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宇宙的無意識がつくり出す「水の記憶装置」 ─ 陰陽五行と美術作品

執筆:美術家・山梨大学大学院 教授 井坂 健一郎

南方熊楠の「萃点」とインスタレーション的視点

過去、現在、未来という一方向に流れる時間感覚だけでは物事の理解に限界があり、360度全方向に理解が広がる瞬間を掴んだ時に、言葉や理屈では理解し得ない普遍的な情報を得ることができます。

このことは、南方熊楠が若い頃から次のように述べています。

「物事は部分を幾ら調べても限界があり、一つの学問の知識だけではなく、様々な学問の視点から多面的に調べていくことによって解明出来るはず。」

南方熊楠の造語であるとされているものに「萃点」があります。
「萃点」とは、あらゆる自然原理の必然性と偶然性の両面から交わり、多くの物事を一度に知ることのできる「理」が集まる点です。

インスタレーションを中心に活動する現代美術家・保科豊巳(ほしな とよみ)は、その「萃点」をあらゆる形で表しています。

保科は自らの制作コンセプトについて、次のように語っています。

「私の作品は、私の身体を通して(媒体にして)私の生活している日常から発生し、実在する物質と空間に身体を介在させて場に形を与え、見る者にそれらと素材との交換を提供する。それぞれの記号性を極度に抑えることによって、見る者が繋ぎ止めようとする視線や身体性を宙吊りにしてしまう。そこに内容を示す基準は何もなく、作品は装置でありそこに『答え』はない。むしろ『答え』は見る者の内部に送り返してゆく。」

保科は360度全方向に意識を向け、「中今」でしか成立しないインスタレーションという形で表したのです。

水が記憶を呼び覚ます

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保科の作品「岩に滲みる水の記憶」は、彼の幼少期からの生活体験が時を越えて「中今」に現れたものです。

川に流れる水、そしてそこにどっしりと存在する岩。
保科は自身の記憶を最適に呼び起こす素材として和紙と墨を選びました。

岩に和紙を押し当て、流れる水と墨によって岩肌の表情を和紙に擦り出します。
そうして出来たものは水墨画のようです。

複雑な曲線を持つ壁のような、あるいは複雑な屏風のような支持体を木材でつくり、それが空間にかろうじて立っているといった危うげな状況をつくり出します。

そこに岩肌を擦り出した和紙を貼っていくのですが、それは空間を遮断する結界でもあり、巨大な風景画でもあり、また記憶のスクリーンにも見えます。

これは、自然原理の必然性と偶然性の両面が交わったものだと言えましょう。

アーティストの感性や技術が造形物をつくったのではなく、空間に記憶が立ち現れてきた時、宇宙的無意識で削ぎ落とされた形であるとも言えます。


井戸水は光になり、雨水は影になる

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作品「思考する井戸」は、過去、現在、未来という時間を往還するものとなっています。
その橋渡しの役目が「水」なのです。

セメントでつくられた立体物が井戸を表していますが、それが美術館に設置されているわけですので、当然のことながら水は汲めません。

この作品の井戸の内部には液晶モニターが設置され、そこには水面が映し出されています。
これだけを見ると、かなり説明的な水の表現に思えます。

ですが、保科作品の妙は一見したところの主題には無いのです。

セメントの井戸の上部に木で出来た屋根が設置してあり、その裏側には和紙が貼り込まれ、その和紙には墨の滲んだ跡があるのですが、それは墨を含ませた和紙を雨空の下に設置した時の雨の跡なのです。

つまり、井戸の中には「地から湧き出ずる水」を暗示したもの、作品上部の屋根の裏側には「天からの恵みの雨」の痕跡が表現されており、しかもその雨の痕跡は、雨が当たるはずのない屋根の裏側に存在しているのです。

井戸水はデジタル画像の「光」となり、雨水は墨による「影」となる。

宇宙的無意識が「無いはずの有る」を成立させた作品だと言えます。


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【井坂健一郎(いさか けんいちろう)プロフィール】

1966年 愛知県生まれ。美術家・国立大学法人 山梨大学大学院 教授。
東京藝術大学(油画)、筑波大学大学院修士課程(洋画)及び博士課程(芸術学)に学び、現職。2010年に公益信託 大木記念美術作家助成基金を受ける。
山梨県立美術館、伊勢丹新宿店アートギャラリー、銀座三越ギャラリー、秋山画廊、ギャルリー志門などでの個展をはじめ、国内外の企画展への出品も多数ある。病院・医院、レストラン、オフィスなどでのアートプロジェクトも手掛けている。
2010年より当時の七沢研究所に関わり、祝殿およびロゴストンセンターの建築デザインをはじめ、Nigi、ハフリ、別天水などのプロダクトデザインも手がけた。その他、和器出版の書籍の装幀も数冊担当している。

【井坂健一郎 オフィシャル・ウェブサイト】
http://isakart.com/

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