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言霊よもやま話 Vol.2 六大伝説〈花咲爺〉─ほんとうは、恐ろしい話だった〈花咲爺〉

原典:『世界維新への進発』(小笠原孝次 著)
編集:新谷 喜輪子 / 監修:杉山 彰


正直爺さんと欲張り爺さんが居た。正直爺さんが飼っている犬が裏の畑で「ワンワン」と鳴いた。其処(そこ)を掘ると、宝物が沢山出て来た。これを羨(うらや)んだ欲張り爺さんが畑を掘ると穢(きたな)い物が出て来たので、怒って犬を殺して地に埋めた。正直爺さんは言霊 エ、イを操作する人。欲張り爺さんは言霊ウ、オだけを操作する人である。

犬はイ奴(ぬ)で、言霊イである布斗麻邇(ふとまに)の召使と云う程度の意味 。「ワンワン」と鳴く声に「和産(わん)」と当字(あてじ)したならば、調和と平和を産み出すことである。畑(はた)は二十(はた)である。また二十(ふと)麻邇の事である。正直爺さんがその二十(ふと)を掘ると宝物が出て来る。

然し魂がウ、オの境涯に限局されている欲張り爺さんが、そのウ、オに即して二十の操作を行うとあべこべに汚いものが現れて来る。言霊ウ、オは経験論哲学であり、物質の面だけでしか世界を見る事の出来ない政治家や産業人の営みである。この人達が地から掘り出す穢(きたな)い物を「公害」と云う。精神的な公害も物質的な公害もある。

正直爺さんは殺された犬を埋めて、松の木を植えた。その木が育つと、それで臼(うす)を作って餅を搗(つ)いたら、また宝物が沢山出て来た。松に真対(まつ)と当てると陰陽水火(みずほ)の相対の意味になり、この相対を調和する道がまつり(祭・政・真釣(まつり))である。臼は 前記の臼女、宇受売(うずめ)であって言霊の操作法。餅は百道(もち)、古事記に説かれた言霊百神である。

百神の半分を五十鈴宮(いすずのみや)と云い、半分を五十神(いそのがみ)(石上(いそのがみ))と云う。正直爺さんが臼で此の百神を操作する時、人類を幸福にする宝が現れる。ところが欲張り爺さんが、またそれを真似て餅をまくと更に罪穢(つみけがれ)れや公害が続々と現れて来た。欲張り爺さんは、また怒って臼を焼いてしまった。

今度は正直爺さんがその臼の灰を集めて撒いたら枯気(かれき)に美しい花が咲いた。また欲張り爺さんが真似をして灰を撒いたら咲いていた花が枯れ、人々の眼や鼻に入って苦しめたので、殿様から厳しく罰せられた。

灰は(はひ)葉霊(はひ)である、言葉である言霊である。道理の布斗麻邇である。正直爺さんがこの灰を世界に撒くと精 神と物質の二つの文明を総合揚棄(ようき)した第三文明の美事な華が咲く。

然し言霊ウ、オを操作する欲張り爺さんが撒く灰は物質の微粒子であって、これを浴びると花が枯れる所ではない、人間も動植物も悉(ことごと)く死に絶える。すなわち放射能の「死の灰」である。この物語はまことに恐ろしい程の確かな予言である。

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(つづく)


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【小笠原孝次(おがさわらこうじ)略歴】
1903年 東京都にて生誕。
1922年 東京商科大学(現在の一橋大学)にて、
吹田順助氏よりドイツ文学、ドイツ哲学を学ぶ。
1924年 一灯園の西田天香氏に師事し托鉢奉仕を学ぶ。
1932年 元海軍大佐、矢野祐太郎氏および矢野シン氏と共に
『神霊密書』(神霊正典)を編纂。
1933年 大本教の行者、西原敬昌氏の下、テレパシー、鎮魂の修業を行う。
1936年 陸軍少佐、山越明將氏が主催する秘密結社「明生会」の門下生となる。明治天皇、昭憲皇太后が宮中で研究していた「言霊学」について学ぶ。
1954年 「皇学研究所」を設立。
1961年 「日本開顕同盟」(発起人:葦津珍彦氏、岡本天明氏ほか)のメンバーとして活動。
1963年 「ヘブライ研究会」を設立。
1965年 「ヘブライ研究会」を「第三文明会」に発展。
1975年 「言霊学」の継承者となる七沢賢治(当時、大学院生)と出会う。
1981年 「布斗麻邇の法」を封印するため七沢賢治に「言霊神社」創設を命ずる。
七沢賢治との連盟で山梨県甲府市に「言霊神社」創設する。
1982年 79歳にて他界。

【著書】
『第三文明への通路』(第三文明会 1964年)
『無門関解義』(第三文明会 1967年)
『歎異抄講義』(第三文明会 1968年)
『言霊百神』(東洋館出版社 1969年)
『大祓祝詞講義』(第三文明会 1970年)
『世界維新への進発』(第三文明会 1975年)
『言霊精義』(第三文明会 1977年)
『言霊開眼』(第三文明会 1980年)


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