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悪は容易く、楽しい

悪いことをするのは容易い。そして楽しい。

では、悪いこととは何か?ここでは「自分や他人の心身を破壊する行為」としておく。時代やイデオロギーによっては、善として推奨されることも多いが、それでも私があえて悪と定義したのは、健康志向の私にとって、相容れない行為だからだ。

悪いことをすると楽しいとはどういうことか。脳科学者の中野信子さんはこのような記事を書いている。

他人を傷つけたり、迷惑をかけるような行動をした場合、脳内物質の影響で快楽を感じうる。我々の身体にはそういうメカニズムがある。

そういった脳内物質に中毒し、依存することは容易だ。私の人生を省みても、そういう時期は何度もあったと思う。大勢の人に迷惑をかけてしまったこともある。

学生時代、私は自分の中の悪とどう対峙したらいいかわからず、本に傾倒していた。当時は、犯罪者が主人公の小説を読むことが多かった。いわゆる義賊的な悪党が出てくる話ばかりではなく、凶悪事件を引き起こす人間の精神の暗部を描くような内容のものも読んでいた。文学が苦手でもドストエフスキーははまっていたのはそういう理由だと思う。

そういう話を読んで、私は主人公に距離を感じるどころか、同調している自分がどこかにいることを自覚した。凶悪な事件を起こすような人間の内側に自分と共鳴する部分がある。それは学校の道徳教育ではなかなか得られない学びだった。

どうしたらいいかわからず、悩んだり、自分で自分を憎んだりしたが、それは体調不良に繋がることはあっても、健康に繋がることはなかった。

今、私はその問題について一つの解決策を持っている。「善い人になるために努力をする」ということだ。身も蓋もないが、それが一番手っ取り早く、シンプルな方法だと思う。ロシア武術のシステマと出会ったおかげでこの解決策を得られたので、システマ関係者の全員に深く感謝している。

善い人になるのは悪い人になるより、難易度が高い。

ナイフを人混みで振り回すのと、その状況で生き残り、周りにも気を配る難易度を比較すれば、そのことを実感しやすいと思う。

だからこそ、鍛錬する価値がある。今の私はそう考えている。この考えが道徳的かどうかはわからないが、健康状態は以前より良くなった。

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