【ウラン・ウデ🇷🇺】まさかの親戚??地元の人の顔立ちが日本人すぎた
折あってウラン・ウデとかいう見たことも聞いたこともないような都市に行くことになった時の話をしよう。
パッと聞いた感じは、モンゴルのウランバートルかと思っちゃったけど。
実はその昔、ウラン・ウデはチンギスハン支配下のモンゴル帝国の一部だったそうだ。
ウラン・ウデはロシア領内ブリヤート自治共和国の首都で、その名は「赤いウデ川」を意味する。
ハバロフスクから見て西にあり、日本との時差は日本が1時間早く進んでいる。
そこに住んでいる人たちはロシア人が一番多いけど、ブリヤート人と呼ばれるモンゴロイドもそこそこいた。そしてブリヤート人の顔立ちはとにかく平たい。どっからどう見ても日本人にそっくりなのだ。
もし王道ガイドブックの地球の歩き方を持ってうろつかせたら、2000%日本人だと間違うね。
余談だけど、ブリヤート人も子どもの頃は蒙古斑があるらしい。日本人同様。
ちなみにロシア人はスラヴ系なのでない。
こういうところも、なんだかブリヤート人に親近感を感じさせられた瞬間のひとつだった。
とりあえず「ウラン・ウデ」でググってみよか。
ググった。したらなんだこの鮮やかな建物は???京都のどっかのお寺ですか???と思うような朱塗りの柱に色鮮やかな布が巻かれた建物が出てくる。これこそがウラン・ウデのシンボルこと、「イヴォルギンスキー・ダツァン(Иволгинский Дацан)」である。
イヴォルギンスキー・ダツァンは個人的にどうしても行きたかったので時間を見つけて行ってみたけど本当に良かった。マジでオススメ。
ダツァンについては後日、別に話そうと思うので今日は簡単に紹介だけしとく。
イヴォルギンスキー・ダツァンは、ロシア国内最大級のマニ教(チベット仏教)寺院。敷地内には僧侶の宿舎、学び舎、儀式場、それと至る所にマニ車が配置されていた。
日本人として恥ずかしいことこの上ないけど、仏教の「ぶ」の字も知らんのやけど建物の綺麗さには感動した。ていうかカワイイ。とにかくカワイイ。
話を戻そう
話がだいぶ脱線したけど、ウラン・ウデ市内は思ったよりも栄えていた。
でも市外に一歩出ると思ったよりも寂れてた。否、何もない。
もはやなんとも形容できない、この何もなさ。
田舎だろ?なんてタクシーの運ちゃんは笑っていたけど、そんなもんじゃない。
道ばたで牛が座り込んでいるし、地元民はその辺のわき水を平気で飲むし、トイレはただの穴だし(これはもう慣れっこだけど)。
田舎っていうか未開の地(失礼)って感じだった。まじで何もない。だけどすぐ好きになった。
何でもかんでもあるわけじゃなく、むしろ不便だとでも言える生活を送ってそうな人が多く見えたけど、誰もがのんびり暮らしていて、「生きる」ってこういうことよな、なんて本気で思った。
ウラン・ウデ市内を観光してみた。
やっと本題笑
限られた時間ではあったけど、何とか観光の時間も確保できた。
1,レーニン像とソビエト広場
でかい。デカすぎるよレーニンさん。
ロシアの各都市で必ず見られるご当地レーニン像。
大きかったり小さかったり。ブロンズだったりゴールドだったり。
ポーズが違ったり、頭部だけだったり・・・?
いやなにこれ。
なんでこんな、頭だけ切り取ったし。
大きさは7.7mもあるそうで、ちびなわたしならきっちり5人も縦に並べられる。
地元の人になんで頭だけなん?と聞いてみたけど、
「生まれてこの方考えたこともなかったわー!笑」
なんてあっけらかんに言うもんだから笑うしかない。
まあ気が向いた時にググってみるとするか🤔(一生やらんやつ)
2,オペラ・バレエ劇場
レーニン像の斜向かいにある白っぽい建物。目の前には音楽に合わせて踊り狂う噴水とこれまたそこに乗じて踊り狂うキッズの憩いの場。
建物のぱっと見の印象は美しい、そしておもしろい、だった。
かの有名なボリショイ・バレエダンサーを務めた岩田さんが芸術監督を務めるこの劇場にはバレエ学校も併設されていて、日本からやってきた、バレリーナを目指す子たちが多く在籍しているという。
時間がないのでとりあえず建物だけでも、と見に来た私だが、ふとその屋根の形に目が行った。
いわく、中央アジアの遊牧民たちがかつて使っていたユルタ(モンゴルでいうゲル)のような形をしている。
あとで詳しい人に聞くと、確かにここの劇場を設計する時、ブリヤートの文化を反映させたデザインにしようと、ユルタのような丸天井作りを意識したんだそうだ。
更に正面に回ると、出入口の真上にはレーニンのお言葉が飾られてあった。
いわく、Искусство принадлежит народу(芸術は民のもの)。
ここにもロシアらしさがにじみ出ているというか、本来なら芸術の国なのがその姿なのになあ、と看板を見上げながらしみじみ思った。
ちなみにロシアでは劇場によって「学生料金」という格安チケットが売られている事がある。
はっきり言って舞台は見にくいし、立ち見だったりするし、心底不便きわまりないんだけど、それでも舞台を見たいと思う学生さんがお金を払って見に来ることが多い席だ。
学生向けなので値段はかなり良心的。わたしは2015年のボリショイ劇場で白鳥の湖を生で観に行ったけど、その時の支払額は100ルーブル(当時の値段で150~170円)くらいだったと思う。
もちろんお金はとる。ビジネスなので。
でも機会は均等に与える。低所得者には格安で。だって芸術は皆のものなんだから。
こんなメッセージを初めて訪れたロシアで強く感じたことを思い出しながら、しばらく看板の文字から目が離せないでいた。
3,バイカルプラザ・ホテル
冒頭でも言ったけど、ウラン・ウデはバイカル湖の南東に位置する。
なので、反対岸のイルクーツク同様「バイカルは俺たちのモノ!」意識が強いそうだ。知らんけど。
今回私が泊まったバイカルホテルはなかなか内装がおしゃれなホテルだった。
値段もホテルにしちゃ、さほど高くないし、ご飯も美味しかった。
カードキーでエレベータを乗降するタイプのホテルで、なんだいっちょ前だなと思ってふとホールに立って気づいた。このホテルでプーチンとメドベージェフが泊まったことがある、ということに。
前提知識なんてひとつもなかったから正直びっくりした。
つーことはあれだな?すごい良いホテルなんだな??なんて期待して部屋に行ってみると、ドアが開かない。
慌てて受付に戻るも、誰もいない。
警備員に「受付の方はどちらに?」と聞くと、
「今は昼休みだよ🤷🏻♂️」
うん、分かってた。
偉い大統領が来ようが、総理大臣が来ようが、そこが良いホテルとは限らんよね。
再確認したワ。
まあ、でも話のネタにはなると思うので、良かったら行ってみて。
ちなみに部屋に入れないピンチを乗り切るために、その辺にいた掃除のお姉さんを捕まえてマスターキーで開けさせたことは別の話。
4,イヴォルギンスキー・ダツァン
ようやく!ここまで来た!!
これについて書きたくて始めたのに、なんだホテルで部屋に入れなかったとか、レーニンの頭がデカいとか・・・。
とにもかくにもダツァンですよ!(暑さでやられたテンション)
まずもって公共交通機関で行くにはバスとマルシュルートカ(乗合バス)を乗り継がないと行けないと知った私は早急にリタイア。
そこでたまたま知り合ったタクシーの運ちゃんに交渉して、連れて行ってもらった。
しかも運良くおっちゃんのいとこが近くに住んでるっていうんで、お茶でもごちそうしてもらっちゃって。
ちなみにここでの登場人物全員顔、アジア系でした(笑)
たぶん孫っつって紹介されても通じたわ。
後日、知人や家族に「いやー、ウラン・ウデでこんなに優しいおもてなしをうけてさあ」という話をしたところ、全員から「おまえ、もっと警戒心を持て」と怒られたけども。
ま、そだよねえ。
みんな、心配かけてごめんょ。
5, ブリヤート歴史博物館
最後に紹介したいのがコチラ、ブリヤート歴史博物館。
その名の通り、ブリヤート共和国の歴史を詰め込んだ博物館だった。
ブリヤートの歴史をざっくり3つのパートに分けて展示説明していてなかなか興味深かった。
ブリヤートにも、モンゴルのゲルのようなユルタと呼ばれる布で作ったテントみたいなのがある。
最初のフロアはその最初期のユルタで生活していた頃のブリヤート人の文化と、ロシア正教を受容し始めた頃の様子の展示があった。
ニ階フロアに行くと、ソ連色が一気に強まる。
ソ連のデザインに目がない私は同じものの写真を画角を変えるだけで何枚も撮った😂
も~勘弁してくれってくらい、カワイイの渋滞オンパレードよ。
そんな気持ちで最後のフロアへ行くと
「いやもうここなに?」状態。
とにかく仏教関連のモノ、モノ、モノ。。。
いろいろカオスで総じてオモロイ博物館やった。ま、ある意味歴史の変遷が大別できるからこそ、フロアごとに展示のテーマを決められたのかも?🤔
とにもかくにも、ちょっとしか滞在しなかったけどウラン・ウデはいい街だった。
また行きたいなー。