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鬱病になった父を見ながら育った息子が職場休職して、感じたこと

私の父は金融系の会社に長期勤めていた。3人の子供を養いながら、一軒家を購入し、ローンを完済したのだから、現代日本の水準で観れば、私は裕福な家庭で育ったほうだろう。

以前会ったとき、父が食事の席で語ってくれたことがある。

なんでも、最初は子育てと日々の仕事で忙しく、他のことに手が回らなかったそうだ。そこから、少しずつ時間を作って資格取得の為の勉強をしたりして、給料を上げるための努力を懸命に続けた結果、なんとか三人の子供(私と姉、妹)を育てるだけの余裕を確保することができたらしい。私は奨学金の悩みとか一切経験したことがないので、多分こちらの想像を絶するほどむちゃくちゃ頑張りまくったんだと思う。母の労働(家と仕事両面)も相当貢献している。

無論、父に反発を抱くこともしょっちゅうあった。あの世代の男性の特徴なのかもしれないが、「~すべき」という口癖があって、かなりライフスタイルに対する強い拘りがあり、負担に感じていたのだ。すべき、は気をつけて使ったほうがいい。

それでも、仕事や家庭に対する価値観や向き合い方に関しては、なんだかんだで強く影響を受けているし、尊敬も恩義もある。もしかしたら、今は実家から離れている上、いまだに資金援助をかなり受けているから、ますますそういう感情を自覚しやすいのかもしれない。

そんな父は私が高校生の頃、鬱病になって入院し、会社を長期的に休んだことがある。確か、最初に電話があった。父が神社の境内で座り込んでいるのを見かけた人が知らせてくれたのだ。それから父は精神科の病室で何か月か寝泊りして過ごした。あのときは、確か、主に母が着替えを運んだりしていたと思う。今思うと私ももっと手伝うべきだったが、私は自分の身近な人が鬱病になる、という現実を受け止めきれず、どこか解離した状態だった。

父は回復し、退院し、仕事に復帰した。かなりの長距離をマラソンしたり、母とブラジル旅行に行ったりしてる。入院が必要な状態には今のところ一度もなってない。

父を見ていると、鬱の問題が完全に解消したようには思えない場面もあった。私は専門家でもなんでもないが、父が時々見せる苦しそうな表情や身体の緊張を見ると、影響がまだ残っているように感じた。恐らく、彼は自分の精神的問題や悩みを家族の前でオープンにするのに抵抗があった。私自身、自分の弱さを他人に見せることに物凄い抵抗があったので、そんな私を育てた父が同じようにふるまっていても、不思議はない。

それでも、今の父は少なくとも、入院していたときよりずっと健康で幸せそうに見える。これからも時々実家に帰って、顔を見せるようにはしたい。

実を言うと、私の親族には心理的な病を抱えた人が多く、曽祖父は徴兵拒否の村八分で鬱になったし、祖父は認知症と鬱の合併みたいになったし、伯父は職場の上司からのパワハラを苦に精神のバランスを崩し、自殺した。さすがに、月刊漫画ガロかよとぼやきたくなる。

で、私も現在、色々あって心療内科に通ってる。在宅の作業は苦ではない。苦ではないが、雇用労働に戻らないで済む自信は微妙なところだ。システマやってなかったら、駅に行かないほうがいい状態になってたかも。

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