ケンカという感情表現
母親と妹の親子げんかを毎日のように浴びていた私は、無意識のうちに「感情表現=けんか」という方程式が頭の中でできあがっていた。
反抗期の妹が母親にふっかけるけんかは、いつもくだらないきっかけだった。2人の会話を聞いていると、けんかは不毛なものに思えたし、感情をむき出しにして怒ったり泣いたりするのは、ばかばかしいことのように思えた。
感情表現の手段は、けんか以外にもたくさんあったはずだった。穏やかに相手に伝えることだってできただろうし、言葉以外の方法で表現する手段だってあったはずだ。だけど、幼かった私の目には、けんか以外の感情表現の手段が見えなくなっていた。
母親や妹のように、ばかばかしくて無駄にエネルギーを消耗するような会話はしたくない。そんな気持ちから、私は次第に自分の感情を表に出さなくなっていった。
私は小学生から高校生まで、10年ほどピアノを習っていた。大学生のときには英語のスピーチをやったり、演劇やダンスもやったりした。でも、ピアノでもスピーチでも演劇でも、いつも言われることは同じだった。
「気持ちが伝わってこない」
そりゃそうだ。だって私は、感情を表に出すことをしない選択をとっているのだから。長い時間をかけて感情を閉ざしたことが原因で、表現が求められる習い事はなかなか上達しなかった。
気持ちが伝わってこないというフィードバックを受けるたびに、涙が頬を伝った。頑張って表に出そうとしても、恐怖と恥ずかしさで息が詰まりそうになった。
小手先の技術で補って、表面的には上手に見せられるようになったけれど、先生たちの目や耳をごまかすことは当然できなかった。
結局、社会人になってすべての習い事やサークル活動を辞めるまで「気持ちが伝わらない」というフィードバックは変わらなかった。