余命宣告と看取りの季節
「明日の朝まで俺は生きていられるのかな」
彼は笑いながら言った。
冗談半分、本気半分なのか。もしくは本気中の本気で言ったのかもしれない。
その日緊急で運ばれてきた彼は
長年自分が担当していた患者だった。
自宅から嘔吐を繰り返していて、
検査中に意識レベル低下、重体となった。
SAH(くも膜下出血)Grade 5(最重症)
突然、帰らぬ人となった。
今の時代、病名や余命を本人に伝えない、
ということは、昔に比べれば少なくなってきたことだ。
少なくとも、自分は「本人に伝える」
もちろん、御家族とよくよく話をしてから決めることだが。
それは病院や自分を守りたいからではない。
守るべきは患者本人であり、その家族もまた同じだ。
繊細で、また一番気を遣うところであり、
慎重にその意思決定を支える必要がある。
ただ本心は、一度きりの人生。
その舞台で闘っているのは自分自身であって、
自分の全部を知らずに
亡くなっていくのはおかしいと思っている。
そう思い始めたのは学生の頃。
末期の膵臓癌を患っていたAさんは、家族の意向で病名も余命も本人には伝えられていなかった。
まだ入院中に、主治医の許可をとって家族全員で温泉旅行に行った。それも本人・家族の希望だったことだ。
温泉旅行という短い外泊から病院に帰ってきたAさんは、病室のベッドで病衣に着替えた後、窓から見える景色を見ながらひとこと言った。
「いい人生でした」と。
昼間の時間帯で、その大部屋にいるはずの患者は検査やリハビリで出掛けていた。
時間がゆっくり流れていた。
しばらく言葉が返せなかった自分は、
Aさんを見つめながらようやく口を開いて
「どんな人生だったのですか?」と尋ねた。
Aさんは子供の頃からの話をしてくれた。
おかっぱがイヤだったのに、母親が切ってくれた髪型はいつもおかっぱだった話。
竹馬を作って遊んでいたけど、足の親指と人差し指で竹を挟んで歩くため、足のそこだけ妙に指間が広がっている話。
学生の頃に使っていた鉛筆は、書いていて指がすり減るほど短い長さまで使っていた話。
本当に好きなのは違う人だったけど、
親の勧めで今の家族を築いた話。
うんうんとひたすらAさんの話を聞いていた。
病名も余命もAさん本人には伝えられていなかったが、きっと自分の余命を知っていたんだ。
だからこそ、本人にご自分の病状について濁すことなく、はっきり伝える必要があったのではないかと思った。
本人に伝えたからといって命の長さが延長されるわけではないが、本人自身が、自分の人生とちゃんと向き合っていたから。
そうだよな、自分の体のことは、
自分が一番よくわかってるよな。
ほんの数日後、Aさんは亡くなった。
『看取りの季節』というのがある。
救命できない時期が続くと、自分の心もしぼんでしまう。
余命宣告は、神様にしかできないこと。
少なくとも、自分にはわからない。
命の長さは、誰にも決められない。
突然、思ってもいない時に大切な人が亡くなることもあるということだ。
予測してあと半年と思っても、
そこから10年20年、
それ以上生きる人もいれば、
あと一年と思っても、
その日に亡くなる人もいる。
人には、神様から与えられた寿命がある。
でも、看取りの季節に本人だけは知っている気がする。
己の寿命を。