどん減っている。私が子どものころは、近所の公園で花火をするなんて、夏には当然の光景だったのに。
それでも私は、どうしても花火がしたかった。花火大会もいいけれど、手持ちの花火を大人になってからするなんて、なんだか童心に帰ったようでワクワクするじゃないか。
私は必死になって花火ができる場所を探した。自分で探しても見つからず、SNSを使って鹿児島在住のフォロワーさんに助けを求めたほどだ。
ようやく見つけたのが、自宅から車で30分ほどのところにある海岸だった。キャンプ場も併設されていて、日曜日だからか家族連れで花火をしている人たちが多く、にぎわっていた。
バケツに水を汲み、人混みから少し離れたところに場所を確保する。彼が自分の花火に火をつけ、私が先を近づけて火をもらう。家族連れが元気な声を上げる中、私たちはしっぽりと花火を楽しんだ。
色鮮やかに輝く花火の後は、夏の定番とも言える線香花火だ。風が強く、光の玉を落とさないようにするのが難しい。
2人で交互に風を遮りながら、1本1本大切に火をつけていく。線香花火の火が消えるたびに、大人の夏休みが終わりに近づいているのを感じた。
1,500km離れた関東の地に住んでいたころは、火を分け合って一緒に花火をするなんて、夢のまた夢だった。そんな当たり前のようで当たり前ではない時間が、今目の前で今年の夏の思い出として刻まれている。
線香花火の光がぽとりと砂の上に落ちるように、ギラギラとした太陽の活気も徐々に失われてゆく。太陽の勢いとともに、私の心までしぼんでいくような感覚がある。
もう30回も経験しているはずなのに、夏の終わりはいつも切ない。セミの声もだんだんと聞こえなくなり、静かな冬に向けて準備が始まる。
コンビニにはさつまいもや栗のスイーツ、雑貨屋さんの入り口にはハロウィングッズが並び、秋の訪れを知らせている。私の心だけが夏のあの日に取り残されて、街は、季節はどんどん移り変わってゆく。
電車がホームに入るまで、あと10分。私はスマホを開き、毎年楽しみにしているマックの月見バーガーが始まる日付を素早くチェックした。
お腹と舌だけは、確実に秋を歓迎している。こうして夏は、静かに、そして確実に終わりを迎えていくのだった。