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「盲目の巫女」~イタコの言葉と、消えた母の記憶~掌の小説③

 私の番が来た。周りの視線を浴びながら、おそるおそる高齢の女性の前に歩み出た。樫の数珠を手に持った盲目の巫女は、津軽弁で私に質問した。
「仏様を降ろすが、いづ死んだのが、誰を口寄せするのがも教えでけれ」

 私は23年前に病死した母親を降ろしたいと巫女に伝えた。彼女は数珠をギシギシと揉みながら、口寄せ経文を腹の底から絞り出すように唱え始めた。

 1人出版社を東京都内で経営していた私は、以前から興味を持っていた、東北独特の土着信仰についての本を出版するつもりだった。焦点をあてたのは、死者の霊を降ろして、巫女が霊の言葉を伝える、口寄せ巫儀の歴史だった。その取材のため、多くの口寄せ巫女が集まる恐山大祭に参加することにした。平成30年7月24日の午後だった。

 私は事前に、青森に住むイタコの口寄せの内容には、「型」があることを学んでいた。死者の憑依を依頼する者に言うべき言葉が決まっているのだ。例えば「残った家族が助け合って生活してほしい」「生きたかったが運命だった」など。だから、今回はパターン以外の言葉を期待して参加したのだ。突然、盲目の巫女が私に向かって話しかけてきた。

「元気だったが? あの世で何不自由なぐ暮らしでいるがら、安心しでけれ。兄弟仲良ぐ助け合っで、苦しいごとがあっだら、話し合えなぁ。もっど生ぎだがったが運命だがら」

 母が亡くなってから、4人兄弟のうち、長姉は平成16年に病死していた。あの世で母は娘と再会したはずだが。疑念が脳裏をかすめた。

 もしも本当に母の霊だったら、23年ぶりの再会だった。半信半疑のまま、母と私しか知らない思い出について、巫女に問いかけようと思った。ふと過去に思いを巡らせたが、母と私だけの思い出が浮かび上がらないのだ。
 
 身近にいながら、母との特別な思い出がなかったことになる。巫女の決まりきった言葉よりもショックだった。母の霊に質問した。

「母さんとの思い出がないんだ。今、気づいたんだ。僕は真剣に、母さんと向き合ってこなかったのかもしれない」
「いい思い出ばっがりだったら、母さんも嬉しいけど、苦しぐで悲しい思い出だったらいらねなぁ」

 盲目の巫女は顔色を変えずにそう言った。本尊が安置されている地蔵堂の鐘の音が、遠くから微かに聞こえた。


〔恐山大祭〕
恐山大祭は、青森県むつ市にある恐山菩提寺地蔵堂で行われます。毎年、夏と秋に開催され、大祭期間中に行われる「イタコ(巫女)による口寄せ」が有名です。参拝者の求めに応じて霊を呼び寄せ、依頼者との対話を仲介すると言われています。