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記憶の書き換え

人をその人たらしめる記憶。

記憶の書き換えは、マウスレベルで実験されているらしい。

記憶は、言うまでもなく大切なものだと思う。裁判で第三者の記憶による証言次第で被告の将来が左右されることもあるし、記憶喪失なんてなったら洒落にならない。

「24人のビリーミリガン」や「アルジャーノンに花束を」を高校生の時に読んで、人をその人たらしめるものについて興味を持った。2つの小説の場合は、人格や知性にスポットライトが当たっていたけれど、記憶というものが重要なんじゃないかと思った。

アイデンティティの根源は、記憶にある。「ここはどこ?私は誰?」と言っている人に、深いところのアイデンティティを考える余裕はないからだ。人の記憶も覚えたり忘れたりしながら連続性を保っているが、その人にとって大切なことはすぐに思い出せる。逆にそれが出来なかったりしたら、周りの人から「ほんとうにあなたなの?」と疑われてしまう展開は何となく映画でもよく見る気がする。

認知心理学でも人工知能の研究が進んでいるけれど、HDDと人の記憶でははっきりと違う。人間の記憶って、自分にとって覚えていたい事も忘れたい事もお構いなしで、匂いや音、映像がそれぞれ結びついたりと境界があいまいなところがあると思う。

その記憶が書き換えられることなんてなったら一大事だ。
偽りの楽しい思い出だけで頭を満たしたいが、そんなことになったら「胡蝶の夢」や「攻殻機動隊」や「マトリックス」ばりのディストピアになってしまいそう。
「世にも奇妙な物語」でも、記憶の売り買いで不幸な目にあっていた。
なんでフィクションは記憶の改竄に冷ややかなのだろう。

年頭に高校の同級生でスノボに行って、一人がガチガチの氷に滑って頭を打った。意識を失うことはなくとりあえずは滑っていたが、お昼の休憩をとろうとしたら、様子がおかしい。
なぜここにいるかわからないという。それからどんどん最近のエピソード記憶から失われ始めて、何度も同じことを聞いてくる。
パトロールを呼んでクリニックに行って事なきを得たが、一過性全健忘症という症状が近い気がした。彼の場合は去年の仕事納めからの記憶がなくなっていた。
本人に後で聞いたところ、夢を見ていた感覚だったらしい。タチが悪いのは、普段からそういう受け答えしそうなピエロみたいな性格があったところだ。途中までは本当なのか冗談なのかわからなかった。

その後、大事に至らず本当によかったが、記憶喪失というものを間近でみたのはこれが初めてで、怖かったけど正直面白くもあった。


このnoteも、なるべく自分が普段思っていることや感じていることを書き写すようにしている。いざ記憶喪失にでもなったらこれを見れば、アイデンティティを取り戻せるかもしれない。自分の分身をここに作っとく感覚だ。

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