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夜の上空から私が見た世界

執筆:ラボラトリオ研究員 小池沙輝

昨年の冬のこと。

夜のフライトで目にした、とても印象的だったシーンがあります。

それは、ネオンの光が点在する夜の街の風景。

上空から目にしたその光景は、
まるで煌めく星々が散りばめられた、極上の宝石箱のよう。

目の前に広がるその贅沢なシーン、
そのまたとない瞬間を目の奥に焼きつけようと
ほおっておけば視界からこぼれ落ちてゆく光の粒子を拾い集めて
せめて記憶のかけらに変換しておこうと
しばし陶然と、その光景に魅入っていたのでした。

その時に、はっきりとこう思ったのです。

闇も光と同様に、また美しいと。

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光と闇。

それは地球の理であり、この宇宙に住まう生命たちを生かすための絶対法則でもあるのでしょう。

ゆえに、光と闇というテーマはこれまでの人類の長い歴史のなかで、
神話やストーリー、絵画や映画・音楽の代表的なモティーフの一つとして、幾重にも語り継がれてきました。

そして、そのなかで語られる主題はおもに、

光と闇の二項対立という構図

あるいは

光を闇に、闇を光へと転換していく

というストーリーです。


これらに共通しているのは、
光と闇とを、はっきりとわけて描いているという点です。

つまりその根底には、
光と闇はたがいに異質なものであり、両者は本質的に相容れない

という概念が、重くずっしりと横たわっているように思われます。

いくつもの闇を乗り越えた先に光が待っている、
というテーマは通常よく見られるストーリーのパターンで、これは多くの人々が心揺さぶられ、感動を巻き起こす要素であることも事実でしょう。

しかし、これまでに幾度となく登場したこのような物語の定番の型でさえも、その前提には、闇は克服すべきもの、憎むべき対象であって、あたかも仮想敵のようなかたちで位置づけられてきました。

しかしこの二項対立の概念を抜けない限り、現実は一ミリたりとも動くことはありません。

なぜならすべては概念から始まり、概念によって創造がなされるからです。

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では私の目の前に広がっていた光景とは、何だったのか。

それは一言で、光と闇という概念を超えた世界でした。

光と闇は等しく、同時にそこに、あるがままに存在していたのです

「闇があるからこそ光が輝く」

とは、よく使われる表現であり

ストーリーにおいては主要なテーマのひとつですが、
個人的にはこの表現にずっと、微かな違和感を抱き続けてきました。

なぜなら、この表現もまた、光と闇を別のものとして扱い、まるで光を闇の上位に置こうとするニュアンスが、多少なりとも感じられるからです。

しかし私は、光と闇が同時に美しく在る

ということを

これまで培ってきた知識や頭を駆使して考えるといった方法ではなく、物理的にいつもとは違う地点からのぞくことができたからこそ、感じることができたのだと思います。

こうして、耳ざわりのいい定型文のような便利な言葉の檻をいとも簡単にすり抜けて、光と闇が、同時共時に存在し、調和し、共鳴しているという、これまでとは異なる次元の視座と、ものごとの見方の自由を獲得したのでした。

光は闇より優れているのでもなければ、
光は闇の引き立て役でもなければ、
光は闇の影に隠れて身動きもせずに、じっと黙っているだけの存在でもありません。

光と闇が存在しているのはこの世の理であり、それらは等価に慈しむべき存在であるのです。

そしてこのことは私たちラボラトリオにとっても、

これからますます重要な概念になりつつある、メビウス、銀河、Gコードというキーワードにも符号する、新たな世界の捉え方、新時代文明の幕開けにふさわしい認識の方法であると考えております。

七沢代表も昨今、

宇宙全体を貫く法則、あるいはメビウス、さらに絶対論理の砦「クラインの壷」の概念を説明される際に、

宇宙の果てを見れば、
自分の後ろ姿が見えると。

やっぱり頭が変わらないと
新しい時代にならないですよね。

と表現されていましたが、

実はここに、それらの概念の秘密を紐解く大きなヒントが隠されています。

詳しいことは、こちらでは割愛させていただきますが、

一言でいうと、
光と闇は常に表裏一体であるということです。

私たちは地球上で重力に縛られているがゆえに、両者を異なるものとして認識し、思考の結果の判断で勝手に色をつけてしまいますが、それこそが実は巧みなトリックであるということに気づかなければなりません。

さらに付け加えれば、

光と闇を超えて、世界をありのままに捉えて受け入れるためには、
「時間」を超越するということが、重要な鍵を握っているということです。

私たちは時間という概念から自由になり、完全に解放されたとき、これまで主観によって色をつけてみていた偽りの世界からはなれ、大いなる宇宙の姿を、この世の中で起こっている出来事のすべてを、客観によって、ありのままに見つめることができるようになるのです。

さて、少し話が戻りますが

私も先日、先生のこの言葉をふと思い出して、その時クラインの壷の世界の秘密が、ほんの少し見えたような気がしました。

私たちは通常、大地に立って空を見上げ、夜空に浮かぶ星を眺めますが、
その時の私の目には、それとは真逆の世界が一面に広がっていたのです。

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私があの時、上空から目撃したものーー。

それは高い地点だからこそ見える、地の世界の一面に広がるギャラクシー、天の世界の相似形としての、地の世界で展開される、幻想的な銀河系宇宙の姿でした。

そこには点在するネオンの光に彩られた、まばゆいばかりの光景が広がり、さながら天体に浮かぶ星々のごとく、一つ一つの光が歌い、踊るように呼応して全体でハーモニーを織り成すように、美しく光り輝いていたのです。

光と闇の境界線はなく、それらが渾然一体となって映し出されたその光景は、私にとって忘れられない、永遠の宝物のようなひとときとなりました。

また同時にその体験は、天の河を旅するような『銀河鉄道の夜』の物語のなかに入り込んでしまったようで、たった一夜にして時空を超えた感覚をもたらしてくれたのでした。

さて余談になりますが、羽田に着陸してほっと一息ついたときに流れてきたスターフライヤーのBGMがとても印象的だったので、最後に少しだけ触れておきたいと思います。

そこで早速ネットで調べてみたところ、このBGMはファンもかなり多いということがわかり、納得しました。

またその際に、こちらのプロジェクトの一貫としてつくられた曲であることを知り、あの時自分の感じた、星、銀河というイメージとピタリと符号したことも重なって、さらに感動が何倍にも広がりました。

星々の歌を聴こう
機内のための新体験音楽プログラム「Star Chorus」

2018年2月、機内でのさらなるリラックス空間の提供を目的に、
新たな“スマート ラグジュアリー”の体感を促すサウンド「Star Chorus」を開発し、機内ビデオチャンネルで展開しました。
https://www.starflyer.jp/brand/project/starchorus/

「Star Chorus」

なんと的確で、心に響く表現でしょう。

天体に煌めく星の様子と自然の法則を、そのままあらわしているようです。

星の鼓動を音で表現しようとした、このプロジェクトのコンセプトと実験的な試みからも、新たな視点を得ることができました。

音と星の関係についても、いつか書いてみたいと思います。

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【小池沙輝 プロフィール】

Paroleの編集担当。
のろまの亀で生きてた人生ですが、Paroleスタートに伴い、最近は「瞬息」で思いを言葉にできるよう、日々修行中です。短文修行は始まったばかり。


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