映画「ぐるりのこと。」~身近な幸せに気づくこと~
生きづらい時代になった。毎年の自殺者数が2万人を越え、2023年には刑法犯の認知件数が20年ぶりに増加したという。形は違うが、どちらも現実からのドロップアウトという意味では共通しているのだ。
この映画は、バブル崩壊後の「失われた10年」と呼ばれる時代を背景に、現実逃避ではなく、現実とどう折り合いをつけるかを模索する若い夫婦の物語である。
小さな出版社で編集者として働く翔子(木村多江)は、出産を控えていた。計画性がなく、女性にだらしない夫・カナオ(リリー・フランキー)に不満はあったが、満ち足りた生活を送っていた。
状況が一変するのは、初めての子供を亡くしてからだった。子供を救えなかった罪悪感から、翔子の心は壊れていく。仕事も辞め、部屋に引きこもるようになる。カナオは、心を閉ざした彼女に寄り添うことしか出来なかった。
彼もまた法廷画家という仕事に虚しさを憶えていた。自分の欲求から絵を描くのではなく、注文をただ消化するだけの毎日に苦痛を感じていたのだ。そんな二人の心が交差し、現実をあるがままに受け入れるまでを描いた作品である。
私の心に響いた映画のワンシーンがある。翔子の問題や、仕事の悩みを抱えたカナオが、肺気腫で入院している報道記者の安田(柄本明)を見舞う場面だ。医者から禁じられている煙草を吸うために、安田はカナオを屋上に誘う。
「安田さんは何で逃げないのですか?」
「逃げ続けてる奴がおったり、逃げて死んでしまう奴がおったり…」
と、カナオは唐突に問いかける。このシーンの最後になってから、
「忘れたくないことがあるからかな…」
と、安田は答える。彼には、5歳の娘を交通事故で亡くした過去があったのだ。
過酷な人生から逃げない術はあるのだろうか? 「夜と霧」という本がある。ナチスによる強制収容所を生き延びた体験を描いているのだが、著者である心理学者・フランクルは、「希望」を持つことの重要性を語っている。微かな望み、たとえそれが妄想や幻想であってもいいのだと言う。
映画のタイトルである「ぐるりのこと」は、「自分の身の周りのこと。または、自分をとりまく様々な環境のこと」を言うらしい。翔子が心の病から回復する時期に、ベランダで育ったトマトを、夫と食べるシーンがある。「生きものの味がする」とカナオがつぶやくのだが、「希望」はもしかしたら、自分の身の周りで密かに息づいているのかも知れない