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ウィズコロナ時代の新しい教育とビジネスの視点(1) ー 後ろ姿に語りかける意味と効果

執筆:美術家・山梨大学大学院 教授 井坂 健一郎

宇宙の大転換に「当た(る)前」 

新型コロナウイルスが蔓延し、世界の常識を変えてしまうかのような事態になる前から、私は教育やビジネスのあらゆる場面で、新しい教育法やコミュニケーション術が登場するのではないかと思っていました。 ちょうど昨年(2019年)の夏頃に、とある小学校での授業を観察していた時でした。来るべき素敵な未来のために、その前にやって来る大転換を予知したのです。

これまでの「当たり前」が「当たり前」ではなくなる、ということを予知したのですが、そもそも「当たり前」という言葉を私なりに解釈すると以下のようになります。 物事に「当た(る)前」。つまり、地球や宇宙全体に大転換が起こる(当たる)前が、これまで我々が経験してきた時代なのであり、これからは「当たり時」になるのです。 つまりそれは「真宇宙」であり「新宇宙」が動き始める時代になります。 少しスピリチュアルな方向のお話になってしまったかもしれませんが、私が実践したことを例に「新しい視点」をお話ししましょう。 

目は口ほどに物を言う。背中はそれ以上に思考が見える。

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前述の、とある小学校での出来事。 ある教師が「当たり前」のように黒板に板書していました。同時にICT機器を用いて巧みに指導していらっしゃいました。今では、学校教育にICT機器を導入すること自体、さほど珍しいことではありません。 黒板にチョークで書くことは、現代の教育においても非常に効果的なのですが、それはまた別の機会にお話しします。 

話をICT機器に戻しますが、多くの教師は黒板に板書するというアナログ的な手法を、ただデジタルに置き換えているに過ぎないと言ってもよいでしょう。 教師が教室の前方に立ち、児童(生徒)と向かい合って授業を進める場合、板書する際には児童(生徒)に背中を向けるわけですので、そこに死角が生まれてしまいます。 ICT機器を使用する場合でも、教師はパソコンやモニター(あるいはスクリーン)に映っているかどうかを確認したり、映し出したものを見ながら、やはり児童(生徒)に背中を向けて授業をしている姿を多く見かけます。 かなり前からそのような機器にはリモコンが付いているわけですが、なぜかそのリモコンをうまく使えないのです。 リモコンをうまく使えば、教師の立ち振る舞いという点でかなり幅が広がると思います。 リモコンやレーザーポインターを持って、教室内を縦横無尽に歩き回ったり、児童(生徒)を360度から観察して授業を進めることが可能になるはずなのです。 

しかし、心理的にそれが出来ない環境にあるのは、教室の黒板とそこへの板書が「教室の正面性」という呪縛を生んでいるからです(もちろん教室の後方にも黒板はありますが)。 以上のように、ICT機器をはじめ、教師が教材を多用すればするほど死角が生まれ、児童(生徒)の活動を見逃してしまうことにつながってしまいます。そこには真のコミュニケーションは生まれません。 

新型コロナウイルスの蔓延による自粛が明け、学校が再開し始めた頃、私は「教師が児童(生徒)の後ろ姿を見ながら授業をする」ことを提案しました。 長年、私も授業者という立場にいます。幸い私の場合は絵の実技指導が中心ですので、教室の前方に立って指導する場面だけではなく、マンツーマンでコミュニケーションをとりながら、さらには教室全体を見渡しながら、個人を360度から見ることができる指導のスタイルです。 そこで感じたことが、「顔」は幾らでも「嘘」をつけるが、「背中」は常に「真実」を語るということでした。 そうです。目は口ほどに物を言いますが、背中はそれ以上にその人の思考が見えるのです。 学校の教室で、教師の机を後方に移動し、児童(生徒)は常に前を向いているというスタイル。教師は、板書の場面だけ前方に出ます。その他はパソコンにある視覚教材をリモコンでモニターやスクリーンに投影し、その際には教室の後方や「最適な位置」から授業を行うスタイルです。

背中には無数の聴覚がある。

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教師が児童(生徒)の背中に向かって声かけをすると、個々の背中にごく自然な表情が現れます。 プロの役者でもない限り、なかなか背中で演技をすることはできません。つまり、顔では「わかったふり」や、逆に「わからないふり」をしても、背中には真実が現れ、さらに後頭部にもその一瞬の思いや考えが現れるのです。 もちろん、教師はそこを見抜かなければなりません。 じっと目を凝らすと同時に心の目が発動し、個々の後頭部や背中の表情により、その人その人の「中今」を教師は摑むことができます。それは学校教育の場での教師だけではなく、あらゆるビジネスシーンにおいても、その場をリードする立場にある人に体感して欲しいことです。 

新型コロナウイルスが蔓延し、日常生活でのさまざまな場面で自粛が要請されました。 教育やビジネスの場面でも、ご存知のように「対面」ではなく「遠隔」で何でも行うような指示があり、また「遠隔」である程度のことが行えるようにもなりました。 「目を盗む」という言葉があります。学校であれば、教師の目を盗んでいたずらをするとか、ビジネスシーンであれば、上司の目を盗んで他の事をするとかでしょうか。「目を盗む」というのは「対面」であるから起きる行為なのです。「対面」ではない状況、つまり人の後ろ姿を見て教育をしたり仕事をするような環境をつくれば、いつ誰にどのように見られているかわからないという緊張感が生まれます。 

面白いことに、このスタイルであれば、緊張感とは正反対の「自由さ」も生まれるのです。 「対面」ではない状況におかれることにより、「緊張と自由」を同時に得られるということに気づかされるのです。 教育やビジネスの場面で、自身の背後から言葉を浴びた時、耳以外の聴覚がはたらきます。その聴覚は背中に無数にあり、そこで受け入れたこと(感じ取ったこと)は、身体を大いに振動させ、未来への発動のエネルギーへと変えていくのです。 ウィズコロナ時代には、「後ろ姿に語りかける意味と効果」が発揮されるはずです。

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【井坂 健一郎(いさか けんいちろう)プロフィール】

1966年 愛知県生まれ。美術家・国立大学法人 山梨大学大学院 教授。
東京藝術大学(油画)、筑波大学大学院修士課程(洋画)及び博士課程(芸術学)に学び、現職。2010年に公益信託 大木記念美術作家助成基金を受ける。
山梨県立美術館、伊勢丹新宿店アートギャラリー、銀座三越ギャラリー、秋山画廊、ギャルリー志門などでの個展をはじめ、国内外の企画展への出品も多数ある。病院・医院、レストラン、オフィスなどでのアートプロジェクトも手掛けている。
2010年より当時の七沢研究所に関わり、祝殿およびロゴストンセンターの建築デザインをはじめ、Nigi、ハフリ、別天水などのプロダクトデザインも手がけた。その他、和器出版の書籍の装幀も数冊担当している。

【井坂健一郎 オフィシャル・ウェブサイト】
http://isakart.com/

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