#296 思考の踊り場
思考の踊り場
階段の踊り場っていいですよね~。
急いで階を移動したい時に、強制的に一息つくことになります。
また、向きを変える働きもあります。
こんな踊り場が思考する際にも大事なんじゃないかなあ、というお話です。お付き合いください。
マクロとミクロ
物事を考える際にマクロな視点とミクロな視点があります。マクロは物事を大きな視点や範囲で捉えること。一方、ミクロは物事を小さな視点や個人的な範囲で捉えることです。
さて、我らが教育界にはホットワードがいくつかありますね。例えば「教育調整額4%の引き上げ」。文科省は13%と発表したぞ、財務省は10%しか出せないと言ってるぞ、どうなるんだ?僕の周りでも様々な声を耳にします。
「4%が13%になっても、先生になる若者は入ってこないよ。」
「少しでも上がるんだったら、それはそれでいいんじゃない。」
「お金の問題じゃないくて、業務を減らして欲しいんだよ。」
こんな時、僕は大まかな情報を集めた後は、ミクロに考えるようにしています。物事を大きく捉えることは現実的ではないからです。予算の話は、文科省を超えた話であり、一教員でどうにかできるものではないと考えます。それよりも、まずは個人的な範囲で考えます。
自分はどうなって欲しいのか?
個人的な範囲で考えるとは、「自分はどうなって欲しいのか?」を考えるということです。
僕は政治家や官僚ではないので、調整額についてはどうしようもできません。なので、あってもなくても、上がっても下がっても気にしない立場です。でも、明らかに仕事量が多い教頭の給与は、もっと上げてもいいと思っています。こんな程度しか考えることができません。
他の方法で解決できないかな
ここで、思考の踊り場です。
教頭の仕事量が多いことが気になるのはなぜなんだろう?まずは、自分の給与に不満がない(たぶん)ようです。その上で、良くも悪くも、教頭が動かないと学校現場が動けないという経験をしてきたからです。
ん?それだったら、給与ではなく、副校長を設置するとか他の方法で解決できるんじゃないかな。
調整額についてマクロに捉えると、何もできないと判断した。そこで、ミクロな視点で、自分はどうなって欲しいのかを考える。すると、その問題解決は給与以外の方法で解決できるかもしれない。
大きな変革には大きな力が必要です。そこに一個人が入り込む余地はありません。※個人が集まり大きな力を形成することはあると思います。
僕は、目の前の現実を改善することを選ぶことが多いです。
ミクロな視点で考え、思考の踊り場で一息ついて考え、進むべき方向を探るようにしています。
皆さんは、どうなんだろう?