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「ちょうどいいブス」は「ブス」より罪深い

花王エッセンシャルが、「ちょうどいいブス」という相席スタートの山崎ケイさんの自虐ネタを広告表現で使い炎上した。いろんな見解や感想があると思う。ただ、全体的には、この表現に関しては否定的な意見が多いように見受けられる。

広告に携わるものとして、私個人もこの表現はアウトではないかと思っている。広告文は「 #山崎ケイ って #ちょうどいいブス じゃなかったっけ?いい女になっているその秘密は?」というもので山崎ケイさんがエッセンシャルを使っていい女に変身するというストーリーの動画と一緒にポストされている。
たぶん、作り手は山崎さんの自虐ネタに乗っかっただけで、顧客を蔑める意図はなかったように思う。ただ、その広告をみた人がどう解釈するかという想像力が欠けている。広告、特にCMや動画は演者さんの芝居を通して、その商品やサービスを使うとどうなるのか?を視聴者に疑似体験してもらうというフォーマットになっているし、それが視聴者とも暗黙の了解になっていると思う。つまり、今回の広告表現では間接的に顧客をブス呼ばわりしたようなもので、実際そのように解釈した人が多かったことが炎上の要因になっている。山崎さん本人がギャグとして使う分にはいいが、企業が使ってはいけないということだ。少し本題からは逸れるが、企業の炎上についても触れておくと、これは午後の紅茶が炎上したときと同じパターン。やっていること自体は、横澤夏子さんの芸と実はあまり変わらないのだが、横澤夏子さんはそういう芸風の芸人さんで、あくまでネタとしてやっていると(しかも、あーわかる!と共感できる)いう共通理解がある。ただ、企業が午後ティーガールといった言葉で表現すると、悪意はなくても顧客を揶揄しているようにしか感じられない。炎上の一番救いようのないパターンはこの「顧客をバカにする(と解釈されかねない)表現」で、ファンを敵に回してしまうので擁護する人が現れず、賛否両論ではなく批判の嵐しかない事態に陥ってしまう。

話をもっとシンプルにすると、乱暴なまとめ方かもしれないが「ブス」という言葉の持つ、容赦なく相手を切り捨てる破壊力が炎上に至ったすべてだという気もする。「ブサイク」はまだ愛嬌がある感じ、でも「ブス」は読後感が悪い、凄く嫌な後味がする。
主観かもしれないが、読後感とか言葉が持つリズムとか、そういう感覚は結構大事だったりする。破壊力ある後味悪い言葉を企業がパブリックな場で使ってはいけないのだ、という至極シンプルな結論になる。

ただ、本件に関しては「ちょうどいいブス」という言葉が「ブス」以上に読後感が悪く、企業が広告表現で使用したことが一番マズイ。

「ちょうどいいブス」って誰にとっての「ちょうどいい」なのか?それは男性にとってのちょうどいい、という解釈になる。山崎さんの普段の芸風からそのように解釈するのが一般的だと思う。

「ちょうどいいブス」という言葉に救われたという人がいる。容姿が優れていないことで、男性からの視点で「気後れしない」とか「声をかけやすい」というような美人と比較して相対的に優位に立てるポジションが与えられたということなんだと思う。それによって人と比較せずに済むとか、自信が持てた、という人もいるのだろう。

とはいえ、「ちょうどいいブス」は、''男性は女性を容姿で値踏みし、女性は男性に選ばれるもの''という意識を肯定してしまっている。確かに、容姿は美しくないより美しい方がいいだろうが、人の価値を決める絶対的な基準になり得ない。身なりを清潔にするのは社会と関わる上でのマナーだと思うが、そこに男女は関係ない。身なりを清潔にするマナー以上に、男に選ばれるために美しくあれ、そのために化粧しよう、キレイになる努力をしよう、と第三者が強要することではないのだ。化粧品会社も女性誌も、長らくこの文脈のもと、うちの商品買ってね!と煽り続けてきた。第三者から共感度が低いロジックに裏付けされた価値観を強要され、自分の行動を規定されることに、いま女性たちはノーを突きつけている。時代が変わりつつあるのだ。

私は女性誌によくある「女性のこんなファッションには萎える」「こういう化粧にはドン引き」という男性の声を紹介する座談会企画や、男性からの声をもとに、男性に選ばれるためのファッションやメイクを指南する企画が大キライだ。最近だとC CHANNELのような女性ターゲット動画メディアでも、この手の企画は多い。

人によって価値観は様々だから、ファッションやメイクは自分のためにするもの、という考えがあったっていい。化粧するも、どんな服を着るかも個人の自由。自分のために、の中には自分が好きな人にかわいいと思われたいという気持ちを含むことはある。ただ、会ったこともないどこぞの男にとやかく言われる筋合いはないし、なぜそいつの趣味に合わせなきゃいけない?だし、なぜそんなやつに「ちょうどいいブス」と言われなきゃいけないのだ、自分の顔見てから言え、このブス野郎、ってことなのだ。

それに、「ちょうどいいブス」は自虐だから相手を蔑める言葉よりはマシでしょ、という考えもあるかもしれないが、自己肯定感が低すぎる言葉だと思う。日本は自虐がウケるカルチャーだけれども、自分の容姿を積極的に卑下し、私、自分のことブスだとわかってます、ちゃんとわきまえてますとアピールしてからでないと、相手と(男性と)対等な立場に立てない、ということが極めて差別的だし、違和感しか感じない。

女性を本来応援し、女性たちの味方であるべき化粧品会社や女性メディアが、わざわざ男性と共犯になって、根拠がない価値観を強要し、女性の生きづらさを生み出しているパラドックス。

花王が救いようがないのは、エッセンシャルを買って、「ちょうどいいブス」を卒業していい女になろうね、というメッセージによって、女性は男性に容姿で値踏みされ、選ばれるものという意識を肯定したことと、「ちょうどいいブス」を鮮やかに否定してしまい、その言葉に救われていた人からもブーイングを浴びる事態になったこと。山崎さんの芸風を結果的に否定してしまったような気もする。たぶん、これが「ブス」だったらここまで批判されなかった気もする。容姿を揶揄する表現を企業が使うな、ぐらいで済んでいたように思う。

誰が決めたんだかよくわからない、そういうものだから、と長らく人々を縛り続けているルールや価値観、慣習が存在しているのはそれらを社会に強要、定着することで得をしている奴らがいるからだ。そのことに気付き始めた人たちが、いま古い悪しき価値観やルールにノーを突きつけ始めている。時代は変わろうとしている。
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